『騙れぬ女』―日本霊異記『蟹と蛙との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けらえし縁』RemiX
小田舵木
『騙れぬ女』
ある乙女がそこに居た。
その視線の先には蛙を
「ねえ。その
「ならぬ。なんせ久しぶりのメシだらな」大蛇はそういう。自然界は厳しいのだ。
「ならさ」と乙女は―身につけた着物に手をやりながら言う。
「なら?」と大蛇は問う。
「この服でその蛙を
「服なぞ―腹の足しにならん」そういう大蛇。
「じゃあ―私ならどう?」そういう彼女は
「…一週間待って貰って良いですかね?」そう…大蛇は
かくして。
初な青年の大蛇と艷やかな乙女の話は始まる…
◆
「どうしよう」彼女は困っていた。
「私―蛇と結ばれちゃうの?」そう。彼女もまた初な乙女でしかなかったのだ。
「今―なんて?」かく問うは彼女のお師匠様である。
「いや。蛇に…蛙を離してやる代わりに私をあげるからって言っちゃって」と彼女は語る。眉根を下にしながら。
「お前―それは
「それは―こっちが話を断りまして」そういう彼女はツンとしている。
「あそう…なんにせよ。そういう話なら―どうしようもないぞ」お師匠様は眉に手をやりながら言う。
「そう言わずに」彼女の
「…まあ?神に祈り給えよ」なんて月並みな表現で逃げる師匠。
「神…ね。そんなモノは居ない。それが私のモットーだけど?」
「じゃあなんで私に師事する?」そう。かの男は宗教家である。在来の特定の宗教ではなく、彼独自の教えを広めている。
「貴方に付いていくと―
「まあ、な?否定はせん…宗教は
「流石お師匠様…その
「無理だ…
「私の前に居た」
「信じてはやる…しかし。私のようなしがない宗教家の手に余る…」
「で。神頼み?情けない」そう
「
「信じこめば―いい状況を引き寄せられるとでも?典型的な自己啓発で笑えてくるわね」彼女はシニックな笑みでそういう。
「…思い込みを馬鹿にするもんでもない」と詐欺師は言う。それが彼のメシの種でもあるからだ。
「ま。私がどうにかするしかない…か」諦めた彼女はそう
「健闘を祈るよ」そう、彼は言うしかなかった。
そして幕は落ちる。
◆
「お父様、お母様」と彼女は自宅で両親に告げる。「私は蛇と結ばれそうです」と。
「どういう…意味だ?」そう父親は問わざるを得ない。
「言った通りの意味でしか」と彼女は簡潔に告げる。
「
「あの男は―金を創るという点では優れた男ですよ」と彼女は師匠を評す。
「倫理的に問題ありありじゃないか…彼は」そう父は彼女に不満を述べ。
「チンケな詐欺師…でしょう?」と母は畳み掛ける。
「だから良いのよ」と
「私達が用意した男に見向きもしないなんて」と母は嘆息する。
「…お前を思っての事なのだ」父はそう加える。
「それは押し付けと言うモノでしょう?」そう乙女は返す。恨みを込めて。
「お前は。己で人生を判断するほど―賢いのか?」父は半ば怒りながら問う。
「そうよ―貴女は‥賢くなんてない…私達に従っていれば良いの」母の言葉がそこに重なる。
「貴方がたの言う賢さなんて―世間で適当にやっていく為の方便じゃない。そんな詰らない
「…勝手にしろ」
そういう、父親の言葉がこの幕の最後の台詞になった。
◆
乙女は家を出た。その屋敷に居ると自分も詰らない人間になるような気がして。
かくして出会う。大きな
「その蟹―私が
「この蟹は」と翁は語り始める「大阪、
「…ならば」と彼女は言う。
「さあ。
「とりあえず―服で良い?」この女には脱ぎ癖があるらしく。
「パンティーも寄越せ」と翁は言う。変態らしい。
「それは断りたい」と彼女は言う。法治国家で最後の一枚を脱ぐことは、罪なのである。
「ブラジャー」と重ねて翁は言う。下着フェチらしい。
「胸が垂れるから嫌」常識的な解答。女性のクーパー靭帯は支えるものがないと仕事をしないのだ。それにトップレスも法治国家に対する挑戦である事は変わりなく。
「ならば―
「…元気ね」とコメントするのが精一杯の乙女。
「世の中タダなモンはないわけじゃ…
「
「
「あのね?私は清らかな乙女なわけ」と彼女は言うが。脱ぎ癖のある君を清らかとは評し難い。
「
「スペル違い」と乙女は突っ込む。話が逸れることを期待して。
「なんじゃあ?清らかぶった癖に知っとるのお」完全にスケベ爺ぃと化す翁。
「常識でしょうに」と彼女は切る。
「何処の?…
「それはそう…私も―詐欺師の端くれだから」まだデヴューはしてないが。
「ならば―せいぜい
「…はあ。なら。私は蟹を体で贖う―」そうする事が何かに繋がるような、そんな気がして。
「成立…じゃホテルじゃああああああああ」と翁は駆け出し。
この幕を終える。
◆
「私の初めては老人でした…うん。
「貴女は―どうして私を贖ったのですか?」そう問う蟹。
「―なんとなく、よ」そういう彼女。
「貴女は―詐欺師なのでしょう?」
「の駆出しね」とそっけなく。
「…貴女は私に何を望む?」そう問う蟹。取引は続いていくのだ。人生と同じように。
「―何も。良いのよ…そういうの。キリがないじゃない。下らない」彼女はそう言うけれど。
「それで私の気が済むとでも?」蟹は情に厚いらしく。
「せめて。私の初めての分だけは長く生きなさいよ」彼女は―
「せめて―
「…今からお師匠様に慰めてもらおうかと思ったんだけどね?」などと言いながらも
