十六話
翌日――朝の忙しい仕事を終えたアデルはクロードに声をかけられると、館の外へ引き出され、庭の片隅に連れて来られていた。
「……ちょっと、私、次の仕事があるんだけど」
「少しぐらい遅れても平気だろう。それより昨日の話をしてくれよ。気になって気になって今日は寝不足なんだぞ」
「今晩話すって言ったじゃない。それまで待てないの?」
「待てないから連れて来たんだろうが。ここなら今は部下もいないし、聞かれる心配もない」
「もう……しょうがないわね」
大きな溜息を吐いたアデルにクロードは興味津々な目を向ける。
「で、どういうことなんだよ。マウリス様が義賊ってのは」
「私はあの方が義賊なんじゃないかって思ってるんだけど……」
「でも義賊は死刑になって今はどこかの土の下だ。死んだことは大々的に知らされたし、最近は街で貴族の不正のビラがばらまかれたって話も聞いてない。生きてるとは思えないが」
「ええ。そっちの義賊は確かに死んだんでしょうね」
「……そっち? どういう意味だよ」
アデルは腕を組んで言う。
「いろいろ考えてみたんだけど、義賊は一人じゃなかったって結論に至ったの」
「まあ……あれだけ不正を暴くのは大変だろうし、仲間がいてもおかしくはないが、でもそれが何でマウリス様だって言うんだよ。何か証拠でもあるのか?」
「ないけど、根拠はある」
「どんな根拠だ」
「先日の、マウリス様が結婚の許しを貰いにいらっしゃった時、私、気になって扉越しに話を聞いてたんだけど――」
「のぞき見の他に、盗み聞きまでしてたのか? クビにされても知らねえぞ」
「そ、それは今関係ないから。……その会話の中で、奥様がお腹の子を堕胎させるつもりなのかって聞いたの。そうしたらマウリス様はこう言ったのよ。そちらがなさったような危険なことはしないって」
「……うん。それで?」
無反応のクロードをアデルは呆れた目で見た。
「わかってないの? 今の言葉の意味」
「え? ただの普通の会話だろう? 堕胎は危険なことだし……」
「そこじゃなくて! マウリス様が使われた言葉よ。そちらがなさったようなって部分」
言われてクロードはじっと考え込む。
「……何かおかしいのか? 現にご主人様は堕胎薬を飲ませようとしてたんだ。それを言ってるだけだろう?」
軽く息を吐いてアデルは聞く。
「じゃあ、その堕胎薬を飲ませようとしたあの夜の光景を思い出してよ。あの場に、マウリス様はいた?」
宙を睨んだクロードは、すぐにその目を見開いて声を上げた。
「……ああっ! そうか! あの場にはご主人様と奥様、お嬢様にアデル、それと警備隊の俺達しかいなかった」
「そうよ。あの夜、ご主人様が何をなさったか知ってるのは、あの場にいた人間だけ。マウリス様が知ってるはずはないの」
「そうだな。知るはずないのに、そちらがって言い方は確かにおかしい……マウリス様は何で知ってるような言い方をしたんだ……?」
「私達の他にもう一人、あの場にいたでしょう?」
その指摘に、クロードは思わずアデルを見つめる。
「……まさか、あの侵入してきた義賊が、マウリス様だったっていうのか?」
聞かれてアデルは首をすくめた。
「だって、そう思うしかないじゃない。私達以外に知る人間は、あの時の義賊しかいないんだから。そう考えると、あの時の彼が堕胎薬の瓶を奪って割った行動も納得できるわ」
「そうか、あの義賊がマウリス様なら、お嬢様のお子を堕ろさせるなんて絶対に許すはずがない。なぜなら愛する人の子であり、自分の子でもあるから……」
「ローザ様が愛した義賊の正体がマウリス様であるなら、そういうことになるわ」
「じゃあ、お嬢様が逃げた義賊を俺達に追わせなかったのは、正体を知られるわけにいかなかったからなのか?」
「そうかもしれない。父親と明かすことで逃げる時間を作ったのかも……そうなると、ローザ様が最初に惹かれたのは、義賊姿のマウリス様なのか、素のマウリス様なのか、どっちだったのかしらね」
