或るアンドロイドの一生

八色 鈴

第1話

「どの子が欲しいの?」


 その少女は、親に連れられて店にやってきた。

 私や、その仲間たち――――アンドロイドを売る店だ。


 ピンク色のワンピース。

 ふわふわの巻き髪。

 一見して、育ちのよいお嬢様とわかる身なりの少女は、母親からの問いに困ったように眉を下げ、ショーケースの中を落ち着きなく見渡す。


 人間の姿を模したアンドロイド。私もその内のひとりだ。「ひとり」と言う呼びかたはおかしいだろうが、我々はより人間に近く、人間のよき友、よき理解者となるために作られている。


 私は、十五、六歳ほどの少年の姿をモデルに作られていた。

 栗色のふんわりとした髪に、くっきりとした鼻梁。すらりとした体型。伸びやかな声。


 誰が見ても好ましく思うだろう。

 アンドロイドとはそう言うものだ。

 人間の目を楽しませ、心を癒すよう作られている。

 見た目も、中身も。


『かわいい子ね』


 すぐ隣から、声が聞こえた。

 声と言っても、それは人間の声と変わらぬよう合成された電子音のことではない。

 アンドロイド同士を繋ぐネットワークを介して脳内に直接聞こえる、特別な『声』だ。


『ねえ、誰が選ばれると思う?』

『さあねえ。小さい娘だ。乳母役か遊び相手でも探しに来たんだろうさ』

『あら、それじゃあ、あたしが選ばれるかもしれないわね』


 仲間たちが口々にそう言うが、私は会話に加わる気はない。

 選ばれる時は選ばれるし、選ばれない時は選ばれない。それだけのこと。

 けれど彼らは、どうしても早くこのショーケースを去りたいようだ。

 プログラムされたもっとも素晴らしい表情を浮かべ、手を振ったりポーズをとったりして、精一杯の愛嬌を客へ振りまき、どうにか気に入られようとしている。


 私は形ばかりのため息をついた。


 製造者の気まぐれである。私は他のアンドロイドに比べ、少しだけ、感情の起伏が乏しいように作られていた。

 たまにはこう言うのがひとりいても良いだろう、物好きな客が買っていくに違いないとの考えだったようだが、その目論見は大きく外れた。

 同時期に作られたアンドロイドで買い手がついていないのは、もう、私だけだ。


 そして買い手のつかない私は、もうすぐ廃棄処分になってしまう。

 ばらばらにされ、また別のアンドロイドを作るための部品として再利用される。

 つい先日、店主がそう話していたのを聞いたのだ。


 そのことに関しては、特に何も思わない。

 我々に感情があるように見えるのは、脳の部分にあたる感情を司る回路にそのようにプログラミングされているからだ。

 泣くのも、笑うのも、どれほど現実的であっても、それは人間のように心の底からわきあがってくるものではない。


 その証拠に、アンドロイドは人を好きにはならない。

 好きなように見せかけるのは得意でも、例えば主が目の前で死んだとて、涙を流すことはできないのだ。


 仕えるべき主を失ったアンドロイドは自ら記憶をリセットするよう、プログラムに組み込まれている。

 アンドロイドは命令をする主がいなければ何をして良いか分からないからだ。

 そうして多くはごみとして廃棄されるか、中古品としてガレージで安く売り出される。


 人工知能が、私のそんな未来を導き出した頃である。

 客の少女と、ふと、目があった。


 私はプログラムされたとおりに微笑を浮かべ、記録媒体に知識として組み込まれた『海』の色に良く似た少女の瞳を見返す。


 少女は私に向かって、満面の笑みを浮かべた。


「ママ、わたし、このこがほしい!」


 『小鳥』のさえずりに良く似た、高い声だった。

 こうして私は、この少女に買われることが決まった。


 ◆


 私の主となった少女は、この街の大きな商家の娘らしい。

 私は彼女の六歳の誕生日プレゼントとして、遊び相手兼・守り役として選ばれたのだ。


 ――――これから先、ずっと娘を守るように。


 少女の父親は、私にそう命じた。

 出荷されて始めての命令と言うものは、命令をつかさどる回路にしっかりとインプットされ、記憶をリセットするまで消えることはない。

 私の役目は、少女を最優先で何者の手からも守ることであった。

 私は少女を『お嬢さま』と呼び、その両親を『旦那さま』『奥さま』と呼ぶ。


 旦那さまのご自宅は、街の喧騒から少し離れた閑静な森の奥にあった。

 私はその森の中で、お嬢さまのお相手をする。


