第6話 女の子な王子様

「はぁ!? ゴフッ……! ゴホッ……!」


 衝撃的な告白に、咽せた。


「大丈夫!?」

「だ、大丈夫……」


 咳き込む私を澄衣さんは心配してくれる。しかし、私は近寄らんとする彼女を制した。


「大丈夫」


 澄衣さんはしゅんとしながらも疑問げな顔をするが、それでいい。今、そっちに意識が逸れると、大事なことがうやむやになりそうな気がしたから。


 先ほどにも増して、周囲の視線がこの身に刺さる。どうやら、店内にいる人全ての視線を集めてしまったらしい。

 この状況で、さっきの話──というか言葉──を蒸し返すのはごめん被る。


「ちょっと外行こうか」

「えっ?」

「行こうか」


 突然の提案に澄衣さんは戸惑う。しかし、私は彼女のそんな態度を気にせず、彼女を店舗のバルコニーまで連れ出した。


 ◇


 外へ出ると既に日は傾きはじめ、汗ばむような春の日差しも幾分かは和らいでいた。夕暮れを感じさせる景色の中へと溶けてゆくように、桜がはらりはらりと舞い落ちる。


 そんな何の悩みも無さそうな光景が目の前には広がっていて、正直ムカッとする。春の放課後の穏やかさが「まぁ、落ち着きなよ」と言わんばかりに私たちを丸め込もうとしてきて、その無責任さにイラッとくる。