「どっちでもなく、同時だったのかもしれない。前に奥様と話してる時に、お嬢様がやって来て義賊の話になったことがあっただろう。憶えてるか?」
「そう言えばそんなことがあったわね。あの時のローザ様はまるで義賊の味方だった」
「少なくともあの時点では義賊に心を寄せてた。身ごもられ、親密な関係になられたのはそれより前だから、正体がマウリス様だとわかっててもおかしくはない。……アデル、お前すごいことに気付いたな。いつからそう思ってたんだ」
「扉越しの話を聞いた時からよ。そこで疑いを持った。それまでは気付きもしてなかったけど……昨日のローザ様のご様子を見て、自分の疑いに少し確信が持てたわ」
そう言いながらアデルはプロポーズされるローザの嬉しそうな姿を思い出す。
「義賊の死が知らされた直後こそ、ローザ様は暗く沈んではいたけど、今はその悲しみを忘れたかのようにマウリス様と睦まじく、幸せそうになさっているわ。最愛の男性を失ったばかりで、あそこまで振る舞えるものかなって思うのよ。でも愛した義賊がまた別の人物で、しかもマウリス様であるなら、ローザ様が結婚をお受けし、喜ぶ笑顔を浮かべられるのも頷けることだわ」
「なるほどな……つまり、お嬢様は俺が心配したような複雑なお心にはなってないのか」
「それはわからないわ。幸せそうになさってるのは表面的なことかもしれないし」
「何だよ、義賊の正体はマウリス様って言い出したのはアデルだろう」
「そう疑ってるだけで、証明するような材料は何もないわ。ただ私がそう感じただけの話よ」
「でもマウリス様が義賊なら、しっくりくることが多い。俺は間違いなくそうだと思うが」
「実際どうなのか調べようがないし、そんなことしてローザ様のお祝いの雰囲気を壊したくないわ」
「じゃあアデルは、自分の疑いを放っておくのか?」
「……クロードは問い詰めにでも行くの?」
これにクロードは険しい表情を見せた。
「お嬢様は承知なさってるかもしれないが、しかし夫が義賊なんて危険すぎる。お嬢様のこの先の人生に影が差すことになる。死刑になった義賊と同じ道をたどらないとも限らないんだぞ。もしそうなったらお嬢様はどうなる。アデルは後悔しないのか?」
複雑な表情を浮かべ、アデルは言う。
「それはマウリス様が義賊だった場合の話で、今はまだ動く時じゃないわ」
「らしくないな。お嬢様を慕って献身してきたなら、危険な要素はすぐに取り除くべきだ」
「ローザ様はマウリス様を愛しておられるのよ? そこに水を差すような真似は慎重にならざるを得ないでしょう。だからって別に、このまま疑いを無視するつもりもないけど」
「無視しないなら、どうするんだ」
「しばらく待つ」
クロードは呆れたように笑う。
「はんっ、それじゃ無視と変わりないな」
「大違いよ。待つのはマウリス様の行動を見るためで、もし義賊であるなら、そのうちまたどこかの街に現れたっていう話が聞こえてくるはず。そうでないなら、何も話は出てこない。街で騒ぎがないなら私達も問い詰める必要はない……お二人が平穏に過ごされるのに越したことはないんだから」
「うーん……そういう意図なら、まあ、待ってみてもいいかもしれないが……俺はマウリス様が義賊なのは濃厚だと思うが」
「そうであっても構わないわ。待つ間、義賊が現れなければいいんだから。ローザ様のために、義賊をやめてくれればいい……それなら、たとえ義賊だったとしても問題はないわ」
「わかったよ。なら、しばらく様子見してみるか」
「ええ。疑いを強めるのはそれから。何せ事が事だから、慎重にならないとね……」
