第2話 染めたんだ

 オフィスには既に彼女の姿があった。


「恩羅さん、お久しぶりです」


 彼女はイスを回転させて、くるりと振り返る。


「手令くんも、久しぶりね」


 振り向きざまの彼女の容姿に、俺は息を呑んだ。

 久しぶりに見る彼女は……色気がやばいことになっている。


 季節は二月。

 本日の最高気温は九度。

 要は寒いってことだが、彼女の服装は寒さに対応したものではない。


 胸元まで大胆に露出させたパステルカラーのカットソー。

 スカートはベルトがリボン状になっており、濃紺色でひざ丈上。

 それもだいぶひざ丈上。

 少しの角度で見えちゃうんじゃないかと思えるほどに。


 春。

 以上、先取りしました。

 ついでにエロもうっかり先取りしちゃいました。

 という服装なのだ。

 そして極めつけは、


「恩羅さん……。髪の色、変えたんですか?」

「ああ」彼女は意味深に微笑んで、長い前髪を片耳にかける。「気分転換に染めたんだ」


 彼女の髪は燃えるように真っ赤だった。


 ていうか、気分転換にもほどがあるんじゃないか。茶色とかに染めるならわかるんだけど、会社員としてあまりにも大胆過ぎる。


「じゃあ、まずは書類のデータチェックしようか」


 透き通る肉声にどきどきしながら席についた。久しぶりに事務イスに腰を掛けると、背もたれがほどよく倒れて心地よい。普段、テレワークのため、自宅のちゃぶ台であぐらをかきながら作業していることもあり腰がやられてしまった。以前なら何のありがたみも感じなかったが、会社を離れるとこんな簡素な事務イスの素晴らしさが実感できる。


「こうして、デスクの前に座って仕事するのは久しぶりだね」

「そ、そうですね。ほんと、久しぶりですね」


 彼女は頬杖をつきながらこちらを向いた。男心をくすぐるほのかなフローラルの香りが漂ってくる。

 無用な緊張をしてしまい、声がうわずってしまった。

 でも、そんな少年のようにきょどってしまうのは仕方ないのではないか。


 だってさ、今の状況を神の視点で捉えてみるとこんな感じなんだぞ。

 ゆうに五百人は着座できるこのオフィスに、俺と恩羅さんただ二人。しかも、こんな広いオフィスを有効活用せず、互いに身を寄せながら(正確には隣の席同士なだけだが)、着座している。世界に残された最後の二人じゃあるまいし。


 ソーシャルディスタンス0。3密もいいところだ。


 こんなシチュエーションってありえる?

 しかも――


 彼女は俺のデスクの範囲内に置かれた、自分の文具入れに手を伸ばす。そのたびにキスするぐらい互いの顔が近づき、恐ろしいほど胸が高鳴る。


「お仕事中断させちゃってごめんね」

「いえいえ」

「久しぶりの出社だから、ボールペン忘れちゃって」

「どうぞどうぞ、ボールペンでもシャーペンでも、好きなだけ取ってください。あっ、でも、これって恩羅さんの文具ですよね。こんなの俺の許可なんていらないですよね」


 ははは、と緊張をごまかすように頭をかく。


「じゃあ……。遠慮なく修正ペンも取ろうかな」


 再び、彼女は俺のデスクに置かれた文具入れへと手を伸ばす。

 滑らかな素肌。麗しき白い腕。


 てゆうか、なんだこの状況。


 学生時代、俺は気付いていなかった。いや、気付かないふり、もしくは食わず嫌いだったのかもしれない。女性は若さに限る。そんな浅く偏った、視野の狭いものの見方しかもっていなかった。だが、そんな俺の狭い考えは、社会人になって、いや、恩羅さんに出会ってあっさりと覆った。


 色気やばすぎだろ。

 もうJK、JD、アイドルなんて、ただのお子様としか思えない。


「あっと……」彼女の唇がぷるんと淫らに揺れる。「黄色のマーカーも取らせてね」

「消しゴムもいいかな」「シャーペンの芯も欲しいかも」「ホッチキスは……とっ」


 何度も何度も、隣に座る彼女の手が俺のデスクに伸びる。そのたびに彼女との距離は近づき、そして離れていく。


 超冷静に考えて、恩羅さんの文具入れを、自分の手元へ置けばいいだけなのにそれをしない。


「セロテープ、セロテープっと……」


 なぜ、ただの文具がこんなにも……


「ノリもあるかな……」


 いや、もうしなくていいのだが。

 自分もそれを望んではいないのだが。

 もっとして欲しいのだが。

 だが。

 だが。

 だが……。


 恩羅さんは続ける。


「今度はポストイットも取らせてね」


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