乳首、全部剃り落とすっ!
秋サメ
ヒロインもヒーローもいない、お前たちへ
――真実を語れ。
たとえ、声が震えようとも。
***
大量の剃刀、大量の鋏、そして冷凍殺虫剤をテーブルに並べてシャッターを切る。
あとは画像編集ソフトに放り込んで適当に煽り文字を入れれば、サムネイルの完成だ。
動画の再生回数はサムネイルの出来が全てと言っても過言ではない。特に俺のような底辺YouTuberは何よりも気合いを入れて作る必要がある部分だ。
四世代くらい前のMacBookを開いて、椅子に座る。まだ動画は撮ってないが、先にサムネ作りに着手することにした。背景をぼかし、フォーカスを入れる。
そして、しばらく悩んだあと、テキストを打ち込む――。
【乳首、全部剃り落とすっ!】
風呂場にて、カメラを固定する。バスタブの中に入り、顔が映らない位置に立った。
「というわけで、やっていきまーす!」
テンションは普段の三倍を意識している。だがもちろん、これから乳首をそぎ落とすのが無性に楽しみだからではない。動画というのはそういうものであり、YouTuberというコンテンツはそういうものなのだ。
「えーまずは! この冷凍殺虫剤ですね!」
ここでSE、静止画。俺は動画の完成形を頭に浮かべつつ、欲しい画を撮っていく。剃刀、鋏……ここらへんの道具紹介は、あとで編集できる部分なので気楽だ。
だが、肝心の「乳首を切り落とす」部分は一発撮りだ。ズームやSE以外の編集も入れられない。
「じゃあ、これを……五分くらいですかね? 当てていきます!」
怖え! 怖いなあ! という小芝居を打つか迷ったが、ソロの新規男性YouTuberに必要なのはテンポ感であり、下準備はまだリアクションを見せる場面じゃない。倍速編集を念頭に、まずは左乳首にスプレーを当てていく。
ものの一分で乳頭が白くなる。思ったよりも感覚はない。乳首以外になるべく当たらないように調整する。違和感はあるが、ノルマの五分が終わった。
「えー、まだ取れそうにないですね」
指先で弄ってみる。まだ弾性があり、生という感じがした。
さらに十分当て続けていると、
「あっっ!?」
なんの脈絡もなく、胸元から転がっていく感覚がした。スプレーの成分が滴ったのかとも思ったが、確かめてみるとそれは紛れもなく乳首だった。
「とれましたー!」
カメラに見せつけるように近づけるが、ここはモザイク編集だな、と冷静に思う。それに、あまり時間を置きたくはない。
左の次は右だ。
「えーっと、両方取れたんですが……なんか、痛くはないですね。変な感じです。痒い……みたいな? たぶんまだ麻痺してるんだとは思いますけど」
乳首を手のひらにのせながらレビューしていく。
……ジンジンする。嫌な予感がするジンジンだ。風邪の引き始めのような、肌が鋭敏になる感覚。
なにをしているんだろう、とぼんやりと思う。
俺はどうしてこんなことをしているんだろう。
正気は狂気への必須条件だ。狂わないためには、正気を失わなければいけない。俺は強く奥歯を噛んで命令する。
それでもやるんだ。
やると決めたんだ。
***
俺でもやれると思った。
ストリーミングサービスで金を稼ぐゲーマーたち。
テンプレートをなぞるだけの“小説家”たち。
テンションが高いだけの動画投稿者たち……。
俺は決して“本物”じゃない。
何者かになれるとも思わない。
だけど“本物”未満の彼らが人気を集め、富を築いている……。
だから俺も、それになろうと思った。
なれないはずがなかった。
ストリーミングでゲームをし、雑談をした。
ついた最大視聴者は二で、そのうちの一人は俺のスマートフォンからだった。
どんな人気ストリーマーも、最初はそんなものだと言い聞かせた。
だから俺は一ヶ月続けた。
けれど、その数字が増えることはなかった。
コメントがついたことはある。作業配信、と銘打った配信だった。
『こんにちはー』
とそいつは書き込んだ。初めてのコメントだ。だから俺は嬉しくなって、いろいろと話しかけた。十秒後にコメントが返ってきた。
『あー、しゃべる感じなんですねw』
そして同接は一に戻った。
俺は配信をやめた。
***
小説も同じようなものだった。
クソみたいな文章に、キャラ名だけを変えたテンプレートが溢れかえるランキングを見て、俺でもできると思った。
たぶん、それは間違ってはいないのだろう。
日本語が書けて根気があるなら、誰にでも書ける。
だから書いた。
書けた。
だけど評価はされなかった。
アクセスがつくこともなかった。
俺は一ヶ月間毎日投稿し、壁打ちのような文章を書き続け、そして、ようやく理解した。
陽にあたれるのは、運の良い人間だけであり。
巧拙は決して関係なく、ただそこに幸運が如何に作用するのかだけがあるのだと。
今さらこんなことを真面目な顔で発表したところで、誰もが口を揃えて、「そりゃそうだろ」と笑うだろう。
世界はそういう風にできている。
どんなに良いものであれ、影にあるならそれは存在しないのと同じことだ。
だけどきっと、薄っぺらなコンテンツを眺めながら、誰もがこう思っているはずだ。
「自分だけは違う」と。
「やってみれば俺だってこれくらいできる」と。
そうだろう?
