第4話

 あなたが来た時の話をしよう。まだ酔っているでしょう? そんな。

 いつも僕は酔いながら文章を書いていますよ。


「助けて!」

 いかにも華奢そうな女の人が男ともみ合っているのが見えた。なんだあれ。夢? 僕はたまらず、女の人の腕をつかんでこちらに引き寄せた。走馬灯のように走る、自分が書いたはずの風景、それがさらさらと砂絵のように女の人から流れて落ちていった。どうして僕が書いた文章が、この女の人の頭からでてきたの?僕はわからなかった。

 僕はなにをしたんだろう。いつの間にか倒れていてそれで。いやそれはきっと、また作品がうまくいかなくてやけ酒をしてしまったんだ。だから、今、夢の中にいて理想の部屋で、また酒を飲んでいる。どうしよう、本当に頭がおかしいのかもしれない。でも、ほほをつねっても、ビールをあおってみてもちゃんと痛みや味覚はあるんだ。とんだ中に入った。僕は最初そう思っていた。でも、家にあったらいいなとネットであった買っていないはずのエッグチェアがあったことでここが自分の欲望の部屋だとわかった。そして、そこにさっきの女性が転がっているのも。おそらく。

冗談の悪い話だ。でも、その指先に絵の具がついていてすぐに分かった。それに、自分の空間のほかから聞こえた喧噪も、多分夢じゃない。だって、女の人のかすり傷は生々しい。ここは、創造の、いや妄想の世界、なんだ。自分の欲をかなえるためだけの強欲な。

 僕はあなたに会いたかった。見つけられたかったんだ。だってしがない僕の文章に、一言あなたの作品がすきです、と過去作の名前を出されて、イメージアートの原画を送られたらたまらないでしょう、この灰色の指を探していた。揺蕩う女の人にメロウな線できっと僕の作品だろうモチーフがちりばめられていて、くすんだ色さえもきれいだった。だから、僕は探していた。ネット上できっと活動をしているだろうと思ったけれどなかなか見つからなくて、どんなひとなんだろう会ってみたいななんて思ってしまっていたんだ。

 だから、笑っていいですよ。


 男はおかしくてたまらないように自虐めいて笑った。

 冷えた深夜の深酒である。

 それは、私がまた、あの人が疲れていないかと会いたくなったから、眠たいながら目いっぱいあの部屋を創造して絵を描いた。そうしたらいつの間にか、いつもの男の部屋にいたのだ。そして、歓迎されながらも、少し、寂しそうな申し訳なさそうな表情で、男は聞いてくださいと私の手に手を添えたのだ。

 私は、最初の不審な男の様子を思い出した。あの明るそうな人物なのにどこか影がある。やましさからくるものだったのか。でも、私が、期待にそうような女ではなかったらどうしていたのだろう。助け出されず、放っておかれた。

 私は、勇気を振り絞って訊いた

「もし、私じゃなかったら」

「それはないです。僕があなたを呼んだんだ。都合の良いように。だからこの部屋はもうおしまいです」

「なにそれ」

 男は私に責められるのを覚悟しているらしい今までにないまじめな表情で、「おしまいです」と告げた。

 私はものわかりのいい人物を装った。

「わかりました。今までありがとうございました。よくしてくれて、助けてくれて、それに楽しかったです」

「はいありがと……」

私は、男の粛々とした様子に切れた。

「自分でつかんだ手でしょ! しっかり、最後までつないでいなさいよね! このへたれ作家!」

「えっ…」

「だから、ネットで、この作家は恋愛をしたことがないのか、人間模様が淡白すぎるっていわれるんでしょう! どうせ百戦錬磨のくせに」

「そんな……!」

「作家なら糧にしなさいよ!」

 男は完全にしょげている。おそらく誰からも今まで啖呵を切られたことがないのだろう。やっぱりこの男は私の生き別れの弟なのかもしれないと思えてきた。

「は、はい、ガンバリマス」

 固まってひきつった笑顔の男はリングまであたたかくなった手で私に握手を求めてきた。

「よろしくお願いします……」

私は長い息を吐いて笑った。頭を下げた男がびっくりしている。さすがにかわいそうだったかもしれない。

「ごめんなさい、意地悪しちゃいました」

「もう……! なんですか! 本当に僕びっくりしたのに」

男は大仰にむくれて見せた。こんなにじゃらじゃらシルバーがついているのにかわいらしかった。

「でも、今度は手を離しちゃだめですよ」

「うん、わかった」

 男は年相応に笑って、私の手を取った。その途端ソファが浮き、冷蔵庫が消え始めた。

「崩れますね」

「ね、妄想はおしまいだから」

男は首を傾けて「今度は現実で」と微笑んでキスされた気がした。


 それは気のせいじゃなかった。

 というか、妄想の部屋は崩れ落ちた後行き場を失ったのか、人物のおろす位置を間違えたのか、男が私の上にあおむけになって伸びている。案外重い。

いや、現実でとは言ったけど急すぎやしないか。背中の痛みを訴えるようにううん……とうなっていると男は飛び起きて「ごめんなさい。乗ってました。重かったですよね」と私を起こす。

「重かった」

私がつんとすると弱いのか、男はあたふたし始めた。

「ごめんなさい!」

「帰ります?」

 そうだよ、私は編集部だかのお便りボックスは知っているが自宅は知らない。

「……ここで住んでいいですか?」

 私は絶句した。この男、自由だ。

「いや、帰ってください」

「いや、あなたが手を離すなと言ったんでしょう」

 私は、切れてわけのわからないことを言ったのを思い出して後悔した。きっと顔も赤い。

「……仕方ないからお願いします」

 そして、私たちの妄想の部屋は続くのだった。おしまいおしまい。

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