十七話

 いつからそこにいたのか、まったく気付かなかった二人は呆然と見つめるしかなかった。


「マウリスにおやすみのキスをしようと思って来たのだけれど、随分と真面目なお話をしているようね」


 後ろ手で扉を閉めたローザは静かに歩いて来ると、マウリスのいるソファーの肘掛けに腰を下ろした。


「お話は、いつからお聞きになって……」


 アデルは恐る恐る聞いた。


「本当に義賊だったら、あなた達はどうするのか――その辺りから聞いていたわ」


 うつむき加減のローザの表情は薄く、感情が読みづらい。それがかえって二人を不安にさせた。


「あの、このお話の、ことは……」


「義賊とうかがったことには、その、こちらにも理由がありまして……」


「あなた達は、彼が義賊だと疑っているのね……」


 怒らせてしまったか――そう思い、二人は身を硬くしたが、ローザは顔を上げると微笑を浮かべて言った。


「その通りよ。マウリスは義賊をしているの」


「え……!」


 アデルとクロードは絶句して見つめる。まさかローザが認めるとは思ってもおらず、予想していなかった言葉に思考が一瞬止まる。だが同じように驚いた者はもう一人いた。


「ローザ、なぜいきなりそんなことを――」


 強い口調で言ってきたマウリスを、ローザは片手を上げて制した。


「疑われ続ければ、二人はきっと調べ始めるわ。そうなればあなたの行動に支障が出てしまう」


「だからと言って明かす必要は――」


「大丈夫。二人はあなたを捕まえる気はないと言ってくれた。そこに嘘はない……そうよね?」


 ローザの視線を受け、アデル達はすぐさま頷く。


「は、はい。嘘はございません」


「だったら、話してわかってもらうほうがいいと思うの。二人は、特にアデルは、私もお母様も信頼しているメイドで、私達を悪いようにはしないわ。だからすべて話しましょう」


 ローザの言葉にマウリスは、しかめた顔でアデル達を探るように見ていたが、やがて決心とも諦めともつかない息を吐くと口を開いた。


「……君がそう言うのなら、わかったよ。私は君を信じる」


 これに笑顔を返したローザをいちべつすると、マウリスは二人に目を向け、肩をすくめた。


「というわけで認めよう。君達が睨んだ通り、義賊の正体は私だ」


 認めたことに一安心するも、二人には疑問が山ほどあった。


「ローザ様は、このことをいつからご存知だったのですか?」


「何度か会った後に気付いたの。マウリスと義賊は同一人物ではないかって」


「しかしそれは義賊とも会わなければわからないことでは? どこかでお会いしたのですか?」


 これにローザとマウリスは笑顔で顔を見合わせる。


「彼と最初に出会ったのは義賊の姿の時……私の部屋だったわ」


 驚いたクロードはすぐに聞き返す。


「お嬢様のお部屋? では、マウリス様は義賊として、すでにこの館に侵入していたのですか?」


「ああ。あの時はある貴族の不正の証拠を探しに来たんだが、夜の暗さもあって入る館を間違えてしまったんだ。窓を開けて入ったはいいが……」


「物音に気付いて寝室から来た私と鉢合わせしたの。あの瞬間は心臓が止まるかと思ったわ」


 笑うローザにマウリスは苦笑いを見せる。


「あまりに不意のことで、すぐに引き返せばよかったんだが、逃げることも忘れてしまって」


「私も同じ。見知らぬ男性が突然現れて、声も出せず、足も動かなかった。そうしてしばらく向かい合っていたら、マウリスが急にこう言ったの。今夜は綺麗な月が出ていますねって。私、全然意味がわからなくて」


「こちらとしては騒がれないよう落ち着かせるために言ったことだったんだけど、でも結果として正解だった。ローザは最初こそきょとんとしていたが、敵意がないとわかると笑みを見せてくれた」


「だんだん冷静さが戻ると、この人は今街で噂の義賊ではないかって思って。勇気を出して聞いてみたら、案の定そうだった。貴族の敵ではあるけれど、私は周りの人ほど悪い印象は持っていなかったの。辛い庶民が大勢いるのは現実だし、その原因の一部が不正を働く貴族なら、正されるべきだと思っていたから」


