第16話

 カリフォルニアの事変から数日が経つ。7月も残りわずかとなり、わたしは輸血パックと包帯の拘束から解き放たれ、車いす生活を送っていた。こんな体なだけあって探偵業もままならない。


「師匠、お茶の用意が出来ましたよ」

「スカーサハたちの情報は来ているかしら?」

「またそれですか、きてませんよ。今はお体を直すことに注力してください。

 ささ、今日のお茶請けはカステラですよ」


 ——カインは知らないそぶりを見せているが、おそらくジャックがわたしに情報を行かないように封鎖しているのだろう——

 ……まったく、迷惑なものだ。

 郵便配達人の訪れをポストが伝える。


「やっと来ましたか」


 カインはわたしの許可なく封筒の封を開ける。


「師匠、気分転換にお出かけしましょう」

「なにを言っているの?この場を離れるわけのは」

「そんな体じゃあ足手まといになるだけですよ。準備は任せてください」


 そういうとカインはわたしの旅行カバンを取り出し、必要最低限の荷物を詰めていく。


「説明なさいバカ弟子」

「説明してたらあなたは来ないでしょう。ここは弟子が師匠をねぎらっていると思って」


 ——いつものわたしなら「生意気ね」と文句を言うだろうが、こんな体じゃあ意味がない。ここはカインの口車乗るとしよう——


 タクシーを呼ぶとセント・パンクラス駅へと向かう。


「そろそろ行き先を教えてもらえないかしら?」

「そうでした。今日はジャックさんからの依頼でプロヴァンスへ行けとのことでして」

「わたしの許可なく依頼を受けるだなんていいご身分ね。で、内容は?」

「行ってからのお楽しみだそうです」


 ユーロスターに乗り、わたしたちはフランスにあるリール・ウロップ駅へと向かう。

 車窓から流れる景色は瞬く間に変わっていく。プロヴァンスへはシルヴァ先生の仕事で同行してから行ったことがない。

 しかし、パロディンとの闘いの後から闘争本能が刺激されたのか移り変わる景色がゆっくりに感じる。


「師匠?」

「なんでもないわ。さて、食事にしましょう。昼間からワインが飲めるだなんて最高ね」

「師匠、このパンおいしいですよ」


 たわいのない会話だけが続いていく。思えばこの上半期、事件続きでこんなにゆっくりとした時間を過ごしたのは久しぶりかもしれない。

 ワインと軽食を楽しみながら流れる風景を楽しむ。すこしだけ心が和らいだように感じた。


「ジャック、たまにはいいことするじゃない」

「師匠っておいしそうにお酒飲みますけど、おいしいんです?それ」

「おいしいわよ。けど、お子様にはまだ早いわね」

「子ども扱いしないでください」

「そういうところが子どもっぽいわよ」


 身体を前のめりにしてカインの額を弾こうとするが、動かない足がわたしの邪魔をする。それを関頭いてか、頬を赤らめながらカインはわたしの手の届く範囲まで頭を持っていく。

 ピシッ——

 皮膚を弾く鈍い音が他乗客の団欒の中に静かに響く。



 リール・ウロップ駅のあるリールに到着すると、わたしたちはバス乗り場へ向かう。


「お身体の方は大丈夫ですか?」


「ええ、まだ大丈夫よ。プロヴァンスへ着くころにはきっと夜が更けているでしょうね」


 バスに揺られながらリールを離れていく。電車とは違い、ゆっくりと変わる景色は酒を飲んだわたしに眠気を呼び寄せる。

 気づけば風景は緑が生い茂る田舎が広がっていた。


「近くの村まで2キロ、映画館まで10キロか——」


「エドナ・ミレイの『プロヴァンスの休日』よ。そういえばアルもあの映画好きだったっけ」


 バスを降りたころには空には帳が下りようとしていた。今宵泊まる宿へ向かい、荷下ろしを済ませた後レストランへと向かった。

 テーブルに並べられる料理の数々はこの地域で取れた野菜や魚が使われており、特産品であるオリーブオイルやハーブ類に舌鼓が唸る。そしてなによりプロヴァンス特有の温暖な気候が作り出したローズワインがよく合うのだ。帰りに数本買っていくとしよう。

 デザートで出されたカラマンシーのタルトでおなかを落ち着ける。


「どうです?少しは落ち着きましたか?」


「ええ、満足ね。このまま寝てしまいたいわ」


「よかったです。きのうまでの師匠は意図が張り詰めていたようで少し怖かったので。あれを見てしまったあとでは仕方がないのかもしれませんけど——」


「そうね。さて、明日はどこにエスコートしてくれるのかしら?」


「師匠の行きたいところならどこへでも。あいにく、スケジュールを立てていないもので」


「フフフ、やっぱりバカね」



 翌日。ひさしぶりにぐっすり眠れたのか、8時に目が覚める。ぼさぼさの髪にオイルを馴染ませ、ブラシをかける。

 そしてインスタントティーを飲む。


「今日は早起きですね」

「ええ、しがらみがない朝は久しぶりだからかしら」


 

 着替えを手伝ってもらい、出かける準備をすませる。昨晩ディナーで訪れたレストランで朝食をとる。朝食はパンにカラマンシーのジャムを塗ったもの。


「さて、最初はどこに行きましょうか?」

「そうね、最初は……アルルに行きましょうそう。その次は跳ね橋かしら」


 カインは車いすを押しながらアルルの町を歩く。

 そのオレンジの屋根瓦と、ベージュの壁が美しいアルル。古代ローマと、ロマネスク式建造物が混合するこの街並みはいつ見ても美しいと感じる。


「ロンドン以外にもこういう町並みあるんですねえ」


「世界遺産よココ。ゴッホやビゼーにも影響を与えているすごい街よ。昔アルルの女って戯曲を聞きに行ったの覚えてる?」


「師匠はいろんな作品を知ってらっしゃるんですね」


「はぁ……まあいろんな公演に連れていってるから覚えていないのも無理はないか。また今度連れて行ってあげるわ」


 跳ね橋や闘技場を見た後、タクシーをつかまえ海辺の方へと向かった。1時間半という長い道のり。車窓の風景は緑生い茂る農地から空を落としたような海へと変わる。わたしたちはアルルから9キロ離れたフランス最古の港街マルセイユに訪れていた。

