金曜日の深夜、12時05分のキス

ココですココ、ここ

第1話

 金曜日の夜八時から十二時を回って土曜日になるまでの少しの時間、私はあなたのものになれる。


 つまらない仕事が終わって楽しげな週末が始まるまでのこの隙間の時間が私は一番好き。


———アカリは、ホテルのベッドの上で下着もつけずに横にいるサトルにもたれかかった。


「ねぇ見て、この香水! Diorの新作なんだよ! どんななんだろうね?」


「さぁ? 良さげなの?」


「う〜ん、多分? だってDiorだよ? でもCHANELが女の子の憧れかなぁ?」


「あー、そうね」


 サトルは黒の長髪を耳にかけながら興味がなさそうに相槌を打った。

夜がひとしきり終わって、そのあと興味がなさそうなサトルに興味がなさそうな話をする。

 

 そんな時間がアカリの好きな時間だった。

サトルはどんなにつまらなそうな話でもアカリの目をまっすぐ見つめながら相槌を打ってくれた。


 そんな彼の切れ長の目が好きだった。


 きっと話など覚えてないのだろう。

同じ話をしたこともあったけど、同じような相槌が返ってきた。

でも、その時間が好きだった。



 ———十二時を迎える少し前にサトルは服装を整えて帰る準備を始める。アカリも同じように服と髪を整える。


 今日は泊まって行こう、と何度か彼を誘ったけど、理由も告げずに「今日は帰るわ」とだけ言われて断られた。


 アカリとサトルは付き合ってる訳じゃない。

 

 サトルがいつか、愛とかそう言うのはよく分からない、そんなのなくても何でも出来るからと言ってるのを聞いてから怖くてそれ以上に踏み込めなくなってしまった。


 アカリもそう言うものだと言い聞かせて今の関係を受け入れていた。


 サトルはいつもホテルの部屋のドアを開けてアカリを待ってくれる。

アカリよりもずっと長い足でピッタリと横について歩いてくれる。


「じゃあ、また来週ね」


「あぁ楽しみにしてる、おやすみ」


 駅の改札でそう挨拶してから、アカリの長い一週間が始まる。



———家で退屈な週末を過ごして、つまらないデスクワークの毎日を五回耐えると金曜日がくる。

アカリにはそれだけが楽しみだった。


 待ち合わせの場所へ走ってむかい、サトルを探す。

どこだろう? いつも自分より早く来るのに。


「お嬢さん、今からお暇?」


 突然背後から声をかけられて、びっくりして振り返るとサトルが笑っていた。


「もーっ! びっくりしたじゃん!」


「悪い悪い、後ろ姿が素敵だったからさ」


 そんな風に褒められてアカリは、自分の胸が高鳴ったことが少し悔しかった。


 いつものように食事をして、少しだけお酒を飲む。

そのあとホテルに行って、二人で夜を過ごした。


 ひと段落ついたときにサトルが小包を渡してきた。


「えー? 何? これ?」


「誕生日…今週だろ?」


「いいの⁉︎ 開けていい?」


 どーぞ、とサトルが手で合図をしてくれたので、小包を開けてみた。

デパートのロゴが入った小包を開けると、中からDiorの新作香水が出てきた。


「これ…この間、私が話したやつ? 覚えてたの?」


「まぁ、一応な」


 Diorの香水を胸に抱きながら、アカリの目から涙が溢れた。

嬉しかったのではなくて、怖かった。


「…なんで?」


「なんでって…アカリが話してたからだろ?」


「違う! なんでこんなことするの⁉︎」


 ポロポロとアカリの目から大粒の涙が溢れた。


「どうして誕生日なんて覚えてるの? どうして好きな香水の話なんて覚えてるの? なんで…だって…好きになっちゃうじゃん」


 サトルが褒めるたびに、優しくするたびに、勘違いしそうな自分を必死に宥めていた。

好きになってはいけない、勘違いしてはいけない、と。

そんな思いが決壊したダムのように溢れ出た。


 サトルはそんなアカリの話を聞いて、黙ってタバコに火をつけた。


「どうして…何も言ってくれないの?」


「…ワリぃ」


 そう言ってサトルは微笑んだ。

怒るでも悲しむでもなく微笑んだサトルを見て、アカリはカツカツと距離を詰めた。


 そしてタバコを持つ手を押さえて、キスをして、唇に噛みついてやった。

もうこれで終わりにしよう、そう思って部屋を出た。


 いつの間にか十二時を少し回っていた。



———帰りの電車に揺られている時に、サトルからメッセージが届いた。

 

本当は見ないつもりでいた。

怒っていても謝られても嫌な気持ちになるだけだから。

なのに右手が勝手にメッセージを開いてしまった。


『来年はCHANELにするよ』


「バカだなぁ、そう言う話じゃないでしょ」


 そう言ってアカリは目に涙を溜めたまま微笑んで何度もメッセージを読み返した。

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