 目の前の澄衣さんは状況が飲み込めないといった感じ。でも、それは私だって同じこと。

 この王子様のトンデモな発言のおかげで、私は穏やかでいられない。


「ねぇ! さっきの言葉は何?」

「何って、言った通りだよ。藤原さんにはボクを女の子にしてほしいんだ」


 彼女はまたしてもそれを芯の通った良い声で言う。恥ずかしげもなく、なんの躊躇もなく。


「いや、『遊んでそう』な相手に『女にしてくれ』って頼むのはそういうこと・・・・・・だからね」

「そういうこと?」


 澄衣さんは何も知らないというように首を傾げた。これだから箱入りのお嬢様は……。

 私は声をひそめて彼女に言った。


「処女捨てさせてってこと」

「……ッ!?」


 言った途端に、澄衣さんの顔がかぁっと赤くなる。元々の肌が白いから、その表情いろはよく目立つ。


「いや、いやいやいや! そういうんでは決してなくて!!」


 慌てる彼女は耳まで真っ赤。普段は余裕綽々な王子様なのに、今やその面影は微塵もない。もはや普通に普通の女子高生だ。


 そんな澄衣さんはしおらしくつぶやく。


「ボクはただ……藤原さんにボクのことを女の子みたいに着飾らせて欲しいなぁ、なんて」


 だからこその“女の子にしてほしい”か。

 他に適当な言い回しがあるんじゃないかと思ったが、その意味でいえばそれが一番ぴったり、なのかなとも思う。


 澄衣さんはキラキラした瞳でなおも続けた。


「前から聞いてはいたけど、今朝の件で確信したんだ。藤原さんは本気でスタイリスト目指しているって」


 どうしてだ。スタイリストを目指しているなんて、澄衣さんに一言も行ったこともない。なのに何故、それを彼女は知っているのか。


 聞き返したかった。

 しかし、澄衣さんは私の意思や存在などはお構いなしに、私に向かって深々と頭を下げた。


「だから、その。お願いします。ボクを女の子みたいにしてください」


 その姿は凛々しく、側から見ても、誠心誠意、本気の頼み込みだということが分かる。


 が、故に苦しい。「それは無理だ」と伝えなきゃならないのは。


 私はその願いを受けることができない。別に、本気でスタイリストを目指しているわけではないし、何より他人のスタイリングはもうしないと決めている。


 しかし、私にそれを直接的に言う勇気はない。角が立たないよう、傷つけないよう、やんわりと断る口実を必死に探してしまう。


「別に私に頼まなくても……。ほら、澄衣さんの周りには私なんかよりもっと女の子らしい子いるじゃん」

「それはダメ!」


 澄衣さんは声を張り上げる。彼女のあまりの必死さに、一瞬身体がこわばってしまう。


「絶対にダメなんです」

「どうして?」

「そんなことを頼んだら、皆はボクに失望してしまうから」

「別にそんなことは……」

「あるんです」


 澄衣さんは私の言葉を振り払うように、強い口調で言い切った。


「皆が望むのは王子様なボク・・であり、誰も女の子なを望んでない。それを今まで嫌というほど学んできました。

 だから、そんな皆の期待を裏切るような頼み事をして、周囲を失望させたくはないんです」

「だったら、どうして私に? 私だって、あなたに王子様であることを期待して、あなたに失望するかもしれないのに」


 私は彼女に尋ねる。

 この突拍子もない頼み事を澄衣さんが周囲にできない理由は分かった。しかし、その理屈でいえば私だって彼女が言う“皆”に当てはまる可能性はあるだろう。

 なのに何故、それを乗り越えてまで澄衣さんは私に頼んできたのか。結果のところ、私は彼女にどう思われているのだろうか。


「それは」


 澄衣さんは私の目を見た。透き通った瞳で、私の心の奥を覗き込むかのように。


「藤原さんは私に何も望んでないから」


 グッと、心臓を掴まれたような気分になる。


「私の姿がどうあろうと、藤原さんから私への評価は何も変わらない。最初から期待がなければ失望もないでしょう?」


 彼女は的確に私の心を見抜いていた。

 学園の王子様なんてどうでもいい。そんな私の気持ちを察して、だからこそ彼女は頼んできた。


 それは悲しい理屈だ。だって、期待がなければ失望もないけど、更にいえば興味もないということ。そんな相手の厄介な頼み事なんて断られるのが関の山だというのに、澄衣さんは私に頼み事をしてくる。


「お願いします。私には女の子になってやりたいことがあるんです」


 すがるように。神にでも祈るかのように。

 果たして、何が彼女をそれほどまでに駆り立てるのだろう。


「ねぇ、澄衣さんがしたいことってなに?」

「ある人に会いたいんです」

「恋人?」

「いえ、そうじゃなくて」


 澄衣さんはスマホを差し出してくる。その画面にはキャラクターショーのスケジュールと書いてあった。


「これって、ヨミリーランドのやつじゃん」


 それは私が観察と称してよく行く遊園地で催されている変身ヒロインアニメのイベントショーのものだった。


「そうです!」

「でも、これって子ども向けのやつだよね?」


 このイベントショー、題材となるアニメはいわゆる女児向けと呼ばれるジャンルで、対象年齢は主に小学校低学年以下。おまけに前方列は小さなお子様専用となっていたり、私たちみたいな高校生とは無縁と言ってもいい。


 でも、澄衣さんは首を横に振った。


「そんなことありません! この作品は全ての女の子に向けたもの。好きだという気持ちがあれば、そこに年齢は関係ないんです!!」


 ものすごい熱量を伴い、彼女は真剣な眼差しで語り出す。


「今、ショーをやってるシリーズはあんまり観られてないんですけど、でもこれの一番最初のシーズンは幼い頃ずっと観てて、本当に大好きで。彼女たちはアニメの中の存在でしかないけど、いつか会いたいと思っていました」


 澄衣さんは瞳を輝かせ、頬を少し赤らめているようにも見えた。その口から紡がれる言葉はどことなく早口だったけど、だからこそ彼女がそのアニメを相当好きだという気持ちが伝わってくる。


「でも、もうすぐ会えなくなってしまう。これもそろそろフィナーレなんです。

 藤原さんは遊園地のリニューアル計画ってご存知ですか?」

「ああ、ニュースでやってたの観たよ」


 それは朝のニュースでもかなりの尺を使って特集されていた。このヨミリーランドは長いこと地域に愛されてきた遊園地がゆえに、かなりの施設にボロがきているらしく、安全面と新規顧客の獲得のため施設を建て替え、新しいアトラクションを作ろうってことらしい。それに伴い遊園地の目玉も含めたかなりの施設が閉鎖されるようで、インタビューされた人の多くが悲しいと嘆いていた。