果たしてマウリスは義賊なのか――それを探るべきか判断するための基準として、死んだはずの義賊が再び街に現れるか、アデル達は待つことにした。現れなければ探る必要はない。ローザはそのまま平穏に暮らせばいいのだ。だがもし現れてしまったら、マウリスが義賊である可能性が高まり、見て見ぬふりはできない。不正を暴く義賊とは言え、法的には犯罪者なのだ。ローザをその妻にさせたままにはできない。ただちにマウリスを問い詰めねばならないだろう。できればそんなことにはならず、ローザの幸せをいつまでも見守っていたいのがアデルの気持ちだ。しかし疑いが生まれてしまっては確認しなければならない。大きな間違いであってほしいが――そんな心境のまま、アデルはローザとマウリスを祝い、館を出て王都へ向かうローザを見送った。結婚式はアルバクス家で執り行われ、これで二人は晴れて夫婦となった。この後、出産を控えるローザにはまだまだ幸せが待っていることだろう。それなのに、その知らせはとうとうアデルとクロードの耳に届いてしまった。義賊が貴族の不正を訴えるビラと共に、庶民に金をばらまいたと。
英雄を失ったと思った街の人々は大いに喜んだが、アデル達の心には重さが増す出来事だった。マウリスを問い詰めねばならない時が来てしまったのだ。義賊が現れたということは、疑念が高まったということ。様子見は終わり、次はこちらが動く番だった。だが相手は王都に住む大貴族で、すぐに会えるような者ではない。マデリーンに頼むにしても、義賊の話はさすがにできず、父親捜しを終えた今、メイドがそんな頼み事などできるわけもなかった。そうして問い詰める機会を探している中でも、街からは時折義賊の活躍の話が聞こえてきて、アデル達にローザの心配をさせた。マウリスが義賊だったら、これは大変なことなのだ。最初の義賊のように捕まる前に、早く接触しなければ――そう思うも、大貴族とメイドとの間にはとてつもない距離がある。結局、歯噛みして動けないまま数ヶ月が過ぎていった。
季節は春に終わりを告げ、間もなく夏を迎える爽やかな時節になっていた。臨月だったローザは無事男子を産み、母子共に何事もなく出産を終えた。その出産で使い果たした体力が戻った頃、ローザは孫の顔を見てもらいたいと、ガリフェ家へ里帰りする旨を手紙で伝えてきた。もちろん夫であるマウリスも一緒にやって来る。それを知り、メイドとして出迎える準備をしながら、アデルはようやく問い詰める機会を得ようとしていた。
遠路はるばるやって来た二人は、幸福に輝いているようだった。マウリスはローザに寄り添い、その顔を見つめては微笑む。ローザは笑顔を絶やさず、隣の夫と、自分の腕に抱く我が子に笑いかけていた。これ以上の幸せの形などあるのだろうか――そんなふうに思わせるほど、二人は幸せに満ち溢れていた。
祖父母となったマデリーンとミシェルは、初めて会う孫に最初はかなり複雑な様子を見せていた。当然だ。孫は義賊との子で、マウリスの子ではないと聞いているのだ。しかし、いざ赤子を目の前にすると、その無垢な可愛らしさに夢中となり、二人揃って笑顔を浮かべながら、ふわふわな小さな手を握っていた。どんな者が親であろうと赤子を前にしては、誰もその魅力にあらがえないのだろう。堕胎薬を飲ませようとしたミシェルは、心の中で密かに反省しているかもしれない。
家族との時間は終始楽しく、和やかに過ぎていった。王都での暮らしぶりや初めての子育てと、ローザに話題は尽きない。マデリーン達も大貴族の生活を興味津々に聞き、夕食の場になっても談笑は続いた。やがてそれも終わり、片付けをするメイド達を横目に、マデリーンとミシェルは話し疲れたのか、早々に自室へと戻って行った。ローザも子の様子を見るため、部屋へ向かう。残されたマウリスはまだ酒が飲み足りなかったのか、通りかかったアデルを呼び止めると言った。
「寝酒を貰えるかな。仕事を終えたら私の部屋に持って来てほしいんだが」
「……かしこまりました」
