一段落

 都内の隅の、ある居酒屋にて。


「かんぱーい!!」

「乾杯」


 カキン、とよく冷えたグラスが叩かれる。黄金に透き通るビールが揺れて、泡がちょっと溢れた。

 誰に煽られたわけでもないのに、乾杯の勢いのままごきゅごきゅと大ジョッキを一気飲みした同僚が、嬉しそうに笑って。

 

「いや、よかったね緋秋ちゃん! 人生大逆転じゃん!!」


 お祝いに、今日はわたしの奢りだよ――と。

 そう、酔っ払い特有の耳が痛くなる大声――いや、コイツは素面しらふでもうるさいか――で言った。

 

「うん、まぁそうだね……悪い人たちでもなさそうだったし」


「えー? あのほぼ闇バイトみたいな条件なのに堅気だったの? そんなことある?」


 テーブルに体を乗り出し、小首をかしげる同僚。息が酒臭かったので、乗り出したのと同じだけながら答えた。

 

「いやまぁヤクザではあったけどね、それは別にいいよ」


「ちょっと緋秋ちゃんの倫理観歪んでるかもね! 忠告だけど!」


 けらけら笑う同僚。職失って弱ってる友人にヤクザの職場紹介するようなヤツが、言うに事欠いて倫理がどうとか偉そうに。癪に障るけど、まぁよい。

 ――ちなみに、おそらくコイツは、ここに来る途中の電車でもう吞んでいた。合流した当初こそ元々テンションが高い奴だから気付かなかったけど、乾杯直後にしてはあまりに。息くさいし。


 まぁ、それもよいとして。

 ついさっき乾杯したばかりだというのに、手を挙げて「大ジョッキおかわり~!」などと楽しそうに叫んでる同僚に向き直り、耳打ちするときのように声を低くし、コソコソと話しかける。


 分かりやすく後ろめたい話をするときの態度だが、これくらい分かりやすくないと、この同僚アホには通じないのでやむを得ず。

 

「――あのさ、同僚?」


「今更だけど、同僚わたしのこと同僚って普通呼ばないし、なんならもう同僚ですらないけどね!」


 珍しく正論で突っ込まれた。同僚――いや、同僚か――のくせに、なんか腹立たしいなぁ。


「お前の名前覚えらんないんだよ何度聞いても……いや、あのヤクザの組のことなんだけどさ?」


「んあぁ、『望月組』だっけ? それが?」


「いや、大したことじゃないんだけど。その……面接の最後、マキナちゃんって子に会ったんだけどね」

 

「うんうん」


 頬杖を突き、の枝豆を弄りながら、元同僚。

 ――たぶん酒のこと考えてるなぁコイツ。別にいいんだけど。

 

「なんかそのマキナちゃんを呼ぶ前に、組長さんがすごく仰々しい物言いしててさ。なんであの子呼ぶだけなのにそんなことしたのかなって」


 元同僚が皮を剥いた枝豆を、すかさず横から刺すように奪い取る。「あー!」と同僚が騒ぐのを無視して、一気に食べた。


「……美味おいしっ」


「ふふん、まぁわたしが剥いた枝豆だし?」


 それは違うけど。でも本当に美味しい。

 口当たりが良い。絶妙な茹で加減で、硬すぎず、だけど口の中でちゃんと形を保っていて、噛むと心地よい歯ごたえを返してくれる。

 それでいて味付けも――お酒のつまみとして調整されているのか――私好みの塩味えんみの濃い味付けで、塩と豆の旨味とマッチしていてとても美味しい。


 それを料理人の想定通り、キンキンに冷えたビールでぐっと流し込むと、もう頭がおかしくなるほど美味しくてたまらない。今まで感じたこともないような妙味に、脳みそが知らない物質を溢れるほど出しているのが分かる。

 

 思い返してみれば私は、こんなに良いつまみは殆ど食べたことがなかった。これまで仕事終わりのお酒といえば、いつも汚い茣蓙ござに直で座って塩を舐めながら安い日本酒をチビチビ飲んで悪酔いする――といった、本質的には娯楽というより現実逃避に近いモノだったので、良いつまみを用意する手間も惜しかったからだ。


