第3話 ちらちらむちむち

「じゃあ、データチェックも終わったから、そろそろキャビネットにある機密書類の棚卸をしようか」

「そう、ですね。はじめましょうか」

「だね」

 恩羅さんは「んはあっ」と立ち上がり、ちらっと俺に目配せをする。その瞳が妖艶に光り、心を揺さぶる。

 てゆうか、なにそれ。

 んはあって。

 その切ない吐息。


「んあああっ」


 恩羅さんは肩の凝りを解すため、大きく腕を伸ばした。張り出した胸が、こちらの感情を置き去りにして奥の通路へと誘う。

 本棚、個人ロッカー、簡易倉庫が並んだ一角に、俺たちが目指すキャビネットがあった。

 恩羅さんはそのキャビネットを見つめて、なめらかに指でなぞる。


「じゃあ……。どっちが?」


「えっ、どっちがって……」

「ああ、ごめんね。どっちから?」

「えっと……」


 あたふたする俺に恩羅さんは、一枚の書類を手渡す。


「探す方と、読み上げる方よ」


 つまり機密書類リストから対象物を読み上げる係と、その現物を探し当てる係、どちらをやるって意味だ。

 ようは棚卸。以上、終了だ。

 こんな単純なことも理解できないほど、俺の脳みそは溶けていた。

 なぜなら、さっきから恩羅さんが大胆すぎるからだ。


「なんか、暑いね。空調って止められているのかな」


 もともと胸元まで大胆に露出させているカットソーをさらにずらして、書類でぱたぱた仰いでいるのだ。


「手令くん、暑くない?」

「そう、です、かね……」


 はっきりいって暑くない。

 むしろ寒い。

 だって二月ですよ。

 今日の最高気温九度だし。

 天気予報みてましたか。


「そうかな、暑いって思ったのって、わたしだけかしら」


 なおも彼女はぱたぱたと書類で胸元を扇ぐ。彼女が扇ぐぱたぱた音と、俺の心臓のばくばく音が、シンクロするようにリズムを合わせる。


 ぱたぱた、ぱたぱた。

 ばくばく、ばくばく。


「変……かな?」


 俺は言葉に詰まる。


「変……じゃないです」

「わかった……」

 彼女は書類で扇ぐ手をぴたりと止めて、にこりとする。

「ああ、落ち着いた」

「あ、あの、いや、一応空調を調べてみますね」


 やばいぞ、理性を失いつつある。

 いかんいかんと、この場から逃げるため、空調パネルを探す。

 あった。

 恩羅さんの背後、オフィスの入り口に。

「じゃ、じゃあ」と恩羅さんの前をすり抜けようとした、そのとき――


「あっ!」


 ほぼ同時に、二人は小さな悲鳴をだす。

 なんと、すれ違い様に俺の肩が彼女に触れて、彼女が持っていた書類を宙にはね上げたのだ。

 ばさばさと書類が欲望をのせて羽ばたく。


「すみませんっ」ばばっとしゃがみ、足元に散乱した書類を拾う。


「わたしこそ、うっかりしてごめんね」


 彼女もしゃがみ、ゆっくり丁寧に一枚一枚書類を拾いだす。


「あーあ。散らかったね」


 俺の目に、彼女の様々な姿が焼き付く。


 彼女が前屈みになると、開けた胸元が見えそうになり、彼女が斜め横をむくと、濃紺のスカートから、ふとももとふくろはぎが、はらりとのぞく。よく見ると、スリットがいい感じに入っているのがわかった。男心をわかりすぎているのだ。


 大して書類は散乱しているわけでもないのに、彼女は何度も何度も前を向いたり、横を向いたり、後ろを向いたり、せわしなく動く。

 その度にむちっとした素肌がちらちらと目に焼き付く。

「あー大変」と何が大変なのかわからない。


 ちらちら、むちむち。

 chirachira、muchimuchi。


 まあ、大変なのだが。

 多分、きっと、絶対……


 ちらちら、chirachira。

 むちむち、muchimuchi。


 だ、だめだ!


 ぶるんぶるんと煩悩を払い落とすため首を振る。今、業務中だろ。ちらちらむちむち、やってる場合じゃないだろ。馬鹿か、俺は。


 だが。

 だが。

 だが……。


 彼女を直視しないように視線をわずかに逸らすが、また視線を戻して直視して、また逸らす。そのどうでもいい目の動きを繰り返した。


 てゆうか、こんな煩悩を刺激するシチュエーションってある?

 彼女は垂れた前髪を片耳にかけて、


「まだ、書類が散らかっているね」


 と。

 俺にだけ聞こえるように囁いた。


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