 太陽のもとで金の髪を乱しながらブランコをこぐお嬢さまはいつも楽しそうであったが、生まれたときからお体が弱いらしく、遊んだあとに寝込まれることも少なくはなかった。

 咳き込みながら寝台に横たわるお嬢さまに、温かいレモネードをお持ちするのは私の役目だ。


「ごめんね」

「何を謝られるのです?」

「だって、わたしが具合がわるくなったから、あなたがパパとママにおこられたんでしょう?」

「そのようなこと、お嬢さまがお気に病む必要はございません」


 私はレモネードを手渡し、お嬢さまが飲みやすいよう手助けをしながらそう告げる。


 守れという命令をされたのは私だ。

 けれど今日は、まだ大丈夫、もう少し遊びたいというお嬢さまの命令に従い、そのせいでお嬢さまのお具合は悪くなってしまった。

 これではアンドロイドである私が守り役としてついている意味がない。


 私の一番の仕事は、お嬢さまの身の安全を守ること。

 最優先すべき命令を履き違えるなど、どこかの回路が不具合を来たしているのだろうか。

 修理屋に行き、一度見てもらったほうが良いかもしれない。


 そう結論を出したが、翌日、奥さまの許しを得てメンテナンスを行ったところ「特に異常なし」との結果が出た。


 ◆


 人間であるお嬢さまは成長するが、アンドロイドの私はお嬢さまと出会ったときのままだ。

 たどたどしく「パパ」「ママ」と両親を呼んでいた小さな少女は、もうどこにもいない。


 お嬢さまの身長は私とほとんど変わらないほどに成長し、病弱だったお体はすっかり丈夫になっていた。

 お嬢さまは両親の愛情と一流の教育を受けて今や立派な淑女となり、この街いちばんの女学校に通う事となる。


 貴族の息女たちも通うその名門校は、ご自宅からはやや離れた場所にあり、毎日、馬車で送り迎えをしなければならない。

 この頃になると、もう昔のように森で遊びまわるわけにもいかず、家庭教師を招いて淑女としての作法やたしなみを学ぶお嬢さまの授業を、部屋の隅で私が見守るのが日常となっていた。


 それでもごくたまにお嬢さまがお風邪を召されると、昔のように温かいレモネードをお持ちするのは変わらず、私の役目である。


「では、行ってまいります。お父さま、お母さま」


 お嬢さまを溺愛する旦那さまと奥様は、毎朝、学校へのお見送りのために門の前に立つ。

 私は常にその後ろに控えて、お嬢さまの乗った馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。


 いつものように両親の頬にキスをして馬車に乗り込もうとしたお嬢さまは、ふと、何かを思いついたかのように引き返し、同じくお見送りに立っていた私の頬へも唇を寄せる。

 じんわりとした体温が、私の頬へ広がった。


 ――なぜだろうか。その熱が、消えない。


 体内の部品が熱を持っているのかもしれない。そう思い、冷却装置を試してみたが、やはりお嬢さまの唇が触れた場所だけが熱く、治まるまでにしばらくの時を要した。


 その後も、何度か同じようなことがあった。

 お嬢さまが私の手を握った時、頬に挨拶の口付けを落としたとき。

 それだけならまだしも、微笑みかけられた時ですら私の体は熱を発してしまう。


 とうとう壊れたのだろうか。


 だが修理屋は昔と同じように、どこもおかしくないと告げるのだった。

 そんなはずはない。

 他の修理屋におもむき、二度、三度とメンテナンスを行ったが、やはり結果は同じだった。


 私が修理屋に行ったと聞き、お嬢さまは大層ご心配なさった様子で「大丈夫なの?」と仰った。

 人間ならば、「大丈夫だった」と答えるのだろう。けれど私には、自分のこの状態が「大丈夫」と確信を抱くことはできない。

 だから、検査の結果をそのまま告げた。


「異常はありませんでした」

「そうなの、良かった」


 不安に染まっていたお嬢さまの顔は見る見るうちに嬉しそうになり、次の日、お嬢さまは私のためにと街で腕時計を買ってきてくださった。


 お小遣いを貯めて手に入れたとのことだ。

 自分のためにお使いになればよろしいのですよと言えば、彼女は笑いながら首を横に振った。


「あなたへのお誕生日プレゼントよ」


 アンドロイドに誕生日など必要ない。

 アンドロイドは人間に仕えるべき存在だからだ。


 だから私は、少し混乱した。思考に似せたものを司る電子回路がお嬢さまの言動を上手く処理できず、この状況に相応しい行動を導き出せないために、固まってしまったのだろう。


