やんごとなきストーカー
高黄森哉
ストーカー
「でさー、やっぱストーカーだよなぁー」
「いや、だから、俺の彼女にストーカーが付いてるってこと」
智之がその存在に気が付いたのは最近だった。どうも、彼女の周りには怪しげな男が常にいる。彼らは、耳に無線のイヤホンを付けていたり、長袖を着ていたりするので、直ぐに見分けがつくのだという。
彼の友人は考え過ぎだと思った。ストーカーの妄想は、精神病のよくある症状である。最近、バイトをし過ぎているから、疲れているのだろう。
「いや、それもそうかもしらんけどよ。ただ、なんかこう、やっぱり判るんだよな。露骨っていうか。あっ。ほら、あいつ見て見ろよ」
彼は中年を指さした。彼の話の通り、夏なのに長袖であり、耳には無線のイヤホンを装着している。だが、それだけでは、疑うに足りないと思った。実際、よくある身のこなしである。
「でもあいつ、さっきから、あの新聞を眺めてるだけで、ちっとも捲ろうとしないぜ」
友人はもう一度、振り返った。彼は丁度、新しい頁を開いていた。それがむしろ不自然だった。まるで、彼らの話を聞き、あわてて取り繕ったみたいではないか。
「俺達、疲れてるのかな」
「そうさ。僕らはバイトを詰め込み過ぎた。大学生の分際で、健康ドリンクを点滴代わりにシャカリキになりすぎたのさ」
「そうかな」
「彼は君の言うストーカーと同一人物なのかい。ここからは顔が見えないけれど、体格で分かるだろう」
「それが、どうやら集団ストーカーみたいなんだ」
ぶっ、と思わず口からメロンソーダを吹き出した。絶対に被害妄想だ。だって、いち個人をそんなに団体で付け回してどんな特になるのだ。おまけに彼の彼女の相貌は平均よりやや下くらいだった。
「馬鹿にすることはないって話だ。あれでも可愛い所があるんだよ。特に教養があるんだぜ。俺たちとは違ってよ」
「中身が大切って話なら僕は聞き飽きたよ」
「そいつあ、違うぜ。顔の造りを愛するように、その人の知能を愛する人間が存在する、とだけ告げておこう」
「それは分かったけど、だけど、それでも彼女を付け回す価値なんてないよ」
「それもそうなんだが、でも、そうであるべき、というのは関係なくて、そうである、というのが問題なんだ。むしろ、そうであるべきなのに、そうでないしな」
「君の勘違いだ」
「そう言ってくれると、心が軽くなるんだがよ」
正樹は妄想から脱した様子の友達を見て安心した。ウエイトレスがハンバーグを持ってくる。煮え切れない智之は、包丁を取った。そしてふと、先程から話さない彼を不審に思った。彼の表情は凍り付いていた。
「どうしたんだ、おい」
「い、いや。悪い夢を見てるみたいだ」
耳に補聴器のような黒い無線イヤホンを付け、なおかつ長袖の人間は、このファミレスに見える範囲だけで五人いた。加えて待合にも、二人、そんななりの人物が座っている。彼らはちっとも怪しくなかった。彼らは無害に思えた。ただ異常なことに、彼らは一様に全く怪しくも有害そうにも見えない、という雰囲気を共有している。きっと、同じ所属なのだ。
「この話はやめにしないか」
この状況に慣れている彼は話題を転じることにした。そうでもしないと、小心者の真崎が不可解な現状を恐れ、騒ぎを起こすかもしれない。智之と彼は幼馴染の関係なので、お互いを良く理解していた。
「そうしよう。僕達はきっとなにか勘違いしているんだ。それは、疑似相関的な、それとも、バーナム効果的な」
「分かった、分かった。なあ、そういえば彼女の様子がおかしいんだ」
「例えばどんな風にさ。そして、それはいつからかい」
「いつからってことはないんだが、なんだか隠し事があるような素振りでよ」
「具体的には」
「俺と彼女はこのファミレスに来たことがあるんだ。でも、頑なに名前を書こうとしなかったんだ。だから、俺が書いてやったんだ」
「偽名かい」
「いや、下の名前は知ってたからよ。だから、そこに俺の苗字を付け足して完成させたのさ」
「偽名じゃないか。公衆の面前でいちゃつくのをなんていうんだったかな」
公然猥褻、と二人の言葉はシンクロした。
「しかし、智之。君は付き合ってる彼女の苗字も知らないのかい」
「そうなんだ。何度も聞く機会はあったんだけどな。だが、教えてくれないのさ」
「君の彼女って想像以上に変だな。会ってみたい」
言い返す言葉もなく、ただうんうんと頷く。
「会ったことあるだろう。同じ講義を受けてたらしいぜ。確か経済学がどうとか」
「経済。ああ、あの人か」
いかにもどこにもいそうな彼女の存在と顔は、友人の金髪や派手な性格とは、まったく合致しそうになく、どことなく不安定な感覚がした。はまらないパズルのピースがはまってしまった、喜んでいいのか、悩むべきか、迷う気持ちだ。
「話し方に特徴があるよな」
智之が言うとおり、彼女と他の人間を区別するものがあるとすれば、話し方だろう。口調ではない。確かに上品と言えば上品だが、もっと別のところに特徴があるのだ。だが、その特筆すべき話術の妙は、何ゆえか知られていない。誰もが違和を口にするのに、その原因をピタリと的中させた人間は皆無だ。その秘儀は、大学の七不思議の一つに入れても、誰も文句は言うまい。なぜなら、そんなものは存在しないからだ。
「そうか、なるほど。だから、誰も気が付かなかったのか」
「なんだ」
「分かったよ。彼女は主語がないんだ」
「ああ。それだ。なくても違和感ないしな。よく気付いたな」
真崎はさらに真相に迫った。主語がない、ということを足掛かりに、他の謎も解明できるのだ。するすると様々な疑問が解けていく快感が脳みそに溢れた。
「どうしてかわかるかい」
「さあな。癖じゃねえか」
「いいや。彼女は自分の主語が嫌いだったんだ。なぜなら」
「なぜなら?」
「それは、チン、だったからさ」
「はぁ?」
友人は俺を馬鹿にしているのだ。智之はこれがどういうギャグなのか分からず、待っていてもオチがこないため、自分で蹴りをつけることにした。
「分かった。それはちんちんだな。つまり、あいつは男だったんだ。男だから主語は僕か俺で、なるほど」
「ちがうよ。そうじゃない。僕が言いたいのは、あの人が天皇だってことさ」
「天皇」
チロリと新聞を読む中年の男を一瞥する。彼はまだ、二ページ目を眺めていた。
「そう。だから、ファミレスで名前を書けなかった。天皇には苗字がないからね」
「なるほど。だが、なんで天皇ということを隠してたんだ。俺は別に」
「君じゃないよ。あの人たちさ」
「あの人」
「そう、きっとやんごとなき省から来た、やんごとなきストーカーだよ」
七人の人間が、一斉に立ち上がった。いずれも統一性のない外見をしていた。イヤホンと長袖を除いて。彼らは何も言わず、店内から退散した。
「ははあ。なるほど。道理で」
「で、どうするの」
「どうするってなにが」
「彼女との付き合いだよ。もし、彼女と結婚するならあんな監視が一生続くだろうね」
「なんてこったい。助けてくれー、神様」
すると、カランコロンと入口の鈴がなって、彼の彼女が登場した。なるほど、神様が直々に助けに来てくれたらしい。
やんごとなきストーカー 高黄森哉 @kamikawa2001
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