しもだてらぷそでぃあ。

荒川 麻衣

第1話 時代劇は、もう古い。

「返してくれないかな。

 そこのおひいさん」


「はい、オッケーです」


 はい、カット、オッケーなんて今の現場では使わない。

 ここは日光江戸村。京都で時代劇を撮ったのも今は昔。しかも、予算がおりない。

「深作欣二が亡くなってもう何年も経ちますし、時代劇って言うのを今更撮る、物好きはいませんよ」


 主演は、今流行りの2.5次元演劇に出演している、いわゆる2.5次元俳優という奴だ。モデル上がりだと聞いた。2.5次元俳優は、身体能力が高い。ネオ時代劇、と素人が呼ぶ、世界線の違う江戸時代の話を元にした舞台が増えたため、彼らには殺陣を最初から教え込まなくて済む。

 要するに現場の手間をなくすため、手抜きの指導がまかり通っている。手抜きの脚本、手抜きのキャメラ、手抜きの演出、なにもかも手抜きだ。


 蜷川さんが生きていたら。

 つかさんが生きていたら。


 何かしらお小言をいう姿が目に浮かぶが、年寄り連中は、蜷川さんは青山で、つかさんは散骨したから、骨はもう海のどこかにある。すでに、雲となり、雨となり、つかさんの骨は、大地を潤しているかもしれない。


 役者連中が頑張っているからこそ、今の時代劇を取り巻く環境を思うと、やるせないし、やりきれなくなる。


 演技はいい。

 でも、現場が、壊滅的にダメだ。


 ため息をつく。


 やっと入れた時代劇の現場は、長田さんから聞いたとおりだった。惨めで汚く、低予算の、悲惨さをきわめている。怪我人は続出した。


 果たして、このシリーズは、うまくいくんだろうか。


 時代劇を、自分で時代劇を、と言う夢はあきらめたことは、ない。壊滅的に才能は舞い降りてこなかった。


 今じゃあ、現場の手伝いがせいぜいの、弱小助手だ。

 

 もう、何日も寝ていない。

 練習のチェックだ、上背が、無駄に高い背のせいで、

「あ、そこのお前。

 そこ、立って」


 主演俳優、和辻哲也は忙しいらしく、合間合間にやれ、主演舞台の取材だと、休憩時間にはSNSに載せるための写真、メイキング用のキャメラ、とひと息つく間もないほどだ。


 だから、自分みたいな人間でも、ときどき、ライティングの調整に呼ばれる。正直、和辻さんの雰囲気は自分には出せないと思うが、どれぐらいの光が出るか、ぐらいの調整には役立っているらしい。


 正直、今の俳優に、かつての名優と同じ物を求めても、無駄だ。男らしさに、かっこよさ。痩せ我慢しない、すぐに泣く、舞台に立つ楽しさだと。

 とはいえ、佐藤浩市に、三國連太郎のかわりがつとまらないし、中井貴一が佐田啓二の、遺伝子がつながっていても彼の良さとはまた違った方向だ。だって、佐藤浩市は真田広之の付き人だった堤真一を顎で使っていたが、三國連太郎が使っていたのは別の人間だろう、さすがに昔の現場となると、死者に聞くしかないだろうが、そう言ったむかしの話を聞く手間はなるべく避けたい。たとえ怠惰としても、昔の現場に憧れて帰って来れなくなるよりは、目の前に集中したい。


 もうない、蒲田を追い求めることはやめたのだ。


 と思っていると、さっそく、主役のお出ましだ。


 裏へ引き上げる。

 まぁ、トラ扱いだし、トラを現場で調達、スタッフから適当なのを引っ張る時点で、大部屋に対する敬意も、時代劇に対するリスペクトもない。そんな現場に砂漠に水をやるように。


 いや、砂漠なら多少なりとも水は染み込むだろう。このむなしさは、たとえば、ラーゲリでけやきの木を切るむなしさに似ている。いくら切っても、けやきは頑丈だ。だから、びくともせず、幾人の日本人が倒れたのか。この様子を、帰れなかった、多くの日本人は、いや、日本に来たいと願ってうみの藻屑と消えた人たちには、どう映る。


 死者は、静かだ。何も語らない。言葉も口も持たない。だからこそ。先人たちに敬意を。

 

 つちぼこりの舞う、町人屋敷、という設定の建物に、キャメラ、キャメラのレンズ一式、すべてをずらりと並べ、一個一個ほこりをふく。


 時代劇でいちばんの手間はここだ。まさか、現代劇のように舗装された道路を必ず使えるわけでもない。結局は、未舗装、つちぼこりの舞う場所が撮影場所に選ばれるので、いちいち、現代劇では必要のない手間がかかる。


 僕が、初めて時代劇の現場について知ったのは、和辻さんがデビューするよりはるか前の、1998年だったと記憶している。新人ですらない和辻さんは21世紀の人で、20世紀の現場には縁がなかったし、話す必要も僕にはないと思う。

 世の中は、金で動いている。どんなに演技がうまくても、金さえ稼げなければ、去るしかない。芸能界で、金を稼いでいるのは、一番下手な連中だ。クラスで、教室で、養成所で一番下手な人間ほど上に行く。


 見渡しても、子役時代に一緒だった人間は、どこにもいない。いても、それは女性でなく、男性なことを、人は知らない。どこの劇団でも、養成所でも、女性から先に抜けて、男だけが成功の階段を駆け上っていき、簡単に女より高い地位にあがっていく。竹馬は、男性のためにあるのであって、最初から、女性は竹馬に乗せてもらえない。その竹馬は、最初から男性を乗せていき、いつしかその竹馬は宇宙空間まで届くが、女性は竹馬に乗れたところで、邪魔が入って落ちていく。ロンドン橋が落ちます、あぶないですよ、淑女さん、である。コックニイ訛りだと、ロンドンの下町、オーストラリアだとマイファイアライディらしいが、マイフェアレディの原作はピグマリオン。