***
すべては初速なのだ。
初速が全てであり、それ以外の加速はゼロに等しかった。
俺は消えたくなかった。
消えたままでいたくなかった。
俺だって成り上がりたかった。
***
だから、俺は、乳首をそり落とすことにした。
***
「さて、一説によると」
と、俺は剃刀を右手に持つ。
「乳首の周りのこのプツプツがあるじゃないですか。これが、次の乳首になるらしいです」
俺は血の流れる乳頭のあったあたりをなぞる。むずむずする。
「このプツプツが中心に移動して、だんだん乳首になるんですって! なので、ですね」
剃刀をぴたりと当てた。
「これも、そり落としちゃいます!」
声がわずかに震える。
それでもやり遂げなくてはいけない。
刃を当てると、ひやりとした感覚があった。それを差し込んでいくと、痛みが火花を散らして歯茎にまで伝わっていく。俺はいま、サブ乳首の根元を刈っているのだ。涙が流れるが、それがどうしてなのか分からない。痛みは七割で、残りはたぶん、情けないからだ。
円形に皮膚を削ぎ終える。思ったよりも血が流れない。
冷やすことで鈍っていた感覚が戻り、今頃乳頭を千切った痛みがジクジクとやってくる。
しかしまだ、片方が残っているのだ。
俺は意を決して、残りの乳首たちへと刃を向けた――。
***
「うっ……うううううっ……」
歯を食いしばる。
血が固まり、皮膚のない部分が硬くなるまで服は着られない。すでにかゆみがやって来ていたが、掻くわけにもいかず、俺はスマホから動画を母艦へと移している。
「さて……」
編集ソフトを立ち上げて、集めておいた素材をちりばめていく。
カット編集、ノイズや色彩の調整……。
……当然、この動画はすぐに消されるだろう。
だが、注目はされるだろう。それで良いのだ。
そうでさえあれば、俺だってなれる。
“本物”未満でも、金を稼ぐコンテンツに。
「あ……そうか、モザイクってどこまでだろ……」
AIによる自動BANを避けるため、修正は必要だ。
とくに、男性の乳首は扱いが難しい。TwitchなどのサービスはBAN対象だったはずだが、動画はどうだろう。
そう思って、俺は「乳首」で検索をかけて、
六時間前に上がった、その動画を見た。
『【ASMR】乳首を剃ってみた♡』
目の前が暗くなる。
一瞬閑かになった心臓が早鐘を打ち始め、乳首の跡地から猛烈な勢いで血が出ていくのが分かる。
何度も、何度も見間違いかどうかを確かめる。
『【ASMR】乳首を剃ってみた♡』
…………何度読んでも、そこにはそう書かれていた。
被った。
被被った。被った。被った。被った。被った。
被った。被った。被った。被った。被った。被った…………。
どんなに奇抜なアイディアも、先駆者がいればそれは二番煎じへと落ちる。
そうならないよう、注意を払っていたはずだった。
それなのに。
「…………んでだよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺は頭を掻きむしった。泣き叫んだ。その動画はすでにめちゃくちゃバズっており、アラビア語とかのコメントもついていた。
しかも、しかも、投稿者は女だった。
「勝てるわけねえよおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
どんなコンテンツを出しても、「女がやっている」というその一点で男は勝てないのだ。
しかもバズる魔法の呪文である「ASMR」という文言つきじゃねえかよ。
俺は泣き叫び、声が出なくなるまで、嗚咽を上げ続けた。
***
なにもする気が起きなかった。
気がつけば休日が終わり、会社に行く時間になっていた。
初めて、無断欠勤することにした。そして、これまた産まれて初めて、
「…………海に行きてえな」
と思った。
あと、サボって海に行くのは映画みたいで良いと思った。
靴を履いてドアノブを回す。
外に出た。
空は青く、海の輝きが目に浮かぶようだった。
「ちょっとキミ、どうしたの」
おまわりさんがパトカーの助手席からそう声をかけてくる。
「上、着ないの?」