「罵倒されるかと思ったが意外にも好意的で、そんなところからだ。ローザが気になり出したのは。後日、再び部屋の窓へ行き、ただ様子を見るだけのつもりだったんだが……」


「私は窓を開けて姿を捜していたの。実は私も気になっていて、もう少しお話ししてみたいと思って……そうしたら来てくれて、本当に嬉しかった」


 笑顔で話すローザに、クロードは不思議そうに聞いた。


「お嬢様は、義賊を相手にされて恐ろしくなかったのですか?」


「いいえ。逆に優しい人だと思ったわ。私を気遣ってくれるのがわかって、とても紳士的だと感じた」


「そう何度か忍んで会ううちに、私の心は奪われていった。愛が芽生えると、義賊という姿を脱ぎ捨てたくなってね。だからローザが出席する夜会を調べ、そこへマウリスとして会いに行くことにしたんだ。彼女は、素の私とも接してくれるだろうかと。多少の怖さもあったが、それは杞憂だった」


「マウリスが声をかけてくれた瞬間に、私はすぐに気付いたの。同じ人……あの義賊だと。まさか正体が王都に住む大貴族だったなんて驚いたけれど、安心もしたわ。これで本当に好きになってもいいのだと思えて」


「ではローザ様も、出会われた頃から好意を寄せられて?」


 アデルの質問にローザは少し照れた笑みを浮かべた。


「ええ。一目惚れと言ってもいいかもしれない。帽子とマスクで目元しか見えなかったけれど、その優しい眼差しと口調、謎めいた雰囲気はとても魅力的に感じられて……」


 これにアデルは以前に聞いた言葉を思い出していた。いとこのデルフィーヌの話で、ローザの男性の好みはミステリアスな人だと言っていた。義賊でもあるマウリスはまさに好みのど真ん中だったのかもしれない。


「お二人が親密になられた経緯はわかりました。ですが、こちらのお手紙でマウリス様が館へ来られた時、ローザ様のご妊娠を聞かれてすぐにお帰りになられましたが……あれは、一体なぜだったのでしょうか?」


 するとマウリスは口の端で笑った。


「単純なことだ。私はその時に初めて妊娠の事実を知り、動揺したんだ」


 アデルは丸い目で聞く。


「ローザ様のご妊娠を、ご存知でなかったのですか?」


「私が伝えていなかったの。教えた時に、マウリスが喜んでくれるのか不安で……」


 そう言ったローザの手をマウリスは握る。


「知った時は動揺したが、でもこれで決心がついたんだ。ローザと結婚しようとね。そしていつものように部屋へ会いに行き、ローザと話をしていたのだが……」


「廊下から声が聞こえてきて、私は一旦彼を窓の外へ隠れさせたの。そうしたらお父様が入って来て……後はあなた達も知っているわよね」


 ミシェルが堕胎薬を飲ませようとしたあの夜の出来事――


「窓の外でマウリス様はお話を聞いておられ、それで薬瓶を奪い、割ったのですね」


「ああ。私とローザの子を殺させるわけにはいかないからな」


 これはアデルが思った通りのことで、さらにもう一つのことを確かめる。


「ローザ様が、お腹のお子の父親が義賊であると仰ったのは、やはりマウリス様を逃がすためだったのですか?」


「ええ。皆を引き止めるために。でもそうでなくても、父親は義賊だと言うしかなかったけれど」


「なぜですか? マウリス様が父親であると仰れば、ご主人様と奥様をよりご安心させられると思いますが」


「彼が義賊だということは絶対にばれてはいけないこと。私と素のマウリスとの接点は、ただ一度夜会で会ったことだけ。そんな人が父親というのは無理があるし、時間的にも辻褄が合わないわ。もし正直に言って彼の行動が調べられてしまったら、もっと大変な事態になってしまうでしょう? だから誰も正体を知らない義賊と言うしかなかったの」


「ローザはとにかく私と義賊とが結び付かないよう気を付けてくれたんだ。だがいずれは私が父親と名乗り出るべきとは思っていた。あとはその方法と機会を見つけるだけだったんだが……」


「そんな時に義賊が捕まった話を聞かされたの。私はてっきりマウリスのことかと思って、しばらく放心状態で過ごしていたわ。もう二度と会えない悲しみに打ちひしがれていた」


