第7話 可愛い化計画
「ただいまー」
帰ると、家の中はしんと静まり返っていた。もう日の入りも過ぎたというのに電気も消えていて、人の気配は全くない。
「ちょっと、お母さん?」
一応、呼んでみるがやはり返事はない。
今日は澄衣さんの件でいつもより帰りが遅くなってしまった。普段ならもうお母さんは上がってる時間のはずなのだが、キッチンにもリビングにもその姿はない。
買い物にでも出たんだろうか。聞きたいことがあるんだけど、困ったな。
お母さんに連絡を取ろうと、スマホを開く。
「あっ」
画面に出た時刻表示を見て、思い出した。
そういえば。今日は水曜日だ。なら、今の時間だとお店の方にいるのかもしれない。そう思って一階の店舗に繋がるドアを開けると、そこにはハサミ片手に難しい顔で、カット用のマネキンと向き合っているお母さんの姿があった。
「今日は休みなのにまた練習?」
「休みの日だから練習するの」
お母さんはふぅと大きく息を吐いた。私の声に張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったらしい。
「邪魔しちゃった?」
「ううん。行き詰まってたし、このへんでもう終わろうと思ってたとこ」
今日はもう終わり、とお母さんは大きく伸びをしながら呟く。そして、まとめていた髪を解くとキッとしていた表情も和らぎ、プロの美容師からただのお母さんへと切り替わった。
「おかえり」
ただいま、と私はいつものように返す。
お母さんは今、美容師をしている。昔はアイドルさんの専属スタイリストをしていたけれど、全身のスタイリングとメイクを担当しているうち、もっとヘアアレンジの道を極めてみたいと目覚めたらしい。アイドルさんのヘアメイクも担当していた経験、それに元々の素養も相まってお母さんはメキメキと名を上げ、今では家の一部を改装して自分の店まで持つようになった。
水曜日は美容院の定休日でお店を閉めている。だけど、お母さんは練習するからと言って、水曜日はいつも朝日が昇る前から夜遅くまで、みっちり12時間以上サロンにこもっているのだ。
お母さんほどの実力があれば練習しなくていいんじゃないかとは思う。しかし、本人曰く、そんな甘くはないと。どんな女の子の夢も叶えられるように鍛錬を怠るべからず、らしい。
「それにしても、きよちゃんが
お母さんが聞いてきた。
「カットの練習に使ったやつでもいいんだけどさ、ウィッグ、一個貰ってもいい?」
いいウィッグは当たり前だけど、いい値段する。かてて加えて、そこにプロのカットが加われば、たった一つで一般的な女子高生のお小遣いを凌駕することもザラにある。
ウィッグは澄衣さん女の子化計画の序章として必要なアイテムだ。しかし私の資金力では正直手が出せる代物でもない。かといって、私が勝手に用意する以上、澄衣さんに代金を請求するわけにもいかない。
ここの美容院ではウィッグのカットもやっている。だから、練習用のものや、余りものの一つや二つがあるはずで、今回はそれを貰おうと思って来た。
「別にいいけど」
お母さんは不思議そうに私見るけど、すぐに鏡貼になっている戸棚を開けた。そこには色とりどりのウィッグが被せられたマネキンの頭が置いてある。
「色と長さは?」
色と長さ。うーん、そうだなぁ。
「セミロングからロングぐらいで暗めのやつ」
注文をつけると、お母さんは棚を見回し、目当てのものを探してくれる。そして、それを見つけたお母さんはウィッグを取ろうとするも、すんでのところでその手が止まった。
「一つ聞いていい?」
「何?」
「これ何に使うの?」
理由は一つしかない。“女の子になりたい”という澄衣さんの夢を叶えるためだ。
「友達のスタイリングにちょっと」
すると、お母さんはこちらに顔を向け、私の目をじっと見てくる。その視線ははネットリと重々しく、まるで品定めされてるよう。
「きよちゃん、それは練習?」
「違う。一応、本番」
その瞬間、お母さんの顔色が変わった。表情は引き締まり、穏やかだった目元はギッと鋭くなる。
そして、お母さんは静かに戸棚の扉を閉じた。
「じゃあ、これは渡せない」
「えっ?」
急にどうしたっていうの。今のいままで、すんなりくれそうだったのに。渡さないと言われても。豹変したお母さんの態度に、私は戸惑う。