 車を降りると感じるほのかな潮風。この感覚はロンドンで生活していては味わえない感覚だ。

 ふと振り返ると目を輝かせながら海を眺めるカインがいた。その瞳はまるで子供のように輝いていた。


「あら、海を見るのは初めてだったかしら?」


「ええ、リヴァプールの時は暗くてよく見えませんでしたし、アメリカに行った時だって初めての飛行機で寝込んでしまったので。海ってこんなにも広いんですね」


 わたしは基本ロンドン圏内での仕事しか受けない。そのため海の近くに行くことはそうないし、休日は劇場に公演を見に行くことがほとんどのため縁遠い。


「すみません、俺が楽しんじゃって師匠の慰労旅行なのに」


「いいわよ、わたしはあなたの反応を楽しませてもらうから」


 モダン建築と古き良き文化建築が織りなすこの街には先生の仕事に同行して以来、来ていないが現在と過去が同居するこの街に来るとノスタルジーな気持ちに包まれる。


「これも昔の建造物なんでしょうか」


「いいえ、大きな戦争で一度焼けてしまったわ」


「じゃあどうしてこんな街並みに?」


「そうね、帰属感と言うべきかしら。みんな思い出を忘れたくないのよ。育った街の風景、誰かと恋をした時間、夢を追った青春、絶望の記憶。酸いも甘いも街には残る。けれど失って別のものになっちゃったら風化する。わたしはそういうところが好きよ。忘れたくない不合理があるところが」


「俺にもそう思えるなにかがあるのでしょうか」


「さあ。さて、良い時間だしランチにしましょう」


 港が見える席で食事を囲む。わたしはエビや貝がちりばめられたパエリアをカインは鰯のサーディナードを。今日水揚げされた新鮮な魚介を使っていることが下を通じて伝わってくる。

 カインとはほぼ毎日食事を囲む。いつもはレストランや事務所で食べるためかここで食事を囲むのは新鮮だった。潮風がその雰囲気の要因だろうか。


「ねえカイン、わたしが死んだらあなたは悲しい?」


 ただ何気ない質問だった。今は旅行に出る前のわたしよりも追い込まれていない。ただわたしは肯定が欲しかった。助けられなかった人、今ものうのうと生きるスカーサハ。わたしがもっと早く気づいていればという私自身の不貞が招いたのがあのざまだ。

 あの時、わたしは死んでしまってもいいと感じた。スカーサハを殺せれば、パロディンを殺せればそれでいいと。


「そんなの、悲しいに決まっているじゃないですか。俺だけじゃない。アルバートさんだって、ジャックさんも。」


 言葉一つ一つに強い感情が込められた嗚咽交じりの声。


「誰かを失うことなんて想像できない。けれどあなたを失ったら俺はどこに行けばいいんです?どうすればいいんです?」


「意地悪言ったわね。さ、そろそろ行きましょう。せっかくプロヴァンスに来たんだから、あそこに行かなくちゃ損ってものよ」


 太陽が西に差しかかり、空を赤く染め上げるころ。わたしたちはタクシーでプロヴァンスのヴァレンソール高原へと向かった。夕暮れが一日の終わりを告げる。

 すこし空気を含んだ土が広がる農地。土の優しい香りがかおる。


「これは——」


 野原一面に広がるラベンダー畑。

 夕暮れの静寂とラベンダーの高貴な紫が、油彩のような風景を創り出していた。畑のそばを通るだけで香る優美な香り。この風景は収穫時期しか感じることが出来ない。


「ねえカイン。あなたの疑問の答えになるかわからないけれど、きっと思い出が人を形作るのよ。アルルもマルセイユも誰かにとって記憶の一欠片なのよ」


「じゃあ、あの質問で抱いた感情も」


「そう、自分が知る誰かを失うことはその思い出の風化なのかもしれないわね」


 わたしは悪魔に殺された両親と先生のためにエクソシストになった。そして悪魔による犠牲者を増やさないために戦ってきた。きっとこの動機は自分のように、誰かが悪魔によって大切な記憶を失わないためだ。


「帰りましょう」


「はい」


 太陽は地平線まで続くラベンダー畑へ沈んでいった。



 プロヴァンスから帰ってくると、わたしはみんなを事務所に呼ぶ。


「おや、キミがお土産とは珍しいじゃないか」


「あなたには世話になったから。ジャック、心配かけたわね」


「かまわんよ。君が立ち直れたならそれでいい」


「アル、ごめんなさい。ひどいことを言ったわね」


「過ぎたことさ。ジャックさん同様いつもの君が戻ってきて僕もうれしい」


 土産を渡し終わり、わたしは車いすから立ち上がる。カインは心配そうな目を向けるが、笑顔で返す。一呼吸置き、心を決める。今の私が言わなきゃいけないことを伝えるのだ。


「みんなにはあらためて私に協力してほしい。わたしはスカーサハの計画を止めるために。悪魔による被害者をなくすために」


「おうよ!俺を操った仕返ししてやるぜ」


「先生の仇もあるしね」


「ありがとう」


 彼らがいれば負けることはない。そう強く感じられる。

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Devium 榑樹那津 @NatukiSeiiti

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