ネパール・馬に乗っている気分で

ジャスミン コン

カトマンズで出会った「砂漠の商人」

 10年以上前、出張でカトマンズに行った。

 上司と三人、バンコクからバングラデシュとネパールのスケジュールで帰りはまたバンコクである。日系エアラインに乗りたがったボスのせいだ。

 予算だけでドルとバーツとタカとルピーを管理しないといけないのが、数字に弱い私は地味に嫌だった。

 バングラでは「どうやったら、ここまでお札を汚せるのか?」という紙幣の限界チャレンジを見た。「(それ触りたくないから)釣りはいらねぇよ」とカッコよく言いたいが会計担当には許されない。


 脳内は通貨ぐるぐるにキツキツのスケジュール、雑用を豊富にいただいております下っ端には初めてのネパールに浸る暇はもちろんなかった。ハイエースに乗れば、容赦なくガタボコ道に揺られまくり、うたた寝どころじゃない。


 ネパール政府の担当者たちと仕事をした日、彼らと夕食会になった。

 予備知識はあったものの、実際に目の前にいるネパール人は顔立ちが様々で面白かった。

 浅黒い日本人風の平たいお顔から、砂漠の商人みたいな彫り深フェイスに、沖縄人的には「隣の比嘉さん」な親しみあるルックスまで。

 そんなおっちゃんたちはニコニコと明るく、座敷スタイルの食堂は居心地が良かった。豆のカレーはいくらでも食べられたし、ぎょうざっぽいモモは肉汁いっぱい。

 口の中を脂身で満たしていたからか「ネパールで驚いたことは?」と聞かれ、するり本音が出た。

 「車内で身体がジャンプするほどの道には驚きました」

 すると、ハハハそうですかと笑ってから

 「馬に乗っているみたいで楽しいものですよ」と言われた。

 道路事情をディスったような外国人女子に対し、嫌味でも皮肉でもなく、カラリと返す砂漠の商人。脳内でラクダに乗っていた彼は馬に乗り替えている。いずれにしても渋い。

 車内で眉間にしわを寄せて手すりにつかまっていた自分より、百倍も詩的なおっちゃんに素直に感心していた。

 「次からはそう考えることにします」と笑顔で答えた。


 宴もたけなわ、ネパール人たちは踊り出す。もちろん、私は踊る。よって、おっちゃんたちに喜ばれた。

 「いとこに似ている」と言われたり、現地人に道を尋ねられたりする私のオキナワフェイスが功を奏したかは不明であるが、お近づきになれたのは確かだ。


 翌日はほんのわずかな時間、テラスで山々を見ながらチャイを飲んだ。

 良すぎるほどの空気と、チャイの湯気を吸い込みながら、ネパールっていいなと思っていた。人の好いネパール人たちの柔和な顔が浮かぶ。

 上司たちは、ラベルに白いヒマラヤが描かれたビールを飲んでいる。たぶん、こっちのおっちゃんたちもネパールが気に入っていたはずだ。不思議な安心感とおおらかさを感じるのは、山のおかげなのだろうか。

 バンコクの喧騒と、バングラデシュのピリピリ感の狭間で余計にこの国の良さが際立ったのかもしれない。


 出張から半年ほど経って、悲しい報せが届いた。

 砂漠の商人が、事故死したと。

 病気の親を見舞いに、山奥の実家へ向かう途中でカーブを曲がり切れず車が転落してしまったらしい。

 ずん、と胸が重くなり、じとっと寂しさが広がった。


 ネパールの思い出を書こうと思ったら、昨日のナラティワート同様、悲しい報せで着地してしまった。

 険しい道を馬に乗っている気分で楽しむのだ、というセリフを久しぶりに思い出す。

 彫りの深い砂漠の商人は哲学者だったのかもしれない、と今になって思う。

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ネパール・馬に乗っている気分で ジャスミン コン @jasmine2023

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