悪待ちタイムロス
渡貫とゐち
もう少しで『悪』になる
「あの主婦……怪しいな」
三十代くらいか? きょろきょろと視線を回している。近くで誰か見ていないか、と不安になって挙動不審になっていた。
これは黒だな……、
手に持った商品をレジを通さずに外へ出れば、彼女は万引き犯、確定である。
持っていたボトルの調味料をコートの内側にすっと入れた……隠した!
片手には買い物カゴだ、そっちにも商品はあるが、あれは会計をするつもりなのだろう。なにも買わずに店を出ると怪しまれるから……一部会計を済ませた上で、コートの内側に入れた商品は万引きする……そういう手口か。
やり慣れている。
少なくとも初犯ではさそうだ。
「何回目か知らんが、これ以上、甘い蜜を吸えると思うなよ」
「そうですか? 初犯かもしれませんよ? やり慣れているにしては、挙動不審が過ぎると言うか……。それに、手口は調べればネットで出てきますし。
なにがオーソドックスなのかは判別つきませんが、過去の亜流が溢れていますよ。教科書通りなら教科書を見れば分かるわけで――初犯でも手口は凝っていたりするものです」
相方の万引きGメンが横から顔を出す。
本当は一人の方が追跡しやすいのだが……、二人いるなら別の方向から観察するべきだろ。
それに、あの主婦だけが万引きをするわけではない。
利用者はみな、万引きをする可能性を持っている。
二人で一人を見続けているのは非効率だ。
「お前……どっかいけ。あの主婦は俺が見張ってる。
一人を観察してて、二人、三人を見逃していたらバカみたいだろ」
「それもそうっすね。じゃあ、僕は別のコーナーにいってきます」
おう、と答え、俺は観察を再開する。
……買い物が長いな。
片手の買い物カゴには溢れんばかりの商品が乗っている。コートの内側の調味料もそこに重ねてしまえばいいのに……、だけどその数百円が、家計に大打撃を与えるのかもしれない。
カゴの中身の量を考えると、大家族、とはいかないまでも、二世帯で住んでいたりするのだろうか。家計が厳しい気持ちは分かるが、あんたが捕まることの方が、家計に大打撃だと思うが、そういう判断がつかないから万引きなんてするのだろう。
落ち着いて冷静になっていれば、万引きなんてしない。
すると主婦が動いた。
一通り、店内の物色を終えたらしく、レジの方角へ向かった。
コートの内側の調味料は隠し持ったままだ。俺は無線を使って相方に伝える。
「目標がレジに向かった。
会計をしていない商品があれば店の出口で止める……一応、お前も外に出ててくれ」
『ザッ……――ぁい、分かりました。こちらは異常なしです』
無線が切れる。
相方が向かった方のコーナーでは、万引きをしそうな人はいなかったらしい。
それを残念がるのもおかしいが……、いない方がいいのだ。
日々鍛錬を続ける軍隊が、出動しない方が平和であるのと同じで。
仕事柄、捕まえることが成績になるから、仕方なくはあるんだけどな……。
捕まえていないから『悪い』ってわけでもないのが救いか。見逃していたらまずいけど……。
目をつけていた主婦の番になった。
レジに商品を通し、お会計を済ませて――――……ん?
「……コートに隠し持っていた調味料、会計していた……?」
俺の目は誤魔化せない。
隠し持っていたら見つけることができるし、隠し持っていなければそこにないことを見抜く。
そして、店員が確実に、あの調味料をレジに通している。
「…………」
その気だったので、主婦を追って出口を出てしまう。
すると、外で待機していた相方が彼女を止めてしまった……――あ、バカ!
「あの、なんですか?」
「レジを通していない商品がありますよね?」
「? お会計しましたよ?」
後から追いついた。
あいつ、早合点しやがって……!
まあ、その気で指示を出してしまった俺も悪いが……。
こういう役目はまず、俺が声をかける段取りだっただろう。
「待て。……その人は万引きをしていない、俺の勘違いだ」
「え、でも……」
相方は疑う視線を主婦に向ける。
彼女はその目に嫌悪感を示した。
「なんですか? 万引きしなかったことに文句でもあるんですか?」
「そんなことはありません。
すみません、うちの若いのが……きつく言っておきますので」
「……この人、本当にしていないんですか?」
「していない。俺の目で見ていた……、最初こそ怪しい動きをしていたが、会計はちゃんと済ませていた。会計をしなかったことを裁くことはできるが、会計するまでどう持っていようが、俺たちになにかを言えることはない」
両手が塞がっていた、カゴがいっぱいだった――たとえそうでなくとも、なんとでも言える。
買い物の仕方まで指示できる立場に、俺たちはいない。
「あの……、もういいですか?」
と、主婦の方。
万引きをしていないのならば、彼女に用はない。
疑ってしまったことを謝罪し、彼女にはここで帰ってもらうことになる。
「すみません……。できれば、なんですけど……もちろん強制ではないのでお任せしますが……商品を服の内側に隠したり、マイバッグに入れたりするのは、我々が勘違いしてしまうと思いますので、控えていただけると――」
「気づいたその場で注意すればいいのではないですか? こうして、悪事を働くことを予測しておきながら、実際に悪事を働いたところを捕まえるのではなく、『やりそう』な人を事前に止めていれば、こんな勘違いは起きなかったでしょう?」
「それは……そうですね。怪しいと思った段階で声をかけるべきでした」
「声をかけられて怒る人もいますけど、『万引きしたでしょ?』と言われるよりは、『その持ち方は勘違いしてしまうので、方法を変えられますか?』と言われた方がこっちも聞きやすいです。摘発と注意なら、注意の方がマシですし、前者は追い詰めて、後者はその人のために言うものですから――犯罪が起きる前に止めてください」
「耳が痛い意見です」
「一時間くらいですか? 時間を無駄にしましたね。最初の数分で声をかけていれば、五十分は別のことに充てられたのに。私が万引きするまで見ているからですよ……、万引きを止めたいんじゃなくて、犯罪者を捕まえたいんですか?」
「…………、知って、いたんですか?」
「はい。見られているって、分かっていたので。いつ注意してくれるのかなーって試していたら、一時間経ってもこないので、お会計しちゃいました。
まあ、私は普通にお買い物をしていただけなんですけど……量が多いですからね」
マイバッグにしこたま入っている商品を見せてくる主婦。
彼女はにっこりと笑って、
「お疲れ様です。
悪事を待っても、絶対にそれがやってくるとは限りませんからね」
―― 完 ――
悪待ちタイムロス 渡貫とゐち @josho
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