 今日だって、元同僚が奢ってくれなければもっと安いお酒をもっと安いつまみで、あの暗くて狭い部屋で呑んでいたに違いない。そうなれば、この感動も当然なかったことになる。

 ――……


「……ねぇ、同りょ――」


「あぁ、マキナちゃんのことだっけ? あの子はね――」


 …………

 ――…………


「――あ、あれ? なんでそんなに怖い目をしてるの? わたしなんかした?」


「……私に枝豆を盗まれた」


「ならむしろ怒るべきはわたしの方であって然るべきでは!?」


「うるさい、早く話せ」


「もしかして緋秋ちゃん酔ってる!? まだジョッキ半分も飲んでないよね!?」


 酔ってないが。

 一瞬だけ湧いた元同僚への感謝はどうやらただの気の迷いだったらしい。むしろ、正気を失っている間に感謝なんぞを述べずに済んで良かったと思うべきか。


 ――同僚が、コホンと咳ばらいを1つ。それから、少し間を置いて、

 

「……マキナちゃんのことだけどね、は――」


「え、マキナちゃんのこと知ってるの?」


 思わず口を衝いて出た私の問い、しかしそれには答えずに――いや、わざわざ答えずとも続ける言葉が回答になっているということか――元同僚は続けた。


「――


 ……

 ――……?

 ――――――


「……お前、いくらなんでもちょっと酔いすぎじゃない?」


「酔ってな――くはないけど、でも本当だよ!?」


 ……いやいや。

 じゃあ、なんだ。ちょっと頬をいじって頭を撫でてあげると、猫みたいに目を細めて喜んでたあの子は、本当は私の予想がしたようなドロドロの怪物だとでも言うのか? この酔っ払いは。

 

 私が向ける懐疑の視線を弁解するように、元同僚は早口で続けた。


「あぁ、いや、オカルト的な話じゃなくてね? むしろその対極というか、あー……」


 ……?

 イマイチ話が見えてこないので、とりあえず小首をかしげつつ枝豆を食べる。言いたいことを纏められずに頭を抱える元同僚は、しばらく考えるような仕草をして――そして、ふと何かを思い出したかのような清々しい表情を浮かべ。さっきよりもずっと歯切れ良く、


「要するにね、――んだよ」


 と。

 

……?」


「そう、機械!」


 ははぁ……。


「まぁ、酒の席だしね」


「だから本当なんだって! ヤクザが何してる集団なのか知らないの!?」


「何って……なんか、パチンコ屋仕切ってショバ代巻き上げたり、風俗運営したり、高利貸しだったり……」


 そんなもんじゃないの、と締めくくる私に、同僚は首を横に振って。


「そういうのは、あくまでも活動資金を稼ぐための手段にすぎなくて、『本業』じゃあないんだよね。――まぁ、地方の小さいヤクザとかならそれを生業にしてるとこもあるけど」


 ……ほう?

 ちょっとだけ面白そうな話なので――どうしてコイツ元同僚がそんなこと知ってるのかは一旦置いておくとして――少し真面目に聞いてみると。


「実際のヤクザは、組全体で”科学”の研究をして、その成果でほかの組と抗争してるよ。全国統一を目標にね」


 それはまた……なんともまぁ、


「突拍子のない話だなぁ……酒の席特有の眉唾物というか……」


「ほんとのことなんだよ? 最近のヤクザは頭良いし、だいたい大学出てる」


「そこからどうしてヤクザになるの……?」


 『賢い人ほど騙されるカルト宗教』に近い何かを感じるけど……

 

「――緋秋ちゃんさ、『危険科学禁止法』ってどういう法律か知ってる?」


 ――ふと、同僚が声色を落として言った。


「どういう……?」


 それほど身近な法律でもないので、改めて聞かれると難しい。

 『危険科学禁止法』――大雑把には、読んで字のごとく、「科学は危険なので研究を禁止します」という旨の法律だ。成立はいつだったか……確か、かなり古い法律だったはずだ。