「実はこのショーをするシアターの取り壊しも決まっててゴールデンウィークの公演をもって長期休止で、再開時期も未定なんです」


 澄衣さんもまたインタビューを受けていた人たちと同じように悲しそうな顔をする。


「今を逃したらもういつ会えるか分からない。少なくとも、卒業するまでに彼女たちと会えなくなる」

「それがさっき言ってた、高校生のうちにやりたいこと?」


 澄衣さんは首を縦に振った。


「私はもう彼女たちより少しお姉さんになってしまいましたけど、それでも彼女たちと同じ年頃の女の子でいられるうちに絶対会いたいんです」


 それは分かった。

 ただ、それでもまだ分からないことがある。


「でも、それと女の子らしくなりたいってのはどう繋がるの?」

「それは、えっと……」


 澄衣さんは指先をそっと組み、何を答えるでもなく、いじいじとしきりに組み替え始める。夕陽のせいかその頬は少し赤らんで見えた。視線はあちらこちらに泳ぎ、一生懸命に言葉を探しているかのようだった。


 突然の風に彼女の髪が揺れる。オレンジに燃える風景の中で、その金色ブロンドは力強く煌めいた。


 おもむろに、澄衣さんは顔を上げる。私の瞳と彼女の瞳が繋がる。


 今の澄衣さんは学校で見たことのない目をしていた。まん丸に見開いていて、キラキラと眩しいくらいに輝いて、彼女の周囲に寄り付いている女子たちに見せるものと全く違う。

 言うなれば、そう。期待に胸を膨らませるまさに乙女のような眼差し。


 スカした流し目が板につく学園の王子様がする純粋無垢で可愛い顔。私はその表情と目を合わせたまま、少しの間、言葉を失ってしまっていた。


 澄衣さんはいじらしく呟いた。


「好きな人に会うときはとびきり可愛い私でいたい……から」


 とても単純な理由だった。

 それは女の子なら誰しもが夢見ること。そして、学園の王子様と持て囃される澄衣さんもまた、普通に普通の女の子だったのだ。


 そうか。そういうことか。


 私は、彼女の瞳に心を見た。その心が抱く、本当の気持ちを。


 だから、さっきの彼女は霞んで見えたんだ。


 ──『私の仕事は“女の子の夢”を叶えること』


 唐突にお母さんの言葉が頭をよぎった。

 そして、ハッと気づいた。


 お母さんはいつも私に言ってくれていた。私はその言葉を漠然と理解したつもりになっていた。でも、それは完全に間違いだった。


 私が昔、母をまねてしていたのは、夢を叶えるスタイリングではなく、誰かを無理矢理着せ替えていただけ。

 夢というのは、本人が“こうだ”と望むもので、周囲が“こうだろう”と決めつけるものではない。なのに私は、こうすれば良さげだろうと勝手に考え、自己満足で着せ替えて、だから嫌われたのだ。


 スタイリストの仕事は誰かを着せ替えることじゃない。誰かの夢を叶えることなんだ。


 夢を抱く女の子を前にして、初めて言葉の本当の意味が分かった。そして、私が憧れたのは、そんなふうに誰かの夢を叶える母の姿スタイリストではないか。


 だとしたら。


「分かった」


 それに気づいた今、私は澄衣さんの夢を叶えたい。そう思えた。


「本当ですか!? やったぁ!」


 澄衣さんは私の手を両手でぎゅっと掴み取った。

 よほど嬉しいんだろう。興奮からか、まあまあの力で手を握られてしまっている。

 しかし、私の手に絡みつく指はすべすべとしてしなやかで、この手は紛れもなく女の子のものだと思えた。


「私も、女の子になれるんだぁ……!」


 嬉しそうな表情でぽつりと溢した澄衣さん。

 ここで会ってからからの彼女は本当に女の子らしい顔をする。

 学校内では見たことないほどキュンキュンと可愛らしくて、普段のキリッとしたイケメンな彼女と同じ人物とは思えないほどに違う。そんな甘カワな澄衣さんを眺めていると、なんだか胸がざわつく。


 この感覚って一体──


「よろしくお願いします!!」

「う、うん。よろしく」


 澄衣さんの声が他所へ飛びかけてた私の意識をこの場に呼び戻す。


 まぁ、いいか。考えてもよく分からないし。


「澄衣さん」

「はい」


 私がするのは、夢を叶えるその手伝い。なら、手を抜くわけにはいかない。


「あなたのこと、絶対に可愛くしてみせるから」

「お願いします!!」


 桜舞う春の夕暮れに交わされた、私と王子様の二人だけの約束。彼女のファンにはバレてはいけない、不思議な高校生活が始まった。


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