 この話が出回った時、ローザは確かに悲しみに暮れる様子を見せていた。あれは演技などではなく、マウリスが捕まったと思い、本当に悲しんでいたのだ。


 するとクロードが質問する。


「そう言えば、捕まった義賊というのは誰だったのですか? 名前は確か、ニコラス……」


「ニコラス・オリエ。私の師だ」


「マウリス様に、義賊としての技を教えた方、ということですか?」


 マウリスは静かに頷く。


「……先生が捕まったことは寝耳に水だった。いつも完璧に動き、不正の証拠を探し当てて、しくじるところなど見たことがなかった。三十を過ぎて、最近は体力が落ちたとは言っていたが、心配をするほどではなかったんだ。それがなぜ捕まってしまったのか……今も信じられない」


 暗く沈んだ顔を上げるとマウリスは続ける。


「私にとっては辛いことだったが、しかしこれはローザにしてみれば、子の父親を失ったことになる。そう気付いて私は結婚の許しを得に行くことにしたんだ。ガリフェ卿も、義賊が父親であるよりは、血がつながっていなくとも私が父親であったほうが良いと考えてくれると思ってね」


「けれど、実際は血がつながっているのですよね?」


「もちろん。あの子は正真正銘、私の子だ。ガリフェご夫妻を騙すような形になってしまったが、義賊と私を結び付けさせないためには仕方がない。申し訳ないことではあるが」


 つまりミシェルとマデリーンは、自分達の孫が死んだ義賊の子だと、間違った認識をし続けることになるわけだ。本当なら手放しで喜べるはずが、真実を知る者からすれば何とも気の毒にも思えてくる。


「マウリス様はそもそも、なぜ義賊になられたのですか? 大貴族のご子息という恵まれたお立場であるのに」


 アデルは最大の疑問をたずねた。義賊は庶民の味方だが、貴族には敵でしかない。それなのに貴族のマウリスが敵である義賊になっているのは不思議としか言いようがない。


「師と仰った義賊――オリエさんと出会われたことがきっかけだったのでしょうか?」


「ああ……先生とは街で出会ってね。私は身分を隠して街へ行くのが好きで、その日も飲み食いしながら何軒も店を渡り歩いていたんだ。その内の一軒に先生がいて、話しかけられた私は気付けば何時間も会話を楽しんでいた。先生の話すことは興味深く、しかも考えさせられることばかりだった。庶民の暮らしから王政の未来まで、内容は幅広く、そして何より人々の行く先を憂えていた」


 マウリスはうつむくと硬い表情を浮かべた。


「聞けば先生には妻子がいたらしいのだが、親族と始める商売のための土地を巡り、地主と揉め事が起きたそうで、解決できないまま数ヶ月が過ぎた頃、二人は事故でこの世を去ってしまったという。当初は不運な事故として割り切っていたが、手に入れるはずだった土地にすぐに立派な建物が造られたのを見て、先生は怪訝に感じたという。そこで地主に直接話を聞きに行ったら、あっさり話したそうだ。先生の奥方より金を多く出してくれる者に売ったと。しかし最初に購入する契約をしたのは奥方だった。それが後から来た者に売るのは契約違反と言える。それを指摘すると地主は、売らなければここで商売ができなくなると言い、貴族に脅され仕方なく売ったと明かしたそうだ。そうなると先生は事故死も怪しく思えた。その貴族にとって邪魔なのは先に契約してしまった奥方だ。死んでくれれば契約は無効になる。そのために事故を装い、殺したのではとね……」


「……実際は、どうだったのですか?」


 静かに聞いたアデルにマウリスは微笑を浮かべた。


「予想通りだった。実行犯は地主で、それも脅されてやらざるを得なかったと白状したそうだ。その地主は捕まったが、黒幕と言える貴族に役人達は手を伸ばそうともしなかったらしい。権力を恐れたか、賄賂でも貰っていたか……先生の中にある怒りと憂いは、それが始まりだったという。罪を犯しながら特権階級というだけで野放しにされていることは、個人的な怒りは元より、この国をじわじわ腐らせてしまう恐ろしさがある。先生はそういうことを私に、真剣に教えてくれたんだ」


