第5話 君のせい

 彼女の誘惑に負けてから、僕はアルバイトで稼いだお金を彼女に注ぎ込むようになっていた。賃貸のワンルームの部屋は彼女のフォトショやメンバーカラーの緑のグッズ、机にはカウンセリングの紹介状と不眠症の薬で溢れていた。

 彼女からの愛を求め、心が壊れていくのは早かった。医師には、一種の依存だと診断され、自分がそれほど彼女にのめり込んでいたのが、その時まで全く気づかなかった。


 だからなのか、七月の朝に彼女とプロデューサーの熱愛スキャンダルが出た時は、一日中頭痛と吐き気に襲われた。それでも彼女に会えば、それすらも緩和していく気がした。


「また来てくれたの? ありがとう。でも私に会っちゃ良くないって先生にも言われたんでしょう?」

「いいんだ、会うだけで元気になるから」

 まるで精神安定剤の様な、セロトニンの様な作用の彼女の笑顔に、僕は中毒になっていた。もはやそれがないと、生きた心地がしなかった。

「この間のスキャンダル、ごめんね。打ち合わせしてただけで、やましい事なんて無いんだけど、勘違いさせちゃった」

 彼女は酷く申し訳なさそうな顔で俯いていた。彼女の言葉に戸惑いながらも、僕は直ぐに励ます様に健気に答えた。

「全然気にしてないから謝ることないよ!」

 本当は、吐くほど嫌だった。プロデューサーが憎かった。身体を重ねているのはほぼ事実だろうと疑った。でも。

結絵ゆいえはアイドルだから、そんなのする訳ないよな。あの頃からずっと、アイドルで、だから……」

 彼氏が居たとしても、居なかったとしても、本当の愛をくれるあの頃の彼女はもう居ない。その言葉が頭に過って僕は言葉に詰まった。

 僕は、彼女に何を求めていたんだろう。どうしてこんなにも蝕まれた心で彼女に会いに来ているんだろう。

「……僕達はもう戻れないのに」

「…………優樹ゆうき?」

 本当は何処かで気づいていた。彼女の見ている景色の中に、もう僕はいない。"幽霊"になったのは、僕の方なんだと。

「僕は……本当は、あの頃からずっと結絵を好きでいることを辞められなかった。諦められなかった」

 感情が高ぶって、堪えていた言葉と涙が交互に溢れた。

 彼女へ向けられる数多の愛に嫉妬している訳でも、よりを戻したい訳でもない。

 あの日々の"本当の好き"を偽りで上書きされていくのが、ただ――。

結絵ゆいえはアイドルで、偽りでも愛の言葉をくれる。でも、違う……っ、僕が欲しいのは、、!」

 頭の中に溢れ出した想いを噛み砕き言葉にして伝えると、突然僕の目の前が暗くなった。

「黙って」

 その瞬間、僕の唇に彼女の甘い唇が重なった。薄暗いライブハウスで宝石の様に光る自分の涙と、彼女の舌が混ざり合う。温かい舌で上唇をなぞられて、僕の頭は飽和した。

「……痛っ」

 甘い時間が続くかと思いきや、突然上唇を彼女の八重歯でガリッと噛まれた。思わずびっくりして、唇を離し目を開くと、ふっと笑みを浮かべる彼女が僕の目に映った。

優樹ゆうきは私から離れない。そうでしょう?」

 その姿は、まるで悪女に見えた。瞳孔が開いたガラス玉の瞳は、僕の心に爪で引っ掻かれる様な不安感と、ぐちゃぐちゃな安心感を植え付けた。僕が彼女から目を逸らしても尚、僕は君が好きだと、心は見透かされてるようだった。

「……結絵ゆいえは、僕をどう思ってるんだよ」

 バクバクした心臓が治まらないまま、僕は浅い呼吸で問い質した。

「誰よりも愛してるよ」

 即答だった。嘘か本当か分からないその愛の言葉に翻弄されて、僕は力が抜けてその場にへたり込んだ。

 この偽りを、この愛の束縛を信じてしまうのは、馬鹿だと思う。でも、これが安定剤である君の副作用だとしたら。

「本当、に……?」

 君を摂取しすぎた僕は中毒者だ。

「本当だよ。誰よりも大好きで、誰よりも愛してる」

 噛まれた唇の傷口から溢れる血液。それが口に流れ込み、血の味が口いっぱいに広がった。その瞬間、僕は思った。もういっそ壊れて、君に染まってしまおう。オーバードーズになったとしても構わない。もうどうだっていいんだ。僕は自暴自棄になりながら、彼女に言った。

「……また来るね」

 全部全部、君のせいなんだから――。

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overdose. 月見トモ @to_mo_00

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