『騙れぬ女』―日本霊異記『蟹と蛙との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けらえし縁』RemiX

小田舵木

『騙れぬ女』

 ある乙女がそこに居た。

 その視線の先には蛙をもうとする大蛇―


「ねえ。そのかえる離してあげて」彼女はそういう。

「ならぬ。なんせ久しぶりのメシだらな」大蛇はそういう。自然界は厳しいのだ。

「ならさ」と乙女は―身につけた着物に手をやりながら言う。

「なら?」と大蛇は問う。

あがな」仏教的な放生ほうじょうを匂わせる彼女。

「服なぞ―腹の足しにならん」そういう大蛇。


「じゃあ―?」そういう彼女はあでやかに美しい。


「…一週間待って貰って良いですかね?」そう…大蛇はうぶな青年だったのだ。


 かくして。

 初な青年の大蛇と艷やかな乙女の話は始まる…


                 ◆


「どうしよう」彼女は困っていた。

「私―蛇と結ばれちゃうの?」そう。

「今―なんて?」かく問うは彼女のお師匠様である。

「いや。蛇に…蛙を離してやる代わりに私をあげるからって言っちゃって」と彼女は語る。眉根を下にしながら。

「お前―それは悪手あくしゅだろうが。ていうかお前許嫁いいなずけ居なかったか?」呆れて物言う師匠。

「それは―こっちが話を断りまして」そういう彼女はツンとしている。

「あそう…なんにせよ。そういう話なら―ぞ」お師匠様は眉に手をやりながら言う。

「そう言わずに」彼女のびた目線が師匠に刺さる。

「…まあ?神に祈り給えよ」なんて月並みな表現で逃げる師匠。

「神…ね。。それが私のモットーだけど?」

「じゃあなんで私に師事する?」そう。である。在来の特定の宗教ではなく、彼独自の教えを広めている。

「貴方に付いていくと―もうかるから」そう彼女は言う。

「まあ、な?否定はせん…宗教は一次いちじ的には救いの手だが…、既存のヒエラルキーの隙間を突いて…」そううそぶく師匠。彼も情熱に燃えた青年だったのだ。しかし、時の試練には打ちてず。しがない詐欺師に成り果てた。

「流石お師匠様…その舌先したさきで―蛇を騙してよ?」彼女のお願い。

「無理だ…そいつ大蛇は俺らのらちの外の存在だ…喋る大蛇が何処に居ると思う」

「私の前に居た」

「信じてはやる…しかし。私のようなしがない宗教家の手に余る…」

「で。神頼み?情けない」そうなじる乙女。

いわしの頭も信心から…とは言ったものでな?」

」彼女はシニックな笑みでそういう。

「…思い込みを馬鹿にするもんでもない」と詐欺師は言う。それが彼のメシの種でもあるからだ。

「ま。私がどうにかするしかない…か」諦めた彼女はそうこぼす。

「健闘を祈るよ」そう、彼は言うしかなかった。


 そして幕は落ちる。


                  ◆


「お父様、お母様」と彼女は自宅で両親に告げる。「私は蛇と結ばれそうです」と。

「どういう…意味だ?」そう父親は問わざるを得ない。

「言った通りの意味でしか」と彼女は簡潔に告げる。

貴女あなた―変な人にくっつくだけじゃ気が済まなかったの?」そう母はなじる。師匠との縁を疎ましく思っているのだ。

「あの男は―優れた男ですよ」と彼女は師匠を評す。

「倫理的に問題ありありじゃないか…彼は」そう父は彼女に不満を述べ。

「チンケな詐欺師…でしょう?」と母は畳み掛ける。

「だから良いのよ」とうそぶく乙女。そう、彼女もまたかたる女ゆえの事。

「私達が用意した男に見向きもしないなんて」と母は嘆息する。

「…お前を思っての事なのだ」父はそう加える。

「それは押し付けと言うモノでしょう?」そう乙女は返す。恨みを込めて。

「お前は。?」父は半ば怒りながら問う。

「そうよ―貴女は‥賢くなんてない…」母の言葉がそこに重なる。

「貴方がたの言うなんて―便じゃない。そんな詰らない世間知せけんちなど私には必要ない」そう乙女は言い返す。詰らない家の詰らない家人かじんたちに。

「…勝手にしろ」

 