 しかしあえて誕生日と言うのであれば、それは私が製造された日のことを言うのではないか。

 今日はその日ではない。ではなぜ、お嬢さまは今日が私の誕生日などと仰るのだろうか。

 しばし記憶中枢を探った私は、ようやくその答えを導き出すことができた。


 そうだ、今日は私がお嬢さまと初めて出会った日だ。

 私は旦那さまに工具をお借りして時計の裏にお嬢さまの名前を刻み、その日から時計を肌身離さず身に付けた。

 『主から与えられた物は大事にせねばならない』

 人間が満足するように、快適に暮らせるように組み込まれたそのプログラムに、忠実な行動と言えた。


 そんなある日のことだ。

 隣町へ行くと言って屋敷を出て行ったきり、旦那さまと奥さまは二度と戻ってくることはなかった。

 取引先は主の死に次々と手を引き、莫大な借金だけが残される。


 広大な屋敷。

 大勢の使用人。

 一人きりのお嬢さま。

 ――――そして私。


 旦那様は生前、新たな事業へ投資しようとしていた。そのため、遺産は限りなくゼロに近い、それどころかマイナスの状態だった。


 お嬢さまは、屋敷内の調度品を全て売り払い、使用人たちもすべて解雇した。

 ただ一人、売っても二束三文にしかならぬ、既に旧型となったアンドロイドの私を残して。


 家族で暮らした思い出のある屋敷だけは残したい。

 学校をやめたお嬢さまはそんな思いから、彼女に「借金の肩代わりをしよう」と親切に手を差し伸べた男の手を取った。


 旦那さまの生前に親交のあった、貴族のご子息だった。

 またたく間にお嬢さまの結婚が決まる。


 お嬢さまの結婚相手は、お嬢さまと親しくする私を嫌った。

 これから結婚する相手に、アンドロイドとは言えなれなれしくする男が目障りだったようだ。

 時に私はお嬢さまの見ていないところで、彼から殴られたりもしたが、アンドロイドだから当然痛みは感じないし、大した傷も残らない。


 そんなことは私にとってはどうでも良い。

 彼はお嬢さまの前では優しかったし、お嬢さまも彼のことは憎からず思っているように見えた。


「ごめんなさい、あなたは連れて行けないわ」


 嫁ぐ前夜、お嬢さまはそう言って申し訳なさそうに目を伏せた。

 お嬢さまの外見年齢はとうに私を追い越し、少女の面影を残した優雅な貴婦人とおなりだ。

 アンドロイドは成長しない。私は十五、六歳の少年のまま。


 恐らくは相手方がそう仰ったのだろう。私は置いてこい、と。

 だから、私はいつものように答える。


「そのようなこと、お嬢さまがお気に病む必要はございません」

「ありがとう。お父さまとお母さまの残したこのお屋敷を、守っていてちょうだいね」


 私の守る対象は、お嬢さまから屋敷へと変わった。

 お嬢さまは、私の代わりに彼女を守ってくださるであろう貴族のご子息のもとへ嫁がれた。


 親族ですらないただのアンドロイドである私は、お嬢さまの花嫁姿すら見ることは叶わない。

 それで構わない。


 ――けれど、なぜだろうか。


 がらんどうになった屋敷を。私ひとりとなった屋敷を、今まで以上に広く、静かだと思ったのは。

 お嬢さまおひとりがいなくなっただけだと言うのに。

 胸の中のねじがきしきしと軋む音を立てる。


 ひとりきりになった私は、毎日屋敷を守り続ける。

 お嬢さまを守ること、お嬢さまの命令を守ること、それが私の存在意義だからだ。

 命令系統にしっかりと刻まれた、それは最初のご命令。


 心を込めて、と人間は言うが、私に心はない。

 けれど出来る限り丁寧に掃除をし、壊れた箇所を修理し、空気を入れ替え、花壇の花の世話をすることは出来る。

 いつお帰りになるか、お嬢さまは口にはしなかった。

 けれどそれはつまり、いつお帰りになってもおかしくないと言うことだ。


 お嬢さまがいつでも心地良く過ごせるように、私はお嬢さまがいらっしゃった時と同じように、お嬢さまのお部屋を整える。


 そんな日々の中、私は右手の動きが悪いのに気付き、数年ぶりに修理屋を訪れていた。

 曰く、関節を滑らかに動かすための部品が擦り切れてしまっているそうだ。

 旧型の私に適合する部品はもう製造されておらず、あったとしても中古で高額となってしまっている。

 取り寄せるかと聞かれたが、そんなお金はない。

 とりあえず左手さえ使えれば日常生活に支障はないから、大丈夫だ。

 私はそのまま、修理屋を後にした。



 お嬢さまが戻ってきたのは、それから三年後のことだった。



 その日は激しい雨が降っており、何をするでもなく待機状態になっていた私は、雨の音に混じって扉を叩く音がするのに気付き、急いで玄関を開ける。

 そこには裸足にワンピース姿の、ずぶぬれになったお嬢さまが立っていた。


 お嬢さまは私を見るなり瞳から涙を溢れさせ、腫れた唇から嗚咽を漏らす。

 固まっている私に、お嬢さまは力が抜けたようにもたれかかった。


 酷い熱だった。

 私はすぐにお嬢さまを横抱きにし、玄関扉を閉める。

 鍵をしっかりとかけ、二階にあるお嬢さまのお部屋へ向かった。

 その時、私は自分の右手が完全に壊れたことを理解したが、もう構わなかった。


 湯を用意し、濡れた体を拭くために、ぐったりとしたお嬢さまのワンピースを脱がせると、肌に無数の傷跡があった。

 私はこれを知っている。

 鞭で打たれた痕と、縛られた痕だ。


 他にも打撲や、切り傷、火傷痕。さまざまな傷がお嬢さまの、しみ一つなかった肌を埋め尽くしている。


 なぜ? どうして?