「すっかり国民に馴染んじゃって、今や誰も疑問を抱かない法律だけど――それこそ、殺人や窃盗を禁止する法律があるのを誰も疑問視しないようにね――でも、これっておかしいと思わない?」


「うーん……?」


 質問の意図がさっぱりわからないので、下手なことは言わず、代わりに首をかしげておく。

 元同僚の方も――どうせまともな返事が返ってくるとははなから思っていなかったのだろう――予想通りという顔で、特に取り合うこともなかった。

 

「つまりね――」


 と、右の人差し指をピンと立て、教授のようなしたり顔で元同僚。


「これまで人類文明の進歩は、科学の進歩だったわけだよ」


「はぁ」


「火の発見に始まり、車輪、文字、紙――ひいては電車や携帯電話など、どんどん進化していく科学。人々がそれらをありがたがって利用する中、ある日誰かがこう思った。――『この進化に、終わりはあるのか?』」


 …………。


「もちろん、そんなことは誰にもわからない。でも、この世に遍く森羅万象は、その全てが盛者必衰の理の下にあるからさ。それは、もちろん科学――即ち文明も例外ではない」


 …………?


「ま、一種の真理だよね。で、そのことに気付いた国の偉い人は、ある時、これ以上の科学の進化はいずれ人々に破滅を齎す。故に、科学の進化をこの時点で止めてしまえば、この先の終焉にもたどり着かずに済むと――そういう法律を作ったんだよね。これが危険科学禁止法」


 その一連の歴史だよ――と、終始したり顔だった元同僚は、そう締めくくった。

 しかし。


「…………??」


 その一方、終始困り顔だった私は、馬鹿の一つ覚えのように首をかしげ続けていた。


「えーっと……今の話、どっか分からないところあった?」困ったように眉根をひそめる元同僚。


「いや、まさかお前がそんな理知的な話できるとは思ってなかったから、つい……」


「ふふん、わたしほんとは賢いからね!!」


 あ、戻った。


「まぁ、なんとなく分かったけど。それとヤクザに何の関係があるってのさ――あっ」 


「いいねーその頭の回転。察しが良い人は話が早くて助かるよ」


 ――私が今まで出会った人間の中でお前が一番察し悪いぞ。

 ほぼ脊髄反射で喉のところまで上ってきた悪口を、しかしすんでの所で押しとどめる。――いや、と言った方が正しいか。


 というのも、それは決して、元同僚のメンタルを気遣った訳ではなく――柔和に笑う彼女が、ふとその笑みを細めたからだ。

 それはもはや『柔和』とは程遠く、底知れない才気を感じさせ――。鋭く不敵に笑う元同僚の雰囲気は、先ほどまでの、いや、これまでの彼女のものとは似ても似つかなかった。


 その差異に戸惑う私へ、元同僚は仰々しく締めに入る。


「クソったれの馬鹿が作った『危険科学禁止法馬鹿の法律』――それによって存在ごと否定された科学は、やがて錬金術や黒魔術のように現代社会から消えゆく運命だった」


 しかし――っ!

 

「そうはさせないと、科学が秘める無限の可能性を信じた一部の人間は、ヤクザ反社会的勢力になってでも科学の存在を受け継ぎ続け――そして遂にッ! 陰に隠れ、しぶとくあがき続ける科学に歴史はチャンスを与えた――!」


 そう――


――二人の天才科学者という形でッ!」


 ――超然と、壮大な歴史の語りを、そう締めくくる。

 

 気迫に満ちた空気から解放され、忘れていた呼吸を、深く息を吸い、戻す。


「それが次からの緋秋ちゃんの勤務先――望月組だよ。がんばってね!☆」


 と。

 いつの間にか普段の柔和な笑みに戻った同僚が、大ジョッキをまた一気飲みして、むせた。

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【失踪済】機巧妹マキナ 望月祐希 @umiwzm_101

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