……そういえば上裸だった。
でもたしか男の上裸はよかったはずだ。
「てか血出てるよ。これもう、あれだね。職質だね」
「はあ」
寝てないせいで、抵抗する気も起きない。パトカーに乗り込む。
「身分証、出せる?」
「……ないっす」
「なに、どこ行くつもりだったの」
「ていうか、乳首どうしたの」
「質問攻めですね」
と俺は笑った。警官は「まあ、職質ってそういうものだから」と柔らかく答える。
「で、裸でどこ行くつもりだったの」
「会社サボって……海に……」
「おー、エターナル・サンシャインだ」
「こんなエターナル・サンシャインあるか?」
服は着なさいよ、と言いつつも、警察は駅まで送ってくれた。
俺は降りて、歩き始める。
電車を使うつもりはなかった。上裸だし、駅員に止められるに決まっている。
周囲の目線が突き刺さる。
まず、肌色成分の多い俺の身体全体に。
そして、今はもうない乳首のあたりに。
スマホのレンズが向けられる。
分かっていても、俺はなんとも思わなかった。
どうせそう注目されることはない。
俺はただの、乳首を全部剃り落とした、二番目の人間だ。
一番目の女がいる限り、俺がひなたに行くことは、もうないのだ。
***
海に着くころには、日が暮れていた。
夕闇の迫る空を、波が運んでいく。
「…………」
その繰り返しを、俺は眺めていた。
「ふっ…………っくく……」
肩が震える。
無性におかしかった。
膝を抱えて砂浜に座る自分という存在が、陳腐でありきたりでテンプレ的で。
いくつかある人間のパターンのひとつでしかなさすぎて、おかしかった。
どうしてこうなったのか、波のリズムにのせて考える。
何度も何度も考える。
乳首の痛みと共に考える。
それに疲れて、ようやく、現実を見つめることになる。
もういいや、と思う。
うすらぼんやりとした勝ち方だけを散々教えられて、俺はここまで負け方を知らなかったのだ。
だから、こんな醜態をさらすことになる。
負けたら立ち上がれ! とか言われたりする。
前を向いて歩け! とポップな音楽にのせて、歌詞は流れていく。
くそ食らえだ。
音楽を流通に乗せることができるような人間は――歌詞を書くような人間は「負け」をどんなものか知らない。
それはただの負けたフリだということを知らない。負けるというのは、二度と光を求めないことだということを知らない。雌伏と混同して、前向きなメッセージに変換したりする。
砂浜に寝転がり、うっすらとしか見えない星空を見たりする。
俺は負けた。
負けていた。
初速が乗らなかった時点で、負けは決まっていた。
お前だってそうだ。
たぶん乳首のあるお前も、それが分かった頃合いだろう。
分かってくれたのなら、乳首をなくした俺がこうして存在する意味がある。
お前が負け方を、知ってくれたのなら――。
俺と一緒に、負けてくれたのなら。
***
敗者であることを自覚した俺たちにも、日々はやってくる。
俺たちは“本物”未満のコンテンツを広告つきで無料で眺めながら、特に期待しない日々を送る。
季節はめぐり、やたら暑かったりやたら寒かったりする。
そんな俺たちにも、いくつかのイベントが起きる。
イベントはランダムよりも偏り、良いことよりも悪いことをもたらし、一喜一憂したり、胃を痛めたりする。
それでも。
それでも。
本当に欲しかった勝利だけは決して手に入らず、俺たちがかつて憧れた“そちら側”に行くことは決してない。
それがかつて痛みを伴っていたことを、俺たちはもう忘れつつある。
キツい仕事と取れない疲れとしょうもない楽しみと、若くして金を持っている人間がはしゃぐ様子をぼんやり見ながら、俺たちは「いつかきっと」という思いすらも失いつつ。
なにかを喪っていく感覚だけをふとしたときに感じながら、生きていく。
それから――。
たまに、自分の変な形の乳首を見て。
元の形を思い出そうと、したりもする。
乳首、全部剃り落とすっ! 秋サメ @akkeypan
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