「マウリス様は、そのお気持ちに共感されたのですね」


「私も、同じ貴族の者が怪しげな会話をしているのを何度か目の当たりにしていた。そういう場に出くわした時は深入り無用と見て見ぬふりをしていたが、この私の行動が誰かを苦しめる結果につながるのだと考えると、私もやはり汚い貴族の一人だったのだろうな……。時間を持て余していた私は、そんな先生の話を受け、何かできることはないかと聞いた。それが、義賊になる第一歩だった。まさか先生が英雄と呼ばれる義賊だったとは、後に知らされるわけだが」


 マウリスには師であるオリエの志がしっかり受け継がれているようだ。見て見ぬふりをした自分を戒め、同じ貴族であっても不正は暴く――それは確かに立派なことで、亡き師の無念や思いは大事にすべきでもある。けれどマウリスはもう独りではないのだ。最愛の妻と子がいるのだ。不正を見逃すことはできないが、そちらを優先して守るべき家族を不幸にはしてもらいたくない――アデルとクロードが恐れるのは、その一点だけだった。


「マウリス様のお気持ち、ご決断はとても素晴らしいものと思います。ですが、オリエさんが思いがけず捕まってしまったように、マウリス様もいつ足をすくわれるかわかりません。義賊としての行動をやめていただければ、私共は安心して見守ることができるのですが……」


 控え目な口調で頼んだアデルはマウリスの答えを待つ。が、口を開いたのはローザだった。


「マウリスが義賊をやめるなんて、考えられないわ」


 ローザは同調してくれると思っていたアデル達は、意外な反応に思わず驚いた。その様子を見てマウリスはくすりと笑う。


「……聞いての通り、私よりもローザのほうが義賊に関して熱心でね。実を言えば私も、君達と同じような考えを持っていたんだ。大事な家族を持ち、これ以上義賊でいることは危険ではないかと。そんな思いを明かしたら、ローザは即座に反対してきた」


「だって、義賊はマウリスしかいないのよ? 不正を暴く勇気を持った人は他にいないのよ? 彼がやめたら、また不正は闇に埋もれてしまうじゃない」


「ですが、暴いているのは同じ貴族の方々の不正です。そういったことを続けられれば、ご自分のお立場も悪く――」


 クロードの言葉をローザはぴしゃりとさえぎった。


「自分に害が及ぶからやめるべきというのは間違っているわ。そこでやめれば、その害は不正で被害を被った者に行ってしまうのだから。そしてその被害者は街の人々かもしれない。私達を支えてくれる人を見捨てるなんて、絶対に駄目よ」


 アデルは呆然と見つめていた。ローザは優しい心の持ち主ではあるが、ここまで正義感に溢れているとは知らなかった。もしかしたらマウリスに影響されたのかもしれないが。


「ローザ様は怖くないのですか? マウリス様の身に万が一のことが起きたらと……」


 アデルが聞くと、ローザは微笑みながら答える。


「怖くないわけではないわ。想像すれば震えるものを感じる。けれど残念ながら、貴族の一部には私利私欲を優先している者がいるのよ。それを知り、それを暴く術を持ちながら何もしないのは、目の前で溺れている人を無視することと同じ。無責任なことだわ。被害者を生まないためにできることがあるのなら、積極的に動くべきでしょう?」


 立派な言葉と思いにアデルは反論もできず、ただ頷くしかなかった。ローザに感心する一方で、しかし気持ちは複雑だ。平穏な幸せを願いたいが、義賊という存在はやはりどうしても気がかりになる。


「お気持ちはとてもよくわかります。ですがそれではローザ様の幸せなご生活に――」


「あら、まるでマウリスが義賊であると、私が不幸みたいな言い方をするのね」


「そ、そういうつもりではないのですが……」


「でもアデルはそう思っているのでしょう?」


 うつむいて黙るアデルをローザは見つめる。


「私は義賊でもあるマウリスを愛し、結婚をしたの。そこに後悔はないし、不幸を感じる要素もない。子供も産まれて、むしろ幸せに浸っているわ。あなたの言うように、万が一彼の身に何かあっても、私はそういう男性と一緒になったのだから、覚悟はしているつもりよ」


