最終話 決断

 鴉羽への依頼が済んだ翌朝、再び長吉が桃谷屋を尋ねて来た。要件はと言えば、鴉羽と桃谷屋の今後の繋がりについての確認と報酬の払い方という事務的なもの。

 長吉がそのまま店を出たと聞き、ももはほっと息をついた。


「ももさん、迷っているんだろう?」

「政太さん……」


 その夜、ももは政太との勉強会に身が入らなかった。

 あまりにも荒唐無稽な出来事の連続で、もも自身整理が追い付いていない。どうすれば良いのかわからない、というのが正直な気持ちだった。


「政太さんとずっと一緒にいたい、この想いは変わらないです」

「うん」

「でも、昨夜のような出来事を目の前にして、あんな世界がこの江戸にはあるんだと知ってしまって。……わたしにも素質があると言われて」

「うん」

「揺れて良いはずがないのに……っ。ごめんなさい、政太さん!」

「ももさん……」


 涙を溜め、ももは政太の顔を真っ直ぐに見られない。彼を追いかけるために江戸に来たはずなのに、と思うと顔向け出来ないのだ。

 そんなももを、政太はただ黙って抱き締める。


(私としては、ももさんに吉原に行って欲しくはない。あんな男の欲の園で、こんなに可愛らしい娘が無事でいられるとは思えない。だから、本当は反対したい。でも……)


 ももを店に縛り付けて、彼女の意思を無視すること。それが自分の本来したかったことなのか、政太は己に問いかけていた。答えは『違う』とすぐに出て来る。


「ももさん」

「はい」

「私は、ももさんの気持ちを尊重したい。本当は、貴女と離れるということを考えるだけでも身を裂かれる思いがする。だけど、それを理由にももさんの意思を曲げて欲しくないんです」

「政太さん……」


 再び抱き締められ、ももは政太の温かな腕の中で考えを重ねた。

 そして、一つの決断に至る。


(わたしの気持ちは……)


 想いが固まれば、怖いものは何もない。ももは自分の意思を政太に伝え、鴉鳳の到来を待つことにした。


「もも、気持ちは定まったかえ?」

「はい、花魁」


 約束の日、鴉鳳花魁は町娘に姿を変えて店を訪れた。しかしその身から溢れる気品は隠せるものではなく、丁度店に来ていた大店の娘と奥方が目を見張っていた。

 花魁は彼女らに会釈を返し、用意されていた座敷に足を踏み入れ今に至る。


「では、聞かせてもらおうかね」


 茶を喫し、鴉鳳は目の前に座ったももに話の続きを促す。ももの隣には、政太が背筋をまっすぐに伸ばして正座している。

 ももはその政太と顔を見合わせ頷くと、己の決断を告げた。


「花魁、わたしは花魁と共に吉原で暮らすことは出来ません」

「……そう」

「その代わり、ここ桃谷屋で奉公をしながら花魁のお手伝いをさせて頂きたいのです」

「へえ、そう来るかい」


 面白そうに肘をつき、鴉鳳は先を促す。


「それで? どうしてそんな決断に至ったのか教えてくれるかい?」

「花魁は、この前おっしゃいました。と」

「……そう言ったね」

「でしたら、わたしが一人この店を離れたとして、政太さんがアヤカシに襲われてしまうかもしれませんよね? この人が危険な目に合っている時、わたしはその場にいられないかもしれない。そう考えたら、恐ろしかったのです」


 政太にも自分と同様に鴉羽に入る素質があるのなら、アヤカシが狙わないはずはない。何故なら、彼らにとって裏の世のモノたちと渡り合う力を持つ者たちは邪魔なはずだから。

 であるならば、ももと政太は一緒にいた方が良い。その上で、鴉鳳たちから鴉羽としての知識を得て実践を重ねるべきだ。ももはそう考えた。


「……くくっ」

「花魁?」

「成程……くくっ。わちきが論破されるとは……ふふっ」


 ももの考えを聞き終わり、突然鴉鳳は肩を震わせ始めた。その反応が何を示すのかわからず、ももは困惑の表情を浮かべて腰を浮かせる。

 すると、鴉鳳は身を震わせて笑い出した。その笑い方は声を辛うじて殺したもので、花魁という立場の女のものではない。

 ひとしきり笑った後、目元に涙を溜めた鴉鳳がももと政太を見た。


「久方振りに大いに笑わせてもらったよ。確かに、ももの言う通りでありんすね。一本取られた……ふふっ」

「花魁……」

「ももの力はわちきたちも欲しているからね、その提案を飲もうじゃないか!」

「ありがとうございます、鴉鳳花魁!」

「頭を下げなくても良い。わちきたち三人は、もう仲間なのだからね」


 満足そうに微笑んだ鴉鳳は、新たな仲間二人を交互に見てから袖の中から二枚の木札を取り出した。木札は手のひらくらいの大きさのもので、紅い組み紐が付けられている。それぞれ一つずつをももと政太に渡すと、花魁は自分の懐に入れていた同じ木札を手にしながら説明した。


「それは、鴉羽の一員である印。そして、アヤカシから身を護るためのお守りでもある。政太の異能は守りに特化したもののようだけれど、これも肌身離さず持っていておくれ」

「わかりました」


 素直に応じた政太が木札を懐に入れ、もももそれに倣う。

 二人の行動を確かめ、花魁は満足げに頷いた。


「これから、二人は鴉羽の仲間でもある。……厳しい鍛錬もあるから、昼間の商いだけでへこたれるんじゃないよ?」

「はい」

「望むところです」

「――良い返事だ」


 江戸吉原に拠点を置く、影の者『鴉羽』。そこに、新たに二人の異能持ちが加わった。大店を継ぐことが決められている二人の男女。

 彼らの活躍は、表の世で知られることはない。ただ、裏の世と縁を結んでしまった者たちを救うため、暗躍する。


 ――鴉羽。


 新たな知の戦士たちの物語が始まる。





 ―――了

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紅に咲く―山桃花魁記・はじまり― 長月そら葉 @so25r-a

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