祖父の手帳

緋雪

祖父の手帳

 父方の祖母が亡くなったのは、私が丁度20歳の年の初夏だった。

 71歳。胃がんの再発で、わかった頃にはいろんな所に転移していたらしく、半年ももたなかった。



 祖母の死後、母と一緒に、祖母の使っていた部屋を片付けていると、祖母宛ての手紙や手帳を見つけた。開けてみると、戦時中に祖父から祖母に宛てた手紙と、遺品と思われる手帳だった。


「さと美(仮名)、お腹の子共々元気ですか? ……もし、生まれた子が男の子なら俊夫としお(仮名)と名付けて欲しい。」

そんな内容の手紙。

 そう言えば、父の上には長男がいたが、亡くなってしまったのだ。その後、祖母が父を身籠ったのだが、祖父は戦争に出てしまった。そして、祖父は、自分の息子の顔を見ることもなく……。


 一目、見たかっただろうな。


 その時は、まだ、自分の息子の顔を見ることができないなんて、本当は思ってなかったかもしれない祖父。しかし、名前をつけてくれと頼んだ手紙には、『子供のことをよろしく頼むよ……自分はもう帰れないかもしれないから』というメッセージが受け取れて、切なくなった。



 そんな手紙と一緒に、大切にしまわれていた手帳を開く。

 

 余白に沢山描かれた女の人の顔。同じ人だ。それが若き日の祖母だということに気付くのに時間はかからなかった。

 綺麗な人だ。実際、祖母は色白で、肌の綺麗な美人だったのだけれど、そこに描かれている祖母は、もっともっと美人に見えた。


 そのページにも次のページにも、「さと美」「さと美」「さと美」……。沢山の祖母の名前が並んでいた。他の人なら、切羽詰まって、遺言なんかを書きそうな場所、ほんの数ページしかない余白に、祖父は、祖母の顔と名前を書き連ねていた。


 よっぽど好きだったんだなあ。



 祖父の貞雄さだお(仮名)と祖母のさと美は、従兄妹いとこ同士だ。貞雄は、大きな家の長男で、跡取りだった。さと美もまた大きな家の長女で、もう嫁ぎ先が決まっていた。

 が、二人は互いが好きだったのだ。特に、貞雄がさと美のことを好きで好きでたまらなかったようだった。

 

 貞雄は、さと美のことを諦めきれず、さと美の兄(次兄)洋二ようじ(仮名)に相談した。


「覚悟はあるのか?」

「あります!」



 こうして、洋二の協力を得て、二人は駆落ちをした。二つの家では大騒ぎになった。


 本来であれば、いい家に嫁いで、なんの苦労もせずに済んだかもしれなかった、さと美。大きな家を継いで、金に困ることもなかったかもしれない貞雄。


 けれど、そんなものよりも、二人は「愛」を選んだ。



 しかし、現実とはそんなに甘いものではない。二人とも、慣れない仕事もしなければならなかった。そんな中、生まれた待望の長男は、体が弱く、亡くなってしまった。

 悲しかったし、生活は辛かった。それでも二人は、互いに手を取り、頑張って生き抜いてきたのだ。

 時々、洋二の援助も受けていたらしいが。


 さと美のお腹の中に、新しい命が宿った。

二人とも大喜びだった。


 けれど、時代は残酷だった。


 第二次世界大戦の中、貞雄は、戦地へ。


 

…………。


 この手帳は、その時に書かれた物だった。

 貞雄の心からの叫びが聞こえてくるようだ。


「さと美」、「さと美」、「さと美」……



 祖父、貞雄は、ビルマ(現在のミャンマー)で命を落とした。


 祖母、さと美は、それをどんな気持ちで受け止めたのだろう。

 届いた数通の手紙以外は、戦地からは、この手帳以外、何も帰ってこなかったようだ。祖母が、この手帳を開いた時の、胸が潰れるような思いを考えると、泣きたくなった。



 私にとって、祖母さと美は、厳しくて甘えきれないような存在で、母方の祖母と比べて、冷たいイメージだったことしか覚えていない。

 そんな人が、こんな大恋愛をしていたなんて……。


 沢山の感情を、心の中に閉じ込めたまま生きてきたのかな。



 お盆やお彼岸のたびに、祖母は、兵隊墓にお参りに行っていた。骨も入っていない、形だけの墓だったのだけれど。



 祖母は亡くなった時、71歳、だいぶおばあちゃんになっていたけど、きっと祖父は、祖母をすぐに見つけたんだろうな。

 父もその30年後に77歳で亡くなった。父と息子、感動の対面とかやってるのかも知れない。亡くなった年から考えると、息子が一番年上なのだ。ちょっと可笑しくて笑ってしまうけど。



 時をこえて、空間をこえて、3人が、あっちで仲良く、幸せに過ごしていればいいな。

 そんなことを思いながら、私は仏壇に手を合わせるのだった。

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祖父の手帳 緋雪 @hiyuki0714

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