「私は貴女の下僕です。何なりと」蟹はそう言い。彼女に伴する。
かくしてこの幕を下ろす。
◆
「その蟹はなんだい?」そう師匠は問う。
「
「下僕て。そういう遊びか?」呆れ半分で聞き返す師匠。
「いや―私が体で
「…無茶をする。我々の武器は舌先だ。体ではなく概念だ…」そう告げる師匠は物悲しげ。
「私は―まだまだ未熟でしたから。かの
「翁?」
「不思議な人でした…ベッドの上では俗人でしたが」妙な人物評。それは矛盾した人の有様。
「そこで聖人ぶれるヤツは子孫を残しちゃ居ないさ」そう評を受ける師匠。
「…不思議と。あの液体は出ていませんでした。そう言えば」ふと思い出したように言う彼女。
「…そいつは不思議だな」
「しっかり痛かったんですが」
「ご愁傷さま」
「もっと慰めてくれても良くないですか?」彼女は言う。
「どう慰めよ、と?」師匠は
「抱け、と申しております」彼女の告白。それは突然かつ、こつ然に。
「残念ながら。私は不能―と言うより。宗教に道を見出してから。そういうモノは無いんだよ」そう言う師匠。そこだけは聖人じみており。
「良いんですよ?私は」と彼女は迫れども。
「私が良くない訳だ。君にはそういう感情を抱きたくないのだよ」
「…つれない人」と彼女は
「スマン」と師匠は台詞を置き。「…しかし。君は善いことをした。方法としては間違いだったが―まあ、善い結果ではある」
「蟹ですか」
「ああ。後はそいつを放してやれば
「…そうですね。自由を与えましょう」そこにあるは慈悲か?はたまた打算か?
「私は…貴女に仕える事に意味を見出したのです。そこに自由があるのです…」
「ならば―
「―しかと
かくしてこの幕を閉じる。
◆
7日はあっという間に過ぎていき。
乙女は屋敷に篭り。普段しないことをしている。祈っているのだ―何かに。
「人事を尽くして天命を待つ。よく言ったものね」と皮肉に言う。
「さて―現れるのかしら…大蛇は」
そこに。かつて見た大蛇とは似ても似つかぬモノが現れる。まるで地から湧いたかのように。
「…現れた」彼女は呟く。驚きと共に。
「君が―した約束だろうに」そう大蛇は
「とは言え。私は騙り屋の端くれ」
「その割には―騙れていないようだな?まんまと私を家に入れた」蛇は彼女を
「ここは私の部屋じゃ―ない」と彼女は涼しく言い―手元のボタンを押す。すれば、彼女の周りの床が落ち、彼女を下へと
「じゃあね」と彼女は落下しながら台詞を言い。
「させるか」と蛇は彼女を追い、穴に潜る―
この幕は以上だ。
◆
落下する女。それを追う蛇。
重力のないそこでは。言葉のやり取りにも意味がないように思えるが。
「しつこい男は嫌われる」
「約束を守らないのは
「まあ?私は畜生以下でしょうね」なんて思っても無いことを重力の中で言うと。
「さあ。差し出せよ。君をさ」と
「魂を?肉体を?どちら?」なんて遅らせる事に意味はあるのか否か。
「どちらも。というのは贅沢なのかい?」伊達男を気取る蛇。
「
「構わぬ。ただ、我が子を為せ」男性
「―
「ならば。心だけでも差し出せよ」そう蛇は
「それも叶わない…私の心は別のところにあるから」でもそれもまた叶わぬ感情であり。
「俺は―君の何なら手に入れられる?」
「何も。人の形をした空虚だけが
この幕を閉じる。
◆
落ちた先。
それは先程の部屋とさして変わらない。強いて違いを挙げるなら。彼女の匂いが染み付いて居ることだろうか。
「君は―どうしたいのだ?」そう蛇は問う。
「どうも?ただただ撹乱したいだけなのかも」彼女は諦めの中にいるのだろうか。
「…そんなに俺が嫌かい?」優しく
「蛇と人の結婚が祝福されるとお思い?」
「…俺は蛇である前にオスで。君みたいなメスに拒まれると―存在が危うい」蛇の
「貴方はそんなモノに規定されてるの?」純粋な問。
「そんなものさ。畜生たる俺は」
「…虚しいものね?」
「ああ。虚しい。そこに更に虚しさがつけ加わろうとしている…」蛇の目に涙腺があるのなら涙が
「私が受け入れなければ―貴方は悲しまずに済んだのかしら」
「どうせ…蛙を
「
「ああ。騙すつもりなら―もっと徹底的にやってくれんとな」
「貴方は―騙されて。どうしたかった?」彼女は問う。それは優しさなどではなく
「幸せな―嘘を
「…ごめんなさい」そう謝った時―
「我が主を損なう者、即ち敵なり」と蟹が降ってきた。そして蛇を押しつぶす―
「止めて―」そういう乙女。しかしそれは叶うことはない。
そして。
蟹は蛇を襲い。バラバラに切り刻み。
残ったのは輪切りの
かの哀れな
そういう話で幕を下ろす。
◆
この世は報われぬものなのだ。残念ながら。
だが絶望するなかれ。
君には騙される権利がある。
それはこの世界を読み解く物語だ…君に視点をやろうと言うのさ―
そう
かの女は―騙されることにした。この男の説く視点を受け入れることにした。
かくして。女は
それは―幸せな事だろうか?
そういう問いかけで私は物語を閉じる。ご清聴、感謝する―
◆
『騙れぬ女』―日本霊異記『蟹と蛙との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けらえし縁』RemiX 小田舵木 @odakajiki
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