 いくつもの疑問符が頭に浮かぶ。

 体を丁寧に拭き、手当てをし終えた頃、意識のなかったお嬢さまがようやく目を開いた。


 お嬢さまを娶った男は、結婚したその日からお嬢さまに暴力を振るったそうだ。


 私には見抜けなかった。


 あの男は三年もの間、ずっと、お嬢さまに暴力をふるい続けていたのだ。

 すべての傷跡は、衣服に隠れる範囲に限定されていた。

 人当たりの良いあの男が裏でそのようなことをしていると、気付く人間はいなかった。


 耐え切れなくなったお嬢さまは、夫であるあの男の目を盗んで必死の思いでこの場所まで逃げてきたらしい。

 傷だらけの体を自らの腕で抱きしめ、静かに虚空を見つめるお嬢さまに、私はいつものように温めたレモネードを差し出す。

 お嬢さまはそれを口に運び、そしてひとくち、口に含もうとした瞬間に。


「あなたは、変わらないのね」


 そう言って、泣き崩れた。


「あなたは、変わらない……。だけど、わたしは……」


 そう呟くお嬢さまの背中を、優しく撫でる。

 昔、奥さまが生前そうなさっていたように。

 だから、これはただの真似事だ。

 そのはず、だったのに。


「お嬢さま……」


 私は衝動に突き動かされ、お嬢さまの体を強く抱きしめる。

 小刻みに震えるその体は、冷えていて、そして温かい。


 ――衝動に突き動かされる? それはおかしい。


 私はアンドロイドだ。

 思考のように、感情のように思えるものは全て計算から成り立つプログラムの産物。

 私は人間ではない、いつも冷静でいなければ。

 ああ、だがなぜだろう。

 私はもう、修理屋に行くつもりはなかった。


「お嬢さま、ご安心ください。私はこれからもご命令に従い、お嬢さまをお守りします」


 お嬢さまはそれを聞き、少しだけ寂しそうに笑った。


 翌日、お嬢さまの夫であった男が、屋敷を訪ねてきた。

 お嬢さまはまだ眠っている。


 男は玄関前でわめき、目を血走らせながら、私の襟首をねじり上げた。

 私が、お引き取りくださいと告げたからだ。


「あいつは俺の妻だ。アンドロイドごときが邪魔をするな」


 語気を荒くする男に、私は有無を言わさず相手を突き飛ばした。

 地に臥したところを、上から何度も何度も殴り飛ばす。


「お嬢さまを守るのが私の仕事です。私は旦那さまのご命令に従います」


 おかしい。すべてのアンドロイドは、人間を傷つけないようにできているはずだ。それなのに、男を殴り、男の唇から血が流れるのを見るだけで、胸がすくような錯覚を覚える。


 血塗れになった男は、覚えていろよと捨て台詞を吐きながら去っていった。

 まるで、何かおぞましいものでも見るかのような視線を私に投げつけて。


 意外にもそれ以降、男は屋敷を訪ねてこなかった。

 これで、お嬢さまを傷つけるものはいない。


 それから、お嬢さまと私の二人きりの生活がまた始まった。


 穏やかな日常。

 何気ない会話。

 そして森での散歩。


 懐かしい森の中、お嬢さまは少女だった頃のように泉で水を汲んでは、それを私にかけてはしゃぐ。

 私はそれを、笑顔で見つめる。

 私の記憶中枢がお嬢さまで埋まっていく。

 もう、旦那さまと奥さまの顔は思い出せない。


 心労がたたったせいだろう。

 お嬢さまはお屋敷に戻ってから、たびたび熱を出すようになってしまった。

 昔のような弱いお嬢さまにもどってしまったのだ。


 私はお嬢さまが熱を出すたびに、その痩せた体を抱いて寝台まで運ぶ。

 そして、温めたレモネードを出す。

 お嬢さまは、懐かしいと目を細めながらそれを飲み干す。

 昔に戻ったかのようだ。


 けれど昔と違うのは、日を追うごとに私がレモネードを作る回数は増え、やがてお嬢さまはそれを残すようになり、やがて―― 一口も、飲めなくなってしまったことだ。


