第18話 選択肢
鴉鳳に手を引かれて桃谷屋に戻ったももは、その店の変わりのなさに心から安堵していた。アヤカシが店を覆い尽くそうとした時、店が瓦礫の山となり果てたのを見た時、政太もまた潰されてしまったのではないかと生きた心地がしなかった。
しかし今、自分は桃谷屋の慣れ親しんだ廊下を歩いている。それが、たまらなく嬉しかった。
ももを引きつれ歩いていた鴉鳳は、ある部屋の前で立ち止まる。そして、無遠慮に入って正座している青年の前に仁王立ちになった。
「政太殿」
鴉鳳が呼びかけると、政太はようやく瞼を震わせ目を開けた。そして、花魁を見上げて口を開く。
「……鴉鳳花魁。終わったのですか?」
「終わったよ。あんたの強い信念と、この子の力のお蔭でね」
「そう、ですか。よかった」
ほっと胸を撫で下ろした政太は、花魁の後ろでおろおろとしていたももに気付いて目元を緩ませる。
「ももさん」
「政太さん……よかった、です。ご無事で」
「どうして泣くんです? ほら、こちらにおいでなさい」
「――っ」
政太が両手を広げ、促す。ももはそれを見て、我慢出来ずに彼の胸に飛び込んだ。
(温かい。よかった、生きてる)
しがみつき、泣き崩れるもも。まさかの展開に、政太は目を瞬かせて花魁に助けを求めた。
「あの、ももはどうしたのですか……?」
「外で、アヤカシが桃谷屋を潰した幻を見せられたのさ。それを見て、ももはあんたが死んだんじゃないかと思って錯乱しかけた。それが引き金になって、ももの力が目覚めたんだけどね」
「そう、だったんですね」
泣きじゃくる想い人を優しく抱き締め、政太は「大丈夫」と何度も言い聞かせる。自分も父も、誰も命を落としてなどいない。
「花魁が信念を強く持てとおっしゃって下さったお蔭で、私はアヤカシを突っぱねることが出来ました。ありがとうございます、鴉鳳花魁」
「そうかい。外でわちきらに負けそうになれば、きっとあんたに狙いを絞るだろうと思っていたからね。うまくいって良かったよ」
「はい」
「何が、あったのですか。政太さん……?」
ようやく涙を落ち着けたももは、政太にしがみついてしまった恥ずかしさから目を逸らすように自分の身を政太から離した。そして、顔を赤くして尋ねる。
そんなももを可愛いと思いながら、政太は己が体験したことを語った。
「ここでずっと座っていたんだけれど、突然背後に気配を感じたんです。おぞましさすら感じて。でも、花魁の言葉を思い出して何も言わずにいました。すると、後ろから『声』がしたのです」
「声……?」
「はい、ももさん。その声はこう言いました。……『お前の愛するモノをすぐさま手に入れ、欲しいモノも手に入れさせてやろう。ワタシにその身を委ねよ』と」
それはそれは、甘い声だった。その声の通りに身を委ねれば、望むもの全てが手に入ると錯覚させられるには十分な呪力を持っていた。
しかし、政太は頷かなかったのだ。もし頷いていれば、彼は今ここにいない。
「甘い声に乗るわけにはいきませんでしたから、私は心の中で念じたのです。欲しいものは、自分の力で手に入れる。例え彼女が今後離れてしまったとしても、再び惚れてもらうために努力を惜しまない。店を共に盛り立て、生涯愛すると誓ったあの人の想いを裏切らない、と」
「……政太さん」
「それ、自分で言ってて恥ずかしくはないのかい?」
胸を撃たれ頬を染めるももと、半ば呆れ気味の花魁。二人の対照的な反応を見て、政太は小さく笑った。
「思うだけならば、自由ですから」
「そうだね。……全く、アヤカシも襲う時代を間違えたようだ」
手にしていた刀を腰の鞘に差し、鴉鳳はぐるりと周囲を見渡した。
「もうこの店にアヤカシの気配はない。今後、新たな縁を結ばない限りは襲われることもないだろう」
「はい。ありがとうございました、鴉鳳花魁。父に代わり、お礼申し上げます」
「ありがとうございました」
丁寧に腰を折る政太と彼の見様見真似をするもも。二人を見下ろした鴉鳳は踵を返しかけ、すぐにもとのように二人に向き直った。そして、ももの前に片膝をつく。
そっと細い指で顎を上げられ、ももは花魁の美貌にどきりとした。
「あんた、わちきと一緒に来ないかい?」
「……え?」
「あんたの異能は、おそらくあんた自身の知識欲が力のもとになっている。知りたいという思いが、アヤカシの急所を知らせてくれる。そんな力を持つ仲間がいれば、アヤカシ退治がやりやすくなるってもんだ」
鴉鳳によれば、ももの異能はアヤカシの気の流れが集まっている場所、所謂急所を一目で見破る能力だという。その力はももが今まで蓄えてきた知識に起因し、賢くなればなる程に精度を増していく可能性を秘めているのだとか。
「え、えと……」
突然の申し出に、ももは答えに窮した。
自分には桃谷屋にいたい理由があり、それは異能とは何も関係がない。しかし、今回の桃谷屋の一件のようなアヤカシ関連の出来事の解決に自分の目覚めた力が役立つかもしれない。その可能性を示されてしまい、迷いが生じた。
ちらりと隣に座る政太を見上げると、彼は少しだけ困った顔をしてももを見返す。それから、軽く息をついて鴉鳳を真剣に見詰めた。
「鴉鳳花魁、ももを守り抜いて下さると約束願えますか?」
「勿論。政太、あんたにも鴉羽に入る素質は充分にあると思うけれど……これ以上この店から有能な人材を抜けば、ここの旦那にどやされかねないね」
「私の素質についてはわかりませんが……ももはどうしたい?」
「わたし、わたしは……」
ぎゅっと胸元を握り締め、ももは考えた。
ずっと政太のもとにいたい。その気持ちに嘘偽りなどあろうはずもなく、時が来たら店の主となる政太を一番近くで支えたい気持ちが最も強い。
同時に、アヤカシに苦しめられる誰かを助ける手伝いもしたいという欲が生まれてしまっていた。
「……」
「ここで今すぐ決めろ、というのは酷だったね」
思い悩むももに、鴉鳳は苦笑した。
「三日後、答えを聞きに来よう。勿論、どちらを選んでもわちきたちはももを責めないから安心してくれて良い。そして、今後桃谷屋にアヤカシ関連の困りごとがあれば、ももがどちらを選ぼうともすぐに駆け付けると約束しておくよ」
「そう言って頂けるのなら、有り難い話です」
政太が微笑み、花魁も頷く。
鴉鳳と長吉が去った後、ももはしばらく政太に体を預けて目を閉じていた。頭が混乱していたももを気遣った政太が、彼女を抱き寄せて離してくれなかったせいもある。
(わたしは、一体どうすれば良いの……?)
ももは政太の温かさを全身に感じながら、降って湧いた新たな悩みに頭を痛めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます