第17話 分岐点

 ――ガタンッ


 突如近くで大きな音がして、ももは思わず振り返った。そして、思いがけない光景に目を疑う。


「嘘……っ」


 ももが見たのは、桃谷屋の母屋が倒壊する光景だった。空を見上げれば、巨大な影が店を覆っている。おかしい、アヤカシは鴉鳳と死闘を繰り返していたはずなのに。

 しかし、そんなことを考えている暇はない。考えるよりも先に、ももの体が動いていた。


「政太さんッ、政太さん!!!」

「ももさん、待っ……」


 悲鳴に近い声を上げ、ももは腕を掴む長吉を振り切り、走り出す。何度もこけそうになるが、そんなものは大した問題ではない。ももはただ真っ直ぐに、息を切らせてその瓦礫の前に立ち尽くした。


「せい、た、さ……。どうし、て」

「落ち着いて下さい、ももさん。これは……」

「嫌」


 後ろから追い付いて来た長吉が、何か言いかける。しかしももにそれは聞こえず、彼女は大粒の涙にに濡れた真っ赤な顔で、愛しい人の名を呼び叫ぶ。


「政太さん、政太さんッ! 嘘、嘘でしょ? どうして、どうして!!」


 涙で視界がにじみ、ももはその場に崩れ落ちる。着物が汚れるのも厭わず、彼女は悲鳴を上げた。


「ああぁぁっぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁあぁっ!!!」


 ももが悲観の声を上げる中、鴉鳳が長吉の横に下り立つ。彼女の手に握られた刀にはアヤカシの残滓が残り、本体は既に斬り伏せたのだと察せられる。

 鴉鳳はそれまでとは比べ物にならない程真剣な光を宿し、地面に座り込み泣き叫ぶももに視線を注いでいる。


「花魁」

「――長吉、見て」

「はい。あれは……」


 二人の目の前で、ももの見た目が変わっていく。姿かたちは変わらないが、彼女を取り巻く空気が変わり、色を持ち始めたのだ。

 色は透明から薄桃色へと変化し、霧が立つように湧き上がる。それはももを包み込み、結い上げていた髪をばらして遊ばせた。


「え……?」


 涙に濡れた顔のまま、もも自身も自分の変化に気付く。ぐしゃぐしゃな顔のまま、両手を自分の顔の前まで挙げ、目を瞬かせた。


「なに、これ……」

「それが、あんたの異能の色」

「いのうの、いろ?」


 長い着物をさばき、鴉鳳はももの前に片膝をつく。ももの目元を拭い、頷く。


「あんたは今、あの次代のことを思ってこれ以上ない程心を乱した。強い気持ちが引き金になって、あんたが持つ異能が目を覚ましたんだよ」

「さっき、命の危険に晒された時に力が目覚めることがあるって……」

「引き金は人それぞれ。わちきは実際、禿の時に大火傷を負って、生死を彷徨った。その時に死を覚悟して力に目覚め、今は客を取らずに裏家業をして暮らしている」


 鴉鳳は立ち上がると、瓦礫の山となった桃谷屋に向き直る。そして、その上を覆い尽くそうとしているアヤカシの残りカスに切っ先を向けた。


「あいつは、わちきがあの世に送る。流石のわちきも堪忍袋の緒が切れた。裏の世なんかに帰さず、息根を止めてやる」

「おい、らん。政太さん、は……もう……っ」

「もも。わちきはあの次代に何て言った?」

「花魁が、政太さんに?」


 涙が落ち着き、ももは鴉鳳の背中を見詰めながら思い出す。鴉鳳は政太に何と言ったのか。


「わちきたちが、アヤカシを裏の世へと帰す。わちきがよいと言うまで、この場を離れてはいけないよ。それから、他の者に何を言われても、己の信念を曲げてはいけない。この店の全ての者は、皆、自室を出ることを禁じているからね」


 確かに、そう言った。

 政太は素直で真っ正直だ。その気質が商いに向いているかどうかは父親が首を捻って苦笑していたが、それが彼の長所であることは間違いない。だからこそ、彼が花魁との約束を違えることはあり得ない。


(政太さんは、鴉鳳花魁との約束を守って……必ず生きている!)


 何故かはわからない。それでもももは、政太が生きていると確信を持った。己の変化に怯えながらも、変化がこの場で助けになるということにも気付いた。

 だから、震えながらも立ち上がる。視線を向けるのは、跳躍してアヤカシに迫る鴉鳳の方。

 何故か、言わなければならないと感じた。大きく息を吸い込み、ももは大きな声を出す。


「鴉鳳花魁!」

「――!?」

「アヤカシの急所は、眉間です! そこに、気の始まりが!」

「成程ね」


 首肯した鴉鳳は、巨大化したアヤカシの背を蹴る。

 アヤカシもまた残りカスでありながらも抵抗し、大きな手を花魁に向かって伸ばす。その手のひらを蹴り飛ばし、鴉鳳は更に上を目指す。


「見付けた」


 跳び上がり、見下ろせば鮮血の眼が二つ並んでいる。その禍々しさに臆することなく、花魁は迷わず刀を振り下ろした。

 ――漸っ

 眉間から真っ二つに割られたアヤカシは、断末魔の悲鳴を上げることもなく消えていく。それが消えた後、ももは思いがけない景色に目を疑った。


「お店が……壊れてない!?」


 桃谷屋の建物は壊されたはずだった。しかし、月に照らされた建物が悠然と建っている。その事実に目を丸くしていたももの傍に来た長吉が、種明かしをしてくれた。


「アヤカシは人を傷付け殺すことは出来ても、建物を壊すことは出来ません。幻を見せ、貴女を動揺させて自滅させるのが目的だったのでしょうが、目論見は見事にはずれたようですね」

「つまり、壊されていたように見えたのは……幻?」

「そういうことです」

「よ、よかった……」


 安堵で腰が抜けたももがへたり込むと、アヤカシを斬って間もない鴉鳳が跳び下りて来る。そして、ぐいっとももの腕を引き上げ立たせた。


「行くよ、もも」

「行くって何処にですか……?」


 ぽかんとするももに、鴉鳳はニヤリと笑ってみせた。


「あんたの想い人のところさ」


 あの子はわちきの言うことを守ったらしいからね。鴉鳳はそう言うと、ももを引きつれて桃谷屋の入口を潜った。

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