 それとほぼ時を同じくして、私の左足と右腕の機能に寿命が訪れる。

 手も、足も、ひとつが残っていれば何とかなるものだ。

 私はぎこちない動きで、お嬢さまの食事の手助けをし、衣服を着替えさせる。

 お嬢さまはそんな私にいたましげに眉を寄せたが、私は笑みを浮かべて答えた。


「ご安心なさってください、お嬢さま。わたしはアンドロイドです。痛みは感じませんし、修理すれば直ります」


 それは私がお嬢さまについた、最初で最後の嘘だった。


 その夜、お嬢さまの気分は珍しく良かった。


「レモネードが飲みたいわ」

「すぐにお持ちします」

「ありがとう、本当に、あなたには感謝しているわ……」


 命令に従い、私はもはやほとんど動かなくなった左足を引きずりながら、キッチンへ向かう。

 そして普段より急いで、部屋へ戻った。


 お嬢さまはこときれていた。

 眠っているように、口元に微笑を浮かべて。


「お嬢さま、レモネードを。レモネードをお持ちしました」


 私は何をやっているのだろう。

 お嬢さまはもう亡くなったというのに。


「お嬢さま、レモネードです。お嬢さまはこれが好きでしょう? お嬢さま、お嬢さま」


 返事がないことは分かりきっているのに、呼びかけるのを止められない。

 やがて私の左手は軋み始め、壊れた手の中からカップが滑り落ちる。

 床の上に、砕けた破片とレモネードが飛び散った。もう冷えたレモネードが。


 いったい私は、どれほどのあいだお嬢さまに呼びかけていたのだろう。

 すべてのものからお嬢さまを守るのが私の使命のはず。

 それなのに私は、「死」からお嬢さまを守ることができなかった。


 翌日、早朝。

 霧の立ち込める森の中、私はお嬢さまを静かに大地の上に横たえる。

 手首から先が使えなくても、意外と何とかなるものだ。

 その美しい亡骸を泉へと沈め、ぷくぷくと泡を立てながらゆっくり沈んでいく様を見届ける。


 昔よりやや色あせた金の髪が水中で靄のように広がり、やがてそのきらめきも見えなくなった。

 永遠に。

 永久に。


 アンドロイドには死というものはない。

 ただ故障し、メモリに刻まれた記憶が消えるだけ。

 そのメモリが壊れるか、消されるかするまでは、記憶を保ち続け、一応は個として存在する。

 この先どれほど私があり続けたとて、けれどお嬢さまに会うことはできない。

 胸の中のネジがまた軋む。


 私はすべてのアンドロイドがそうするよう仕組まれているにも関わらず、自分のメモリをリセットするようなことはしなかった。

 製造過程で組み込まれたはずの抗えないはずのその機能は、もはや私を縛ることはない。

 おそらくはその部品も壊れてしまったのだろう。


 私は静かな屋敷の中、ただ自分が壊れる時を待つ。

 お嬢さまの代わりに、お屋敷を守りながら。


 やがて私の部品はそのほとんどが壊れてしまい、ああ……とうとう私は一歩も動けなくなってしまった。

 瞬きする機能も、唇を開く機能も、そして外部からの音を取り入れるための部品も壊れてしまい、屋敷の床に横たわる。

 温度を確認するセンサーも壊れ、窓の外に見える葉の色から、今が秋であることを理解した。


 枯葉をつけていた木々に雪が積もり、雪が溶けて花が咲き、新緑が青々とその葉を広げる頃。

 私は視覚機能も失った。

 だが、それで良い。

 旧式である私のメモリは、これ以上の記憶を抱え込むことはできない。

 そのメモリも、今や大半を失われつつある。


 私はもっとも安全な場所にお嬢さまの記憶を移した。

 せめて記憶だけでも、お嬢さまの欠片をお守りしよう。


 その頃になると、私はもう理解していた。

 私の思考を構築する電子回路の中で真っ先に壊れたのは、命令系統を司るもの。

