後編
四
僕の儀式が明日に迫り、村は少しずつ活気出していた。儀式が成功した後は盛大な祭りが催される。鏡の前で真っ赤な羽織を着た母が、背中を見ようと体をひねってい
た。居間には他にも何枚か羽織が置いてあり、まだ小さい妹が大人用の羽織を着ようとして苦戦していた。
「僕、セキさんのところ行ってくるよ」
「あ、カイ! お母さんのこれ、どう?」
「いいんじゃない」
靴を履きながら言ったので背中に小言をぶつけられたが、今日はどうしてもセキさんに会う理由があった。
「セキさん!」
「おお、カイ! やっと来たか」
セキさんの横には今立てたばかりの大きな旗があった。真っ青な布地の幅は僕が両手を広げた倍くらいはありそうだ。高さは平屋を優に超え、風にたなびくと見事な鷲の刺しゅうが目に入った。
「すごいや! こんなにきれいな柄、どうやって?」
「ソラのばあさん、刺しゅうの腕は村一番なんだ。ソラもばあさんに習ってたらしいが良い腕してたって言ってたぜ」
僕は明日の儀式で大人になるだろう。ソラを置いて。でもソラは約束を破るやつじゃない。きっと鳥になって還ってくるから大きな目印を立ててほしい。そうセキさんにお願いしたのは僕だった。
「俺も昔、お袋から聞いたんだよ。なにやら昔は海の近いこの国と、砂漠が広がる北の国で戦争していたらしくて、元々砂漠の国に住んでいたお袋はこっちに住んでる親父と一緒になりたくて、大罪覚悟で駆け落ち。運悪く見つかっちまった親父は全ての罪を一人で被った。その後、お袋のもとに鳥になって還ってきたらしいんだ。お袋はそれを親父だと思ったらしいが、俺が理由を聞いてもわからないって言ってた。ただ見ればわかるんだとよ」
「ソラはいつも鳥になりたいって言ってた。海に潜るのが好きじゃなかったんだ。こんな儀式早くなくすべきだよ。僕らは当たり前に儀式を受けるし、大人も当たり前だと思ってる。こんなこと必要ないよ」
「当たり前を、当たり前だと受け入れないのは良いことだ。だが、敵を作ることを忘れるなよ。お前はまだ子供だ。この先たくさんの壁が出てくるだろう。だが俺はカイを支持するよ。あ、でもまだこれは内緒だぞ」
「どうして?」
「役人はお得意さんが多いからな。お前が大人になったら俺の生き方も理解できるようになるさ」
「明日、大人になるよ」
セキさんは僕を鼻で笑ったが、楽しみだなと僕の背中を叩いた。
五
儀式の日は去年と同じく、穏やかで潜水には最適だった。満月は煌々とこの世界を照らし、たまに吹く風が遠くに見える岸の真っ青な旗を揺らしているのが見えた。僕は大人たちの乗る船が海底へ光石を置いた後、その付近へ合流した。光石がある場所は大体の範囲で伝えられる。体温の低下などの危険もあるので儀式はあまり長くは行われない。潜りなおすのは許可されているが、大抵は『きちんと海底まで潜ることができるか』を見られているので、一、二回潜れば、海底で光石を発見できる。光石は村で街灯の代わりや部屋の明かりとしても売られているが高価なので普通の家にはあまり置かれていなかった。儀式で沈められるのはカイが片手で掴める程度の大きさで、黄金色によく光るものであった。
「準備はいいか? カイ」
「うん。大丈夫」
僕の見守り役はセキさんにお願いした。今は交易商をしていて海に潜ることはないが、昔は漁に出て潜るのも得意だったそうだ。僕はソラのような友達が他にいなかったし、一番良くしてくれるセキさんになら命を預けてもいいと思った。
「気ぃ付けてな」
セキさんに頷き、青く光る石を手に僕は潜った。海の中は月のおかげで多少明るかったが、少し潜るとすぐに暗くなった。たまに小魚がいるようだったが海底までは脇目も振らずにひたすら潜った。いつものように少し余裕をもって海底に着いた。少し探して、上がる余裕があるうちに浮上しよう。海底はごつごつとした岩場が並んでいて、その隙間では魚が寝ているようだ。光石は光っているとは言っても、海底ではある程度近づかなくては光が通らない。青い光だけでの捜索は簡単ではないが、光石を探す行為は魚を探すのと似ているし、ある意味では漁の素質を見る試験にもなっているのかもしれない。
