恋は削れる。

融解

　＊

　──恵美は恐ろしかった。目の前にいる男にどう見られているのかばかり考えてしまっていた。

　私が恋愛にこんなに臆病になっていただなんて思いもよらなかった。

　相手の好みや趣味も事前に聞いていた。でも、そこから外れてしまったら？ 相手に幻滅されるのではないか。言葉遣いや挙動、今日着てきた服や化粧も相手の好みを意識した。

　レストランの席に着席してから談笑しつつも、彼を注意深く観察して、視線が合うと、怖くて何度も目を逸らした。

　視線をあげる。すると……相手の男が溜め息を漏らす姿を目で捉えてしまった。

　嫌だ。また拒まれる……。何が駄目だったんだろう。また否定される。また歩けなくなる。どこが悪いの？ ねぇ、私の何がいけなかったの。もう理不尽に振られるのは嫌なの。これ以上はもう、

「ごめんな、さい。あの、私の……なにがけなかったですか──」

　そんな質問を会ったばかりの男に尋ねるなんてどうかしてると思う。でも耐えられなかった。

　視界が涙で溢れてしまう。子供みたいに声を圧し殺して泣いてしまった。

　＊

　とにかく慌てた。

　俺のことを品定めしていると思っていた彼女が、突然泣き出したのだから。

　それも、彼女は俺が幻滅していると思っているようだった。考えていたのは全く同じことだった。

　誤解を必死に解こうとしたが、彼女は泣いてばかりですぐに話を聞ける状態ではなかったので、しばらくの間は注文したカンパリや料理に口をつけることなく、彼女が落ち着くまで待つことにした。

　それから食事を勧めつつも、彼女がどうして泣いたのか。奇妙な質問をしてきた理由を尋ねることにした。

　＊

　私ね。本当は恋愛が怖いんです。実は半年前に交際してた男性に振られてしまって。その前にも別の相手から振られてて。

　でも、ずっと振られた理由が分からなかったんです……。自分の何が駄目だったのか。どうして振られたのか。選ばれなかったのか、とか。

　＊

　その気持ち……俺、すごく分かります。ほんと、何で自分を捨てたんだって腹も立ちますよね。でも、好きな気持ちだけが残り続けて、心を削り続けてくるんですよ。本当に最悪な気分だ……。

　＊

　あ、それ。私も分かります。

　どのあたりがですか？

　削れるって表現。失恋しても、恋って残り続けて、心を削ってきますよね。相手のことが許せないのに、まだ相手を好きな自分がいて。恋する気持ちだけが取り残されるやつ。

　ああ、それですそれ。そうなんですよ。恋って簡単には消えてくれないんですよね。

　俺なんか昔付き合ってた子に浮気されて振られた翌日から、ずっと寝る前に携帯の着信履歴とにらめっこしてましたし……。

　ああ、それすごく分かる。

　別れた相手が復縁を迫ってくるんじゃないかとか悩んじゃうやつですよね。

　そうなんですよ。でも、いまも自分の何が駄目なのかって悶々と考えてしまって……。

　本当に何が駄目だったんでしょうね。

　あ、被った。

　ウケますね。

　でも、少し気持ちが軽くなったかも。

　うん……。そうですね。同じ立場で話を聞いてもらえたから、確かに楽になったかもしれませんね。

　折角ですし、互いの過去の恋愛話でもとことんしてみませんか？

　いいですね。二軒目行きますか。

　あ、でもまだメインディッシュも出てきてないですよ。

　ほんとだ。

　じゃあ、飲み直す前にコイバナ始めちゃいます？

　そうしよかった。折角だし。

　──二人が注文したカンパリのグラスの中にある氷がカラリと音を立てて融け始めている。

　夜は更けていく。

　夜と共に二人の恋は静かに融解していく。

　氷と共に静かに削れていく。

　話に夢中になっている二人は、まだ気付いていない。

　恋は削れる。

　心融かすその瞬間の為に。

　新たな恋と融け合う為に。

　流氷が、氷塊から静かに削り出されて、大海原へと流れて融けていくように。

　二人の心も静かに融け合っていく。

　かつて流れた涙とともに。