 それでも私は、お嬢さまを……。






 私は誰だろう。

 私はアンドロイドだ。

 人間のために存在し、人間を喜ばせるためにそこにある。

 だが私はもうすぐ壊れてしまうらしい。

 どこもかしこも使い物にならない。

 やがてゴミとなり捨てられるだろう。

 役立たずのアンドロイドは溶かされ、新たな部品を作るための材料となる。


 私はどのような主人の元で働いたのだろう。

 少しは人間の役に立てただろうか。

 ……人間?

 人間とはなんだ。

 私は誰だ。

 私は、私は。



 消え行く意識の片隅で、もうすぐ壊れるメモリのごく小さな部分で、けぶるような金色が揺らめく。

 そこには美しい小さな少女が笑っており、少女は年頃の娘となり、やがて大人の女となる。

 ときに笑い、泣き、怒り、何かの飲み物を口にしながら、微笑む。

 ばらけたパズルのようにパラパラと私の頭の中を舞うその人間が誰なのか、私にはわからない。

 メモリからパズルの欠片が失われていく。

 それを引き止める力は、私にはもう、ない。



 そうして最後に、意識が遮断される直前、私はどこかで声を聞いたような気がした。

 それはおそらく、私の記憶に焼きつき微かに残った主人の、もっとも強い記憶。


「ママ、わたし、このこが欲しい!」


 嬉しそうに、花開くような笑みを浮かべて私を指差す、小さな少女の姿だった。





 その大きな屋敷は、元は名のある商人のものだった。

 商人の死後は一人娘が継ぎ、その一人娘もいつの間にか死んでいた。


 人の気配がしない。

 郵便受けから手紙が溢れている。


 近所のものからそう聞き、ようやく娘の死が分かったのだ。


 不動産屋が足を踏み入れると、そこには既に娘の亡骸はなく、玄関先に一体のアンドロイドだったものが転がっている。

 最新式であれば中古でもそれなりの値になっただろうが、ここまで古ければ売っても大した額にはならぬだろう。

 あとはゴミ置場に行くだけの運命だ。


 元は綺麗な少年だったであろう埃まみれのアンドロイドを抱え上げた不動産屋は、ふと、その腕に時計がはまっているのを見つける。


 大した品ではない。

 多少裕福な家庭の子供が頑張って貯めれば、小遣い程度で買えるものだ。


 だが、売ればアンドロイドよりは金になるだろう。

 不動産屋は時計をアンドロイドから外す。

 その裏には、名前が刻まれていた。

 不動産屋の記憶違いでなければ、確かその名はこの家の――。


 不動産屋は、抱えたアンドロイドの顔をちらりと見る。

 目を閉じ、微笑んでいる「彼」はいかにも幸せそうだ。


 ……馬鹿らしい。アンドロイドが「幸せ」などという感情を覚えるはずもないのに。


 不動産屋は頭を振ってその考えを追い払った。

 が、やがて思い直したようにアンドロイドを下におろし、腕時計をはめなおす。

 そして再びアンドロイドを抱えた。屋敷を離れ、森の中を歩き続ける。

 着いた場所には泉があった。


 主人を失いメモリをリセットしたアンドロイドは、作られた工事へと戻るようにプログラムされている。

 にも関わらずこのアンドロイドが屋敷に留まったのは、すでに動けなかったからか、あるいは彼自身がそう望んだからだろうか。


 ありえない。

 そう思いつつも、商人はゴミ置場ではなく、泉へとアンドロイドを放り投げる。

 きっと彼は、ここにとどまりたかったのだろう。

 時計に刻まれた名前を持つ、主と共に。


 アンドロイドは感情を持たない。

 だけど、それは確かに彼の「愛」だったのだ。



 重い機体は瞬く間に沈み、やがて完全に見えなくなった。

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