 そういう、父親の言葉がこの幕の最後の台詞になった。


                  ◆


 乙女は家を出た。

 かくして出会う。大きなかにを伴ったおきなに。

「その蟹―私があがなって良いかしら?」そう彼女は言う。特に

「この蟹は」と翁は語り始める「大阪、難波なにわたまさか得たもの…先約がある。貴女きじょに譲る事は出来ぬ」難波の江、それは日本書紀で言及される水路の話だが、で。

「…ならば」と彼女は言う。

「さあ。貴女きじょは何を差し出すというのかね?」翁は問う。それは覚悟を測るかのような物言いで。

「とりあえず―服で良い?」この女には

「パンティーも寄越せ」と翁は言う。

「それは断りたい」と彼女は言う。法治国家で最後の一枚を脱ぐことは、罪なのである。

「ブラジャー」と重ねて翁は言う。下着フェチらしい。

「胸が垂れるから嫌」常識的な解答。女性ののだ。それにトップレスも法治国家に対する挑戦である事は変わりなく。

「ならば―のが身であがなえ」翁は要求をエスカレートさせて。

「…元気ね」とコメントするのが精一杯の乙女。

「世の中タダなモンはないわけじゃ…貴女きじょは体以外に差し出せるモノはあるのかね?」そうえぐるように聞く翁。

舌先三寸したさきさんずんって答えは月並みかしら?」そう妥協線を探る彼女。

舌奥六寸したおくろくすんなら受け入れる」と翁。ちなみに1寸=3.03センチである。

「あのね?私は清らかな乙女なわけ」と彼女は言うが。脱ぎ癖のある君を清らかとは評し難い。

なお良い…わし呪文スペルを受け取れい」卑猥なジョーク。そこに大した意味はないはずで。

違い」と乙女は突っ込む。話が逸れることを期待して。

「なんじゃあ?清らかぶった癖に知っとるのお」完全にスケベ爺ぃと化す翁。

「常識でしょうに」と彼女は切る。

「何処の?…貴女きじょ―話を逸らさんとしておるな?」乙女の企みはついえ。

「それはそう…私も―詐欺師の端くれだから」まだデヴューはしてないが。

「ならば―せいぜいかたれ、そしてだませ。儂を。出来ぬなら体で払え。それが取引」そう区切りながら言う翁。

「…はあ。なら。―」そうする事が何かに繋がるような、そんな気がして。

「成立…じゃホテルじゃああああああああ」と翁は駆け出し。


 この幕を終える。


                 ◆


「私の初めては老人でした…うん。ゆがみそうね」と乙女はつぶやく。

「貴女は―どうして私を贖ったのですか?」そう問う蟹。

「―なんとなく、よ」そういう彼女。

「貴女は―詐欺師なのでしょう?」

「の駆出しね」とそっけなく。

「…貴女は私に何を望む?」そう問う蟹。取引は続いていくのだ。人生と同じように。

「―何も。良いのよ…そういうの。キリがないじゃない。下らない」彼女はそう言うけれど。

「それで私の気が済むとでも?」蟹は情に厚いらしく。

「せめて。私の長く生きなさいよ」彼女は―ひねくれながらも優しい人なのかも知れず。

「せめて―貴女あなたともしましよう。貴女の気が済むまでは」そういう蟹。

「…今からお師匠様にもらおうかと思ったんだけどね?」などと言いながらもやぶさかでもない乙女。

「私は貴女の下僕です。何なりと」蟹はそう言い。彼女に伴する。


 かくしてこの幕を下ろす。


                 ◆


「その蟹はなんだい?」そう師匠は問う。

あがなった蟹です」「どうも彼女の下僕です」そう各々おのおのが言う。

「下僕て。そういう遊びか?」呆れ半分で聞き返す師匠。

「いや―私があがないましたから」そうそっけなく言う彼女。

「…無茶をする。我々の武器は舌先だ。体ではなく概念だ…」そう告げる師匠は物悲しげ。

「私は―まだまだ未熟でしたから。かのおきなだませず仕舞じまい」

「翁?」

「不思議な人でした…」妙な人物評。それは矛盾した人の有様。

「そこで聖人ぶれるヤツは子孫を残しちゃ居ないさ」そう評を受ける師匠。

「…不思議と。は出ていませんでした。そう言えば」ふと思い出したように言う彼女。

「…そいつは不思議だな」

「しっかり痛かったんですが」

「ご愁傷さま」

「もっとてくれても良くないですか?」彼女は言う。

「どう慰めよ、と?」師匠は空呆そらぼける。

、と申しております」彼女の告白。それは突然かつ、こつ然に。

「残念ながら。私は―と言うより。宗教に道を見出してから。そういうは無いんだよ」そう言う師匠。そこだけは聖人じみており。

「良いんですよ?私は」と彼女は迫れども。

訳だ。君にはそういう感情を抱きたくないのだよ」

「…つれない人」と彼女はこぼす。

「スマン」と師匠は台詞を置き。「…しかし。君は善いことをした。方法としては間違いだったが―まあ、善い結果ではある」

「蟹ですか」

「ああ。後はそいつを放してやればなお善い」

「…そうですね。自由を与えましょう」そこにあるは慈悲か?はたまた打算か?