「ローザ様……」


 アデルはローザを見つめ返す。確かに、義賊と知りながら結婚したのだ。早い段階からその覚悟はあったのだろう。それでも幸せだと言うのなら、もうアデルに口を挟む余地はなかった。何をもって幸せかなど、それは人それぞれだ。他人が決め、押し付けるようなものではない。そこに危うさが含まれていようと、当人が納得しているのなら、それも正当な幸せなのだろう。


「まあ、二人は君を心配してくれているだけで、その心配も当然のものだ。私が失敗しない保証はないからね」


「マウリス、冗談でもそういうことは言わないで。心配しながら暮らしたくないわ」


 妻に言われ、マウリスは握った手を軽く叩いて笑う。


「悪かった。……ということで、ローザの意向で義賊は続けさせてもらう。だが先生が亡くなり、人手は私だけになった。不正の証拠を集めるのも時間がかかるし、手の込んだ計画も立てづらい状況だ。これまでは先生と共に集めた証拠が残っていたからすんなりビラを配ることができたが、この先はその回数も減る。行動は必然的に抑えることになるだろう」


「それでは、危険な目に遭う可能性も減ることに……?」


「そういうことだ」


 アデルとクロードは小さな安堵を見せた。義賊を続ける以上、危険との隣り合わせは続いてしまうが、行動が少しでも抑えられればそれに越したことはない。その分、ローザの平穏は増すのだ。


「人手があれば、作業も分担できて早いのだが……これも先生は最初、独りでやっていたのだからすごいことだ。私も誰か見込みのありそうな者を見つけて引き込んでみようか……」


 そう言ったマウリスの視線が、正面に立つ二人を見据えた。


「……君達なら私の手伝いができるかもしれないな。ローザにも信用されているし。どうだろうか」


 二人は丸い目で見返す。


「……は? 手伝い、ですか?」


「別に貴族の部屋へ侵入しろとは言わない。それには十分な練習が必要だからね。まずは集めた証拠の精査とか、簡単な聞き込みぐらいからだ。私が義賊だと突き止めた洞察力があれば、もう少し違った手伝いも任せられると思うが――」


「お、お待ちください! 私共に、義賊の仲間になれと仰るのですか?」


「仲間ではない。手伝いだ。だが仕事ぶりが良ければ、いずれ仲間に誘うかもしれないが」


「それはもう、半分仲間になったようなものでは……」


 唖然とする二人にマウリスは笑みを向ける。


「もちろん無理にとは言わないが、悪い者をあぶり出すには私一人の力では足りない。先生の志に共感してくれるのであれば、どうか力を貸してほしい」


 夫に続いてローザも言う。


「不正で腐った貴族はいつか国を破綻させるわ。けれどマウリスが暴き続ければ、そんな者達を抑止できるし、もしかしたら、国王陛下のお耳にも入るかもしれない。悪を照らし、真っ当に裁かれるまでは、義賊という存在は必要よ。アデル、クロード、お願い。彼を手伝ってあげて。誰かが泣いている陰でほくそ笑んでいる者は、あなた達も許せないでしょう?」


 懇願するローザの真っすぐな眼差しを受け、二人はお互いの意思を確かめるように顔を見合わせた。言葉はないが、その表情から気持ちを推察する。そうして再び正面に向き直ると、まずはクロードが答えた。


「……申し訳ございませんが、お手伝いをすることは、できかねます」


「クロード、どうして――」


 ローザがすぐさま聞こうとしたのを、マウリスは手で制して止めた。そしてその目は次にアデルを見やる。


「……君は、どうだ?」


 聞かれて、アデルは伏し目がちに答えた。


「ローザ様のお言葉であっても、私も、お手伝いをすることはできません」


 信頼する二人に断られ、ローザはわかりやすく肩を落とした。しかしその隣でマウリスはにこやかに二人を見ていた。


「そうか。とても残念ではあるけど、仕方がない。君たちにも危険が及ぶことだからね」


「いえ、危険であろうとなかろうと、できるものならお手伝いをしたい気持ちはあるのです」


「あるのなら、なぜ?」


 首をかしげたローザをアデルは見つめる。


「私共はガリフェ家に仕え、その仕事には誇りを持っております。その裏で義賊に協力するというのは、どうも気持ちの整合性に欠ける気がして……」


「義賊は貴族の敵だから、そう感じるのもおかしくはない」


 マウリスは納得したように言う。


「それともう一つ……」


「何?」


 ローザの水色の目に見つめられ、アデルは静かな声で言った。


「これ以上の秘密を、私は抱え切れないと思いまして……」


「秘密?」


「お子がマウリス様の実子であること、そのマウリス様が義賊であること、さらにその義賊のお手伝いを私がするなど、秘密の上に秘密が重なり、いつか心が耐えきれず押し潰されてしまうのではないかと……」


