多様性の翼 ―恩羅さんはWEBなんかじゃイヤっ!―

小林勤務

第1話 ウィルス

 今日、久しぶりに会社に出社する。


 それは、俺こと手令 和久てれえ わく、二十五歳だけではない。


 彼女も出社するのだ。

 彼女に会うのは一年ぶりだろうか。ずいぶんと久しぶりだ。


 彼女の名前は恩羅 音おんら いんさん。


 俺より十歳年上、同じ部署の先輩、独身だ。

 ひとことで言えば可愛い。

 別の見方をすれば美人。

 どちらにも当てはまる容姿をしている。

 ちなみに俺は可愛いと思っている派だ。

 社内ではおじさん達に人気がある。

 趣味は映画観賞。

 専らハリウッドのサスペンス映画が好きだそうだ。


 俺は秘かに彼女のことがいいなあと思っていた。容姿もさることながら基本的に彼女は親切で優しく、仕事もそつなくこなす。ある種のできる女、憧れ的な要素も兼ね備える。だが、俺が気になっているのはそれだけが理由ではない。


 彼女が思わせぶりな態度ばかりとるからだ。


 飲み会の時だって、必ず彼女は俺の隣に席を陣取る。片側のおじさんに適当な相槌をうちつつ、体は絶妙にななめの角度で、終始こちらに向いている。


 仕事中でも同様の傾向がある。

 当社はスモールオフィスの一環で、皆が列ごとに長デスクを共有している。隣の席のくせして、彼女の文具入れは常に俺のデスクの範囲内に置かれている。彼女のスペースはがらがらで、きれいに整頓されているにも関わらず、だ。

 恩羅さんが文具をとるために手を伸ばすと、必然的に距離が縮まる。ほのかなフローラルの香水に合わせて、


「いつもお仕事中断させちゃってごめんね」

 にこりと頬を緩める。


「い、いえ、別に大丈夫ですよ」

「そう。ならよかった」


 こんなのを毎日されていたら……。


 仕事なんか集中できないだろ。


 突如として同時多発的に発生し、人類に猛威をふるうACFS(Acute Continuous Fever Seizure)ウィルスに端を発した、通称アクフス禍。様々な研究試験を繰り返して、一年越しに作られたワクチンは全く効果がないことが判明した。そのため当社は社員の感染リスクを最小限に抑えるために、積極的に在宅勤務を推進。


 社長は、政府の推奨する出社抑制よりさらに一歩進んで、オフィス出社率一割未満という目標を掲げた。ちなみに出社率一割未満というのは、ほぼ全員テレワークするということを意味する。つい最近、会社の近くで健康診断を受けた際も、ついで出社はさせないという徹底ぶりだ。


 これにより毎日の満員電車からは解放されたが、職場のメンバーと話す機会も少なくなり、秘かに思いを寄せる恩羅さんとも会えなくなった。このテレワークというのは、なかなかに一長一短がある制度だ。メリットとしては、上司から頼まれごとや雑用を言われることもなく、仕事に集中できて作業が捗るということ。仕事だけするには良い環境であることは間違いない。


 だがデメリットも存在する。

 それは、コミュニケーションが減ってしまったことだ。


 通信環境を整備せず、完全テレワークに向けて突っ走ってしまったため、通信に余計な負荷をかけないように雑談は原則禁止され、オンライン会議も顔を映さず音声のみとされた。そのため、必然的に書類作成と事務連絡中心のやりとりが労働時間の大半を占めることになり、ずいぶん味気ない人間関係になってしまったてらいがある。


 恩羅さんとも、そのような感じになってしまった。

 ここ一年彼女の顔を見ていない。


 会えなくなると、とたんに彼女に会いたくなった。彼女はエロさだけではない。いつも俺の仕事を支えてくれて、一緒に悩んでくれた。100%俺が悪いミスをした時ですら、「部長の指導力、管理能力不足です」と咄嗟についた嘘を元に、強引に上司に責任転嫁してまでフォローしてくれた。


 もしかして、俺は彼女のことが好きなのでは? 


 その思いがますます強くなった。


 そして、今日久しぶりの出社となった。出社理由は機密書類の棚卸。紙ベースでしかできない作業のため出社を許可された。ラッキーなことに作業が大変なので、恩羅さんと一緒にすることなった。しかも、さらにラッキーなことに、その日の出社は俺たちだけという、神が与えてくれた奇跡が重なる一日となった。


 朝起きると、念入りに髭をそり、髪の毛をジェルで整えて、歯をみがき、歯間ブラシ、舌ブラシ、ダメ押しのブレスケアを飲んだ。


 ……。


 まあ、なにもないかと思うが、身だしなみは社会人で一番大切だ。


 アクフス禍以前に比べたらずいぶんと空いている、ミニ満員電車に揺られること一時間半。


 とうとう俺は会社に出社した。


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