「私は…貴女に仕える事に意味を見出したのです。そこに自由があるのです…」

「ならば―めいず」彼女はりんとした声で言う…「世をよく見て参れ…そしてその詳細を伝えるように。期限は―貴方の命が尽きるまで」それは命令の形を取った開放で。

「―しかとうけたまわる」と蟹は去っていく。


 かくしてこの幕を閉じる。


                ◆


 7日はあっという間に過ぎていき。


 乙女は屋敷に篭り。

「人事を尽くして天命を待つ。よく言ったものね」と皮肉に言う。

「さて―現れるのかしら…大蛇は」


 そこに。。まるで地から湧いたかのように。蜷局とぐろを巻いた彼に以前の面影は薄い。

「…現れた」彼女は呟く。驚きと共に。

「君が―した約束だろうに」そう大蛇はうめく。地の底から響くような低い音。

「とは言え。うそぶき、かの蛇を混乱させんとす。

「その割には―騙れていないようだな?まんまと私を家に入れた」蛇は彼女をにらむ。その三白の眼で。

「ここは私の部屋じゃ―」と彼女は涼しく言い―手元のボタンを押す。すれば、彼女の周りの床が落ち、彼女を下へといざなう。

「じゃあね」と彼女は落下しながら台詞を言い。

「させるか」と蛇は彼女を追い、穴に潜る―


 この幕は以上だ。


                ◆


 落下する女。それを追う蛇。

 重力のないそこでは。言葉のやり取りにも意味がないように思えるが。

「しつこい男は嫌われる」

「約束を守らないのは畜生ちくしょうにも劣る」

「まあ?私は畜生でしょうね」なんて思っても無いことを重力の中で言うと。

「さあ。差し出せよ。君をさ」とこたえる蛇。

「魂を?肉体を?どちら?」なんて遅らせる事に意味はあるのか否か。

。というのは贅沢なのかい?」伊達男を気取る蛇。

生憎あいにく体は綺麗じゃないわよ」そう彼女は言う。老人に体を差し出したのだから。

「構わぬ。ただ、」男性原理げんり表出ひょうしゅつ唾棄だきすべき性欲。

「―石女うまずめでありたいものね」彼女は言う。異類結婚譚いるいけっこんたんは破綻する。

「ならば。差し出せよ」そう蛇は嘆願たんがんするが。

「それも叶わない…私の心は別のところにあるから」叶わぬ感情であり。

「俺は―君のなら手に入れられる?」

。人の形をした空虚だけが貴方あなたのこる―」そうして落下は終わり。


 この幕を閉じる。


                 ◆


 落ちた先。

 それは先程の部屋とさして変わらない。。彼女の匂いが染み付いて居ることだろうか。

「君は―のだ?」そう蛇は問う。

?ただただ撹乱したいだけなのかも」彼女は諦めの中にいるのだろうか。

「…そんなに俺が嫌かい?」優しくく蛇。

「蛇と人の結婚が祝福されるとお思い?」

「…俺は蛇である前にオスで。君みたいなメスに拒まれると―存在が危うい」蛇の吐露とろ

「貴方はに規定されてるの?」純粋な問。

「そんなものさ。畜生たる俺は」

「…虚しいものね?」

「ああ。虚しい。そこに更に虚しさがつけ加わろうとしている…」蛇の目に涙腺があるのなら涙があふれていただろうに。

「私が―貴方はのかしら」

「どうせ…蛙をあがなだったろう?どうにしたって虚しい」蛇は嘆息たんそくと共に言い。

かたり屋失格ね」と彼女は呟く。

「ああ。

「貴方は―騙されて。どうしたかった?」彼女は問う。それは優しさなどではなく憐憫れんびんで。

「幸せな―嘘を享受きょうじゅしたかった…」蛇の告白。かの蛇は…叶えられなかった。

「…ごめんなさい」そう謝った時―


「我が主を損なう者、即ち敵なり」と。そして蛇を押しつぶす―

「止めて―」そういう乙女。しかしそれは叶うことはない。


 そして。

 蟹は蛇を襲い。バラバラに切り刻み。

 残ったのは輪切りの肉塊にくかいのみで。

 かの哀れな大蛇は―消えた。


 そういう話で幕を下ろす。


                 ◆


 。残念ながら。

 だが絶望するなかれ。

 君には騙される権利がある。

 それはこの世界を読み解く物語だ…君に視点をやろうと言うのさ―


 そううそぶく男の影に女あり。

 かの女は―。この男の説く視点を受け入れることにした。

 かくして。女はかたる事を止め。信じるものに変化した。

 それは―幸せな事だろうか?


 そういう問いかけで私は物語を閉じる。ご清聴、感謝する―


                  ◆


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『騙れぬ女』―日本霊異記『蟹と蛙との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けらえし縁』RemiX 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