とはいえ、これがないと困る。
「いや、その子の夢を叶えるために必要なんだけど」
「だったら」
しかし、お母さんは私の方へずずいと迫って、
「尚更、これを渡すわけにはいかない」
「どうして……?」
「女の子の夢を叶えるってのが、どういうことか。あなたはまだ、分かっていないようだから」
お母さんの表情はツンと尖り、冷たい視線に私は釘付けにされてしまった。声のトーンはググッと低くなり、聞いているだけで震え上がりそう。
「私が思うスタイリングの本質、それに気づけたっていうのは及第点。だけど、それまで」
再び、お母さんは長い髪をまとめ上げた。その姿、もはや私の知るお母さんではない。
「そんな気持ちでいるなら、誰かのスタイリングなんてさせられない」
「そんな……」
気づけば、私はお母さんに圧倒されていた。特に、まるで獲物を食い殺さんと狙う獣のようなその眼光に抗うすべを私は持ち合わせてはいなかった。
怖い。
自然と背筋が伸びて、額には脂汗がにじむ。悪寒が全身を巡り、足は踏ん張ってないと今すぐにでも逃げ出してしまいそう。
お母さんって、こんな顔をするんだ。
私には何も言い返せない。『スタイリングはさせられない』という厳しい言葉に、心は千切れてしまいそうで。気持ちを繋ぎ止めるのに必死で、俯くことしか出来なかった。
そんな私に、
「顔を上げなさい」
とお母さんは促した。
「はい」
私は恐る恐る顔を上げる。
すると、お母さんは、
「だから、教えてあげる。女の子の夢を叶えることがどういうことかってのをね」
と言い放つ。
「えっ……?」
私は困惑した。
お母さんはあまりにも厳しいことを言い続けるから、てっきりスタイリングを辞めさせようとしてると思っていた。しかし、そういうわけではなさそうだった。
「きよちゃんは、まだ知らないだけ。私は教えてもないことを出来なさいと言うほど鬼じゃない」
「でも、スタイリングはさせられないって」
「それは、一部を知っただけで全部を分かった気になっていたから。知った気になって、『こうすればいいんでしょ?』って、態度でスタイリングをしてたらいつか大きな失敗をする。そんな人を私は大勢見てきた」
お母さんは両手を私の肩に置いた。そして、私に向かって一直線に訴えてくる。
「私の言葉に憧れて、誰かの夢を叶えようとしているきよちゃんには絶対そうなってほしくないの」
「お母さん……」
ハッと気づいた。
今、ここに居るのはお母さんではない。私の目の前に立っているのは、紛れもなくトップアイドルさんのスタイリングを担当していた、一人のプロなんだ。
お母さんは怖かったけど、決して怒っていたわけじゃない。ただただ、プロとして真剣にひよっこと向き合ってくれていただけのこと。
だから、私も真剣に向き合わなければいけない。生半可な気持ちでは、大切なものを見落としたままになってしまう。
「お願いします。教えてください。女の子の夢を叶えるために必要な方法を」
「うん」
お母さんは微笑んだ。表情は柔らかいものの、その眼光は現役を退いてヘアメイクの道に転向してから長いこと経っているというのに衰えを知らず、未だ第一線で活躍しているかのような力強さをたたえていた。それはスタイリストとしての知識や経験、立ち振る舞いがお母さんの身体に染み込んでいるということに他ならない。
一体、どれほどまでに鍛練を積めばその境地に至るのか、私には想像もつかなかった。しかし、澄衣さんの夢を叶えるには、少しでもそこに近づかなければならないのだ。
「女の子の夢を叶えるために必要なのはね、その子を好きになることよ」
「好きになる!?」
「ええ、そうよ」
お母さんはさも当然のように、胸を張って答えた。
「誰かの特別な夢を叶えるには、まずはあなたがその子を特別に想ってあげないとダメ。
好きになった相手を全力で着飾らせるってなったとき、練習用のものは渡せないと思わない?」
「まぁ……うん」
「特別に想うってのはそう言うこと。まぁ、何が言いたいかといえば、惚れ込むくらいにその子のことを想ってスタイリングしなさいな」
惚れ込むくらいにその人のことを想う。好きな人のために頑張る。澄衣さんの夢を叶えるためには、私にも必要不可欠なものだ。