 これにローザとマウリスはお互いを見ると、うっすらと苦笑いを浮かべた。


「……おかしなことを申しました」


「いいえ、そんなことはないわ。私達はあなた達に、すでにかなりの重荷を背負わせていたのね」


「あの、だからと言って、マウリス様のことを明かしたりはいたしません。この秘密は死後、墓の中であっても守るつもりでおります」


「そんな心配はしていないよ。君達は私を前にしても正直な気持ちを教えてくれて、誠実な人物だとわかった。口封じなどしないから安心してくれ」


「申し訳、ございません……」


 謝る二人にマウリスは首を横に振る。


「私がわがままを言っただけなんだ。謝らないでくれ」


 背もたれに身体を預けたマウリスは、大きく息を吐いて天井を仰いだ。


「……では、不正調査と並行して、人材探しもしなければな」


「焦ることはないわ。ゆっくり、一つずつこなしていきましょう。私も人材探しなら手伝えるかも――」


「ローザ様! お手伝いをなさるのはお控えになってください!」


「お嬢様の身に何かあっては大変なことになります!」


 アデルとクロードが揃って止めたのを見て、ローザは驚いたように瞬きをする。そんな光景にマウリスは笑みを浮かべた。


「本当に君は、この二人に愛されているんだね」


 はっとしたアデルとクロードは、ばつが悪そうに顔をうつむかせる。その姿を見てローザは優しい笑顔を向けると言った。


「ええ……私も昔からずっと、感じていたわ」


 その後、マウリスは義賊の仕事にローザを関わらせないと約束し、一安心した二人は部屋を後にした。


 結局、義賊をやめさせることはできなかったが、ローザが望むことなら二人は見守っていくしかない。危険に襲われないよう祈りながら……。


「……やっぱ、お手伝いしたほうがよかったかな」


 薄暗い廊下を並んで歩きながらクロードが呟いた。


「何? 本当はそうしたかったの?」


「いや、そうじゃないが、お嬢様ががっかりされてたからさ……」


「ああ、あのご様子は確かに心が痛んだけど、でも私達が仕えるのは義賊じゃないわ。それだけは間違えちゃ駄目よ」


「そう、だな。俺達はご主人様と奥様のために仕事をしないとな」


「ええ。ローザ様は嫁がれて遠くへ行ってしまわれたし……。だけど、ローザ様だけをお手伝いするならいいかも」


 クロードはいぶかしむ顔を向けた。


「……どういうことだ?」


「だから、ローザ様の純粋なご用事ならお手伝いしても構わないでしょう?」


「純粋?」


「マウリス様の意が含まれてない、ローザ様ご自身が望まれてることなら、これからもお助けになれると思うの」


「それってつまりは、後ろにマウリス様がいるのを知らないふりでお手伝いを――」


 アデルは人差し指を立て、クロードの言葉を止めた。


「義賊の手伝いだと知らなければ、秘密を抱えることにもならない、でしょう?」


 呆気にとられたクロードだったが、アデルの本心を知り、静かに笑い出した。


「ふふっ……そうならそうだって言えよ」


「危険のあることだから、一応立前は付けておこうかと思って」


「そのために一度断ったっていうのか? まどろっこしいやつだな」


「明日またローザ様にお話しするわ。それとなく理由を含めてね。クロードはどうする? お手伝いする気はある?」


「ったりめえだ。アデルだけ抜け駆けでやらせるかよ」


 途端にやる気をみなぎらせたクロードに、アデルは嬉しそうに微笑む。


「これからもあなたとはローザ様のために、一緒の行動が続きそうね」


 笑顔で言葉を交わしながら、二人は薄暗い廊下の奥へ消えて行く。メイドと警備主任の秘密の仕事は、この先もまだ続くことになりそうだ。

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妊娠しただけです。 柏木椎菜 @shiina_kswg

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