第16話 アヤカシの影

 赤い、血のような色の双眸。その奥底から噴き上がるような負の感情が、否応なしにももに直接訴えかけてくる。疑問、疑念、怨恨……。言葉に出来ない声なき声が頭に響き、ももは思わず頭を抱えてうずくまった。


「こ、れ……っ」


 涙目になりながら鴉鳳を見上げると、彼女は小さく舌打ちをして刀を構えた。


「裏の世のアヤカシは、表の世の住人と繋がることで強さを増す。あれは、元々表の世の住人の形をしていたはずのモノ。……今じゃ、一体化しちまって見る影もないがね」

「一体化」

「そう。人だったことを、最早忘れて久しいのさ」


 その方が、都合が良いさね。

 鴉鳳はそう呟くと、助走をつけずにトンッと飛んだ。美しい帯がひらりと舞い、まるで着物がたなびいているかのよう。

 そのまま振り上げた刀を振り下ろし、両断を試みる。しかしアヤカシは頑強な腕で刀を受け止め、弾き返してしまった。


「流石、鴉羽から隠れていただけのことはあるねぇ。大抵、この一太刀で終わるんだけど。遊び甲斐があるよ」

「花魁、遊んでいる暇はありませんよ」

「わかっておりんすよ、長吉」


 ももの傍で彼女を守る長吉に小言を言われ、鴉鳳はニヤッと笑う。

 表情を変えると、ももたちには聞こえない声で何かを呟く。すると刀が青みを帯び、アヤカシが身構えたのがわかった。


「さあ、年貢の納め時ってね!」


 花魁らしくなく、鴉鳳は大声を上げた。それに呼応するように、アヤカシがその体を大きく変形させていく。ドロドロとした何かがうごめき、夜空を覆うように広がった。

 アヤカシが広がっただけで、ももはその場の空気が重苦しさを増したことに気付く。息すらし辛くなり、思わず喉に手を当てた。


「ももさん、しんどいですか?」

「何か、息がし辛いような」

「アヤカシのせいです。奴らは、空間を圧迫するんです」


 少し我慢してください。長吉はそう言うと、指で印を結んで小さく「ハッ」と気合を吐き出した。するとももは呼吸が楽になり、ほっと息をつく。


「ありがとうございます、長吉さん」

「まだ目覚めていない貴女をこの場に呼んでいるのですから、当然ですよ」

「……」


 まだ目覚めていない。つまり、鴉鳳や長吉はももに何かしらの力が備わっていると考えているのだ。それを思い、ももは眉間にしわを寄せた。


「わたしは、幼い頃から人一倍好奇心旺盛で何でも知りたがった、と母に聞いています。ですが、アヤカシと渡り合う力なんて……」

「そう簡単に、力を目覚めさせることは出来ませんよ。それこそ、命の危険にさらされるくらいの出来事に会わなければ、素質があっても目覚めない場合がほとんどです」


 二人の頭上では、鴉鳳とアヤカシが刀を打ち合わせて削り合っている。キンキンッという緊迫した金属音が響き渡る中、長吉は慣れているのかゆっくりと話すことを止めない。


「花魁は、ああいうお人ですから。遊女にしておいても客が付くことは難しい。ですから旦那様が、裏家業である鴉羽に所属させることを決めました。遊女になった時から、旦那様は鴉鳳花魁の力の片鱗に気付いていたようですが」

「花魁の力とは、何だったのですか?」

「ほら、見てごらんなさい」


 長吉の指差す方を見ると、鴉鳳は愛刀を翻してアヤカシの伸ばす手を弾く。自らの手足と同様に刀を操る花魁の動きに魅せられたももは、長吉の言葉を聞いて驚くことになる。


「あの刀は、花魁自らが創り出した代物なのですよ」

「えっ」

「つまり、あれを操ることが出来るのは花魁しかおりませんし、刀が、最も力を発揮するのも花魁と共にある時だけです」

「刀をご自分で……」

「そういうことです。ちなみに私は、先程見せたように結界を創り出すことが出来ます。戦闘向きではありませんが、アヤカシとの戦いに一般の人々を巻き込むわけにはいきませんからね」

「わたしにも……? 政太さんを、誰かを護れる力があるのでしょうか?」

「私も花魁も、あるのではないかと考えていますよ」


 確実にある、ともないとも言い難い。ももは何となくざわつく胸もとを押さえ、鴉鳳の戦いぶりを見詰めていた。


 同じ時、政太は座敷で正座をして目を閉じていた。無駄なものを全て遮断し、己の信念のことだけを考える。


(私の信念は、桃谷屋を守り生かしていくこと。そのために出来ることは、出来ることは全てやる。……でも今は、大切にしたい人が出来た。あのを、あの娘と共にこの店を盛り立てていきたい。大切にして、幸せになっていきたい)


 それが信念と言えるものなのかどうか、政太にはわからない。しかし、彼が大切にしたい想いはそこにあった。

 嵐の夜、偶然出会った本好きの少女。そのキラキラとした瞳に魅せられて、政太は彼女に興味を持った。それがただの興味ではなかったと気付いたのは、二度目にももと出会った時のこと。


(この娘と、共に生きたいと思った)


 だからこそ、政太はももを信じてこの場にいる。

 例え、背中に感じる悪意が手を伸ばしてきていることが事実だとしても、政太は負けるつもりはない。


(意志の力がアヤカシに打ち勝つ力になるなら……決して屈しない!)


 政太の後ろには、彼と同じくらいの背丈の何かが佇んでいる。それからは幾つもの黒い腕が伸び、政太を包み込もうとしているのだ。しかし、それは叶わない。

 政太を守るかのように半透明な帯が浮かんでいる。ふわふわとしたそれは彼の内側から湧き上がっているように見え、影に反抗していた。


「ァア……アア。アノ男ノ、血ノニオイガスル」


 集中していた政太は気付かなかった。背後に立つそれが徐々に大きさを増し、声まで発しているとは。

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