ただ、私はそれを扱うに際して、致命的な欠陥を抱えている。
「でも、私。誰かを好きになったことないし……」
「まぁ、今はそれがどんなことか分からなかったとしても、それは終わった後気付けばいいの。振り返ってみて、『あぁ、私惚れてたんだな』って、思えるようなことができたならそれでいいから」
「お母さんもそうだったの?」
そう尋ねると、
「そうねぇ」
お母さんは私から目を逸らし、明後日の方を見る。
「今思えば、私は惚れてたかな。うん。本当に大好きだった」
それはとても穏やかな目つきだった。その遠くを見るような目は多分、あのアイドルさんに向けられている。
お母さんが彼女のスタイリングから離れたのは私が産まれる前だから、既に二十年近く経っている。しかし、それだけ月日が流れても「大好き」と言わしめるほど、お母さんにとってあのアイドルさんは特別だったのだ。
「でも、大丈夫よ。女の子ってのは好きな人のためなら何でももできる、そういう生き物なの。他人の夢を叶えるってことは簡単なことじゃない。でも、好きな人のためって思えば、どんな苦労も乗り越えられるわ」
ふと、お母さんの意識がこちらに帰ってくる。どこか遠くを見ていた目はしっかりと私を見ていた。
と、お母さんはショーウィンドウの方へ歩き出した。そして、内鍵を開けるとその中から一番目立つ位置に飾ってある展示用のウィッグを取り出した。
「ほら。使うなら、こっち」
「いや、でもそれって、一番いいやつじゃ……!?」
「だから渡すのよ」
お母さんは自信げにそう言った。しかし、「だから」と言われても、少し困る。
そりゃ、確かに仕上がりは抜群だ。なんせお母さんが精魂込めて仕上げた、最高傑作とも言うべきもの。しかも、ウィッグ代にカット料を含めれば、お小遣いでは全然届かない高級品。
そんな大切なものを私的な用事で、しかもお金を払わずに受け取るわけはいかない。
それでも、お母さんの態度は揺るがなかった。
「きよちゃんが本気で女の子の夢を叶えようとするなら、お母さんはいくらでも応援するから」
「お母さん……!」
“本気で想う”。
お母さんがあのアイドルさんに向けていた、スタイリングの原動力。今、それは私の方に向けられていて、お母さんは私を輝かせようとしてくれている。
──なら、私は。
「ありがとう」
そのウィッグを受け取らない訳にはいかない。
そして、
「その子の夢、叶えてあげて」
「うん!」
差し出された贈り物に添えられた、その言葉を実現させなければいけない。
手にしたウィッグを眺めていると、澄衣さんが被ったときのイメージが湧いてくる。そのままでも十分、申し分ない。だけど、そのままではダメ。彼女はもっと輝ける。
だから、私がする。持てる全てをこめて、可愛くしてみせる。
「ありがとう、お母さん」
「本気で惚れなさい」
お母さんは私の背中を叩いた。それは優しいけれど、とても頼りがいのある手のひらで、しっかり送り出してくれるようだった。
部屋を出ると、スマホが鳴る。連絡先を交換していた澄衣さんからRuneが来た。
『土曜日の放課後会えないかな』
澄衣さんのためだから。
『いいよ』
『やった!』
私の返信に秒でRuneが返ってくる。澄衣さんも可愛くなることを心待ちにしているかのよう。
後三日。それは待ち望む側にしたら長く、臨む側からしたらあまりに短い。時間は全然ないけど、私もできる限りのことをしなきゃ。
とりあえず、髪の毛はなんとかなった。次のステップは……そうだな。
『ねぇ、澄衣さん』
私は澄衣さんに当日の集合場所と、持ってきてほしいものをRuneで伝えた。すると、またしても間髪入れずに『分かった』と返信がくる。
とりあえず、これでよし。あとは私の問題だ。
部屋に戻って、ドレッサーに腰掛ける。向き合うは並んだコスメとスクールバッグに詰め込んだ最新号のメイク雑誌たち。そして、鏡の中の私。
今からここは私の勉強机だ。できる限り、知識と流行りを身につけて、あとはトライアンドエラー。やれるだけやる。
始めよう、澄衣さん可愛い化計画を。
女子校の王子様が誰よりもお姫様なことを私だけが知っている 梅谷涼夜 @suzuyo_umetani
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