しばらくして一度浮上することも考えたとき、僕は背後からキュウーッという高い鳴き声のようなものを聞いた。なんだと思い怖気づいたものの、その声は何度も鳴き続けた。そんな声で鳴く魚など聞いたことはない。そもそも魚というよりも鳥のような、そうだ、鷲のような鳴き声がする。僕は声の方へ進んでいった。息は少し苦しかったけれど、僕はきっとそこに光石があると確信していた。
鷲のような鳴き声は少しして止んだ。声がしていた方向には大きな岩場があり、かすかに光っていた。僕は岩場の溝や穴を覗き込み、光石を探した。岩場の横には穴が開いていた。入口は僕の頭ほどだが、中は妹なら余裕で収まりそうなくらい広い。その中に光石はあった。だけどその光石を守るように大きな魚がじっと漂っていた。僕は、それを見て急いで浮上を始めた。まだ息は持ちそうだ。青い光石を握りしめ、まっすぐと浮上すると、そこはセキさんの船からだいぶ離れていた。セキさんは僕が浮上を始めたことを命綱の弛みでわかっていたから、船上の大人たちはみんな僕を探していた。すぐに僕を見つけ、セキさんは泳いで僕を支えてくれた。近くの船につかまり、僕はモリを貸してほしいと言った。
「モリだと? しかしいまお前は儀式の途中だろう」
船上の大人たちは一体何をしているんだ? と僕を非難した。
「まあまあ、こいつがそれでも石を取ってこれるって思ったからこう言ってんだろう。みんな、こいつを信じて貸してみないか? もしかしたら祭りの飯が増えるかもしれねえぞ」
セキさんは大人を説得するのが得意だ。こういう人は海に潜るより交易の方が向いている。大人たちはしぶしぶ僕にモリを貸してくれた。再び潜った海は先程よりも軽く、滑るように感じた。岩場を覗くとまだあの魚はじっとしていた。まるで僕を待っていたかのように。魚の命を頂くという意味を教えるように。僕はじっと魚に狙いを定めて、モリを突いた。魚は僕に突かれると、先程までの静止が嘘のようにジタバタとかなり暴れた。たちまち砂が舞い上がり、視界を奪う。少し焦って魚を岩場から出し、光石を掴むと僕は足を使って浮上した。
僕はこれが好きなのかはわからない。獲れる魚を獲るのは漁をする人からすれば正解なのかもしれない。だけど僕はこの仕事を好きになるかはわからない。自分が得意なことを好きになるとは限らない。逆に、好きなのに不得意だったり、うまくいかないから嫌いだったり、得意だから好きになる人もいるかもしれない。僕は本当に大人になりたかったのか、ソラのいないこの村で何をしたいのか。
僕が上がってきて肺に空気を吸い込んで、近くの船にモリと新鮮な魚と黄金色の石を入れると大人たちは喜んだ。
「カイ、よくやったぞ!」
「しかも魚まで獲るとは! こりゃ先が楽しみだな!」
「立派な大人になったな!」
しかし僕は何も聞こえていなかった。肺に空気を送りながら見た夜空に、大きな大きな鷲が飛んでいたから。月明りはいっそう明るさを増し、鷲が綺麗にまっすぐ飛んでいくのがよく見えた。あの真っ青な、ソラのばあさまが作った旗に向かって。
「おい! カイ! あれ!」
セキさんは驚いて僕に叫んだ。ソラが帰ってきた。ソラは約束を破ったことは一度もない。鳥になる夢を叶えたんだ。なぜあの鷲がソラだとわかるのか、僕にもわからない。だけどわかるんだ。僕は空を見上げて大人たちの歓声を受けながら、僕だけが村の大人になった未来を受け入れ、この村を変える強い鷲になるのだとソラに約束をした。
イワシと鷲 夏夜 夢 @yume_natsuya
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