 マイフェアレディでは、暴力男ヒギンズを選ぶが、バーナード・ショーの結末では、イライザは別の男を選ぶ。頭の足りない、バカで純粋な男。上方婚、玉の輿ではなく、貴族階級をだまして、ちゃっかり階級の仲間入りを果たすのだ。作者本人が悩んで出した結末に手を加えたのが二次創作のマイフェアレディ、残念ながらわたしもマイフェアレディしか見たことがないが、マイフェアレディが広まったのは、アメリカが禁酒法以降に平和を入手したから、パクスブリタニカはヴィクトリア朝で終わり、パクスアメリカーナだったからこそだ。


 この現場で一番の問題は、素人がエキストラなことだ。

「大部屋から引っ張ってこいよ。

 ピラニア軍団だって、大部屋での時代劇経験があってこそ。

 エキストラに予算を割かないのは」

 

 まただ。

 この現場に入ってから、長田さんの言葉がこだまする。


 呪いのように、このことばは、コロナ禍になってからよみがえるようになった。


 まず、舞台、ブロードキャスト。放送部を舞台にした作品で、この歌は、街中でどこでも流れている。


「ブロードキャスト!声だけなら顔だってごまかせる!

 ブロードキャスト!

 顔でなら主役はれなくても、

 声ならイケメン!

 ブロードキャスト!ブロードキャスト!」


 しかし、舞台、ブロードキャストは、公演中止が決まった。


 そのあと、別の形で、ほら、ミュージカルRENTのあの、伝説の初日のように、椅子に座っての舞台となった。


 真っ先にリストラ、首を切られたのは、気の毒なことに、今まで、ブロードキャストを支えてきた、ブローマンたちだった。

 ブローマンというのは、キャストが演じるラジオドラマを代わりに演じる人たちだ。どうしても、音声だけで、声だけでは若い俳優、経験の浅い俳優だけで表現するのは難しい。

 だから、ブローマンが、衣装や小道具を変えて、時代を超え、時には性別を超えた。


 ゆるせなかったのは、俺が出演したい、と思っていた舞台も、真っ先に、コロス、要するにコーラス、舞台に厚みを持たせ、登場人物に寄り添う役がばっさりきられたために、俺は、選考試験を受けないまま、宙ぶらりんの状態になった。


 とてもじゃないけど、食べてはいけない。

 でも、どうしても、夢から、芸能の世界をあきらめるなんて、できない。


 クズだろうが、人から後ろ指をさされようが構わなかった。


 しかし、目の前にいるのは、舞台に立てる喜びを、臆面もなく語っていた、人間だった。


 和辻さんが悪いのではない。あの苦しみ、悲しみをトラは、沈黙すべきでなかったし、あんな発言を、編集者は出すべきではなかった。後世に紙の雑誌に、平気で述べる姿を残したら、後輩に突きつけられたら、どう、彼自身にいいわけさせるのか。まるでニュルンベルクか、東京裁判のようにか。裁かれる必要のない人間が死んで、一抜けた、ヒトラーに押し付けようとした、一部の無責任な奴らを思い出す、ナチスドイツにすべてをおっかぶせた、ナチスドイツだけが悪いのではない、三国同盟に参加した日本にだって、ユダヤ人狩りの責任はあるはずだ。


 ユダヤ人を積極的に、最低でも200万人は、とても、ドイツだけでは殺せない。世界がはいどうぞ、と手を貸さない限りは。


 それに気づいたのは、自分自身がユダヤだと気づいたからだ。


 ちきしょう、と思った。


 おそらく、ユダヤの血を絶やさないためには、ナチスドイツか、それに準ずる優勢思想の持ち主でなければ、生き残れなかったはずである。



 わたしは、発狂した。


 そんなある日。

 同期が死んだ。

 

 同期は、同じ茨城出身で、ともにたたかうはずだった。


 バタイユ・ロイヤル。

 

 とある有名監督の遺作の、最終選考試験会場で、彼と出会った。

 茨城出身だと名乗ると、はにかむような笑顔でほほえんだ。


 いばらきなんだ!嬉しいよ!

 また、どこかで会えたらいいね!


 その日は、彼が亡くなったのは私の誕生日だった。

 信じられなかった。


 誰もが彼をいたんだ。


 その時に気づいたのだ。


 ああ、俺が死んで今この世から消えたところで、誰も芸歴なんて振り返ってくれない、おしいひとを亡くした、なんて誰も言わないだろう。


 からからと笑った。乾いた笑い声が、こだまする。防音壁がないのに。


 俺が稽古場を去ったのは、彼の死が俺をえぐったからではない。死にたくなったから、でもない。

 耐えきれなかったのだ。


 彼と同じ世界にいたのに、彼の悩みに気づかなかった。一度きりの出会いでも、人生には影響を与える。


 でも、おれには、彼を語る資格がない。


 農業の研修中に、あの人が訪ねてきたのは、とつぜんだった。


 時代劇なんだけど。


 お前、やりたがってたじゃん。


 予算はおろせないし、金は出ないんだけど、勉強、してみないか。


 交通費と、宿泊費、生活費は、俺が出すから。


 思ってもみないさそいだった。


 飛びついたのは、金から、ではない。

 どうしてもまた、彼が見られなかった景色を、見たかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しもだてらぷそでぃあ。 荒川 麻衣 @arakawamai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