立ち去って行くマウリスをアデルは見つめる。これこそ絶好の機会だと、夕食の片付けを終えたアデルは早速行動に移った。
「……入ってくれ」
来客室の扉を叩くと中からマウリスの声がして、アデルは静かに押し開けた。
「ワインをお持ちいたしました」
盆に載せたワインボトルとグラスを見せると、ソファーでくつろいでいたマウリスは側の机を示す。
「ありがとう。ここに置いてくれ」
言われた通りアデルがワインを置くと、マウリスは怪訝な表情で聞いてきた。
「……私は、警備を頼んだ覚えはないが?」
アデルの肩越しに見えたもう一人――クロードに気付いて聞いた言葉だった。
「彼は警備人だろう? なぜここに――」
「実は、おうかがいしたいことがあるのです」
数歩下がり、クロードと並んだアデルは真剣な顔で言った。
「私に、聞きたいこと……?」
「誠に勝手なことであると自覚はしておりますが、しかし使用人の立場ではマウリス様と相対してお話しできるお時間はいただけず、失礼を承知ながらうかがいに参りました」
神妙な態度を見せる二人をマウリスは見つめる。
「そう言えば君達は、以前私と会ったことがある二人だね」
「憶えておいででしたか」
「あの時は確かローザについて聞かれたんだったか。……もしかして、またそれか?」
「いえ。おうかがいしたいのは、マウリス様についてのことです」
「私のこと? 聞かせるほどの面白い話はないと思うが……」
そう言いながらマウリスはワインボトルとグラスに手を伸ばす。
「単刀直入にうかがいます。マウリス様、あなたは、義賊ではありませんか?」
これに伸ばした手はぴたりと止まり、マウリスの不思議そうな目が二人に向いた。
「……いきなり、突拍子もないことを聞いてくるんだな」
「違いますか?」
両手を組んだマウリスは小さく笑う。
「どういう理由でそう思ったか知らないが、私が義賊なわけがないだろう」
最初から素直に認めることはないとわかっていた二人は疑うに至った根拠を示すつもりだったが、その前にマウリスが口を開いた。
「……けれど、もし本当に義賊だったとしたら、君達はどうするんだ? ガリフェ卿に知らせるか? それとも私を縛って役人に突き出すか?」
二人は一瞬顔を見合わせると言った。
「そういうことはいたしません。ローザ様を不幸にさせてしまうだけですから」
「ではどうするんだ?」
「義賊をやめていただくよう求めます」
「捕まえずに、義賊をやめるよう説得する、ということか?」
「はい。義賊は犯罪者ですが、行っていることはすべて悪とは言えません。貧しい者を助け、歪んだ行いをする者を日の下にさらすのは、むしろ善とも言えます。しかし続けるにはあまりに危険なことです。その身に何か起これば、否応なく周囲の人間が巻き込まれてしまいます。せっかく得た幸せを、ローザ様には失ってほしくないのです」
続けてクロードが言う。
「私共が願うのは、お嬢様がご家族と共に穏やかに過ごされることだけです。それ以外のことはどうでもいい……と言うと自分本位すぎますが、でも強く願うのはそれだけなのです。義賊であったことを咎めたり、吹聴するつもりはありません。すべてはお嬢様のためですので」
真剣に答えた二人を見ながら、マウリスは微笑んでソファーの背もたれに寄りかかる。
「君達の気持ちは素晴らしいよ。単なる使用人としての気遣いを飛び越えて、まるで家族のようだ。ローザへの愛情だけならガリフェご夫妻にも負けないかもしれない。……君も、そう思わないか?」
二人に聞いた言葉かと思ったが、マウリスの視線は二人を通り越した先を見ていた。それをたどり、アデルとクロードはゆっくりと振り向いて、そして瞠目した。
「……ローザ、様……!」
そこには半分開けた扉の陰に立つローザの姿があった。
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