「先日は、妹がお世話になりました」

「いえ。こちらこそ、弊社をご利用いただき、誠にありがとうございます」


 一つのテーブルに向かい合って、久留米さんが深々と頭を下げたので、私も慌ててお辞儀を返す。こちらはちゃんと仕事として取り組んでいたのに、こう言われるのは初めてだった。

 それに、また久留米さんとこうして、しかもこんな場所で会うなんてと、辺りを見回す。ここは、北中城村きたなかぐすくそんにあるパンケーキとコーヒーが名物の小さなカフェだった。大通りから中道に入った住宅街に建ち、今日は平日だというのに、テーブルはすべて埋まっているほどの人気店だ。


「祝嶺さん、見てくださいよ、このメニュー。こういうのは、初めて見ました」

「ええ。可愛いですよね」


 かしこまっていた態度も崩して、久留米さんは個々のメニュー表に子供みたいに興奮している。この店のパンケーキは、鉄製のフライパンに乗ったままで出される。その状態の写真が、そのままメニュー表になっているという変わり種だった。

 どれにしようかなと、メニュー表を捲る久留米さんの、キラキラした目もとても可愛い。だけど、同時に、どうしてこうなったんだったけと、ちょっと疑問に思う自分もいるので、少し振り返ってみる。


 久留米運送を訪問してから、一月も経たないうちに、久留米さんの妹夫婦から結婚式のプランを相談したいと連絡を受けた。うちの会社にて三人で話し合った結果、妹の初江さんとその夫の和也さんは、ここで挙式をしようと決めてくれた。

 その事を、久留米さんにショートメールで報告したところ、一生懸命プレゼンしたお陰だと喜んでいた。またまたお世話になりました、ありがとうございます、今度もお礼の品を持ってきますよと返信した所、それなら、一緒に来てほしい所があると言われた。


 ……正直、あんなことがあったばかりだったので、私は警戒していた。だけど、久留米さんが行きたいと言ったのは、このカフェだったので、大分拍子抜けして、オッケーを出してしまった。

 御曹司だから融通が利くんですよと、私の休日に合わせてくれて、久留米さんの運転する車でこの店に来た。カフェの駐車場は結構狭くて、坂の途中にあるから停めるのが大変だけど、久留米さんはバック一発で駐車してしまった。そこはさすがだと感心する。


「祝嶺さんも、ここは初めてですか?」

「いえ、三回目くらいです」

「俺はずっと行ってみたかったんですけれど、男一人でこういう所に来るのは、勇気がいるので、躊躇していたんですよ」


 久留米さんが、メニュー表のパンケーキを捲りながらうっとりと言う。確かにどれもおいしそうだけど、食べる前からそんな表情になるなんて。筋金入りの甘党なんだと感じる。


「ちょっと前までは、カフェには妹に付き合ってもらっていたんですけれど、あいつ結婚するんで、さすがに申し訳なってきたので」

「そうなんですね」


 お冷を飲みながら頷く。兄妹なのに、そこを気にするなんてとは思ったが、夫の和也さんが嫉妬深いのかもしれない。前に話した時は、そう感じなかったけれど。

 あと、今の話で、久留米さんに彼女がいないことが確定した。私とは関係ないはずなのに、何故だかほっとしている。


 二人とも、食べたいものが決まったので、店員さんに注文をする。私は、ベリー系のフルーツがたっぷり乗ったパンケーキとエスプレッソコーヒーを、久留米さんはチョコバナナのパンケーキにマンゴージュースを注文した。

 スイーツに甘い飲み物という組み合わせに驚いてしまう。そんな私の目線に気付いたのか、久留米さんは「コーヒーが苦手で」と照れ笑いを浮かべていた。


 ここのパンケーキは、フライパンで焼いてからそのままオーブンで二度焼きするので、出来上がりまで時間がかかる。待っている間、自然と久留米さんの妹の結婚式の話になった。


「妹も、喜んでいましたよ。真摯に話を聞いてくれるプランナーさんだったって」

「そう言っていただけて、プランナー冥利に尽きます」

「こっちも調子に乗って、紹介した俺の目利きが良かったんだぞって自慢したら、馬鹿言わないでよって笑い飛ばされちゃいました」

「仲がいいのですね」


 久留米さんに信用してもらえたことが嬉しい一方で、妹との距離が近過ぎるような気もしてくる。心の中に、ジェラシーの火種があることに気付いて、慌てて消した。


「ああ、そう言えば、うちのサブプランナー、安次富って言うですけど、彼女と新郎の和也さん、小学生の頃のクラスメイトだったみたいなんです。しかも、二人とも偶然再会したみたいで」

「ええっ。そんなことってあるんですね」

「沖縄って意外と狭いですよね。あの後、二人して思い出話に花を咲かしていました」

「和也も、友達に結婚式をプランしてもらって、嬉しいと思いますよ」

「そうですねぇ」


 十年以上会っていなかった二人だけど、そんなの関係ないくらいに、一気に打ち解けていた。私の部下のアジちゃんは、仕事中なのを忘れて、敬語を外して他の元クラスメイトの話を始めてしまう。

 こういう私語よりも、私は新婦の初江さんが、この二人の仲を面白く無く思うんじゃないかということにハラハラしていた。しかし、初江さんはにこにこしながらその様子を見ていて、自然な調子に話に加わってきた。


 アジちゃんは、いい意味で性の匂いがしない。メイクやファッションはきちっとした大人のものだけど、いつも第二次成長期前の少女のような無邪気さとハツラツさと、時々思慮深さが現れている。

 うちの式場の受付係の多良間たらまさんは、初対面の時の私やカメラマンの謝花じゃはな君には恋人の有無を必ず聞いていたけれど、アジちゃんには聞かなかった。社長秘書の喜舎場きしゃばさんのように、ガードが堅いという訳ではない。むしろノーガードなのに、そういう話題が俎上に上がらないのが不思議だった。


 そんなことを考えていると、店員さんがまず飲み物を、そしてジュウジュウと熱したままのフライパンを持ってきた。目の前に置かれると、黙々とした煙と香ばしい匂いが立ち上ってくる。

 久留米さんはそれを見て、プレゼントの箱を開ける子供くらいに目を輝かせていた。スマホを取り出して、パシャパシャと何枚も写真を撮る。


「……美味しいものって、佇まいから完璧ですね。まるで芸術品です」

「分かります。見ているだけで、おなかが空いてきますね」


 溜息交じりにそう呟いた久留米さんに同意して、ではいただきますと、それぞれにフォークとナイフを持つ。

 パンケーキにナイフを入れると、ふんわりと差し込まれた。一口サイズに切り、白いクリームとクランベリーとラズベリーが乗っかった部分を口に含む……ベリーの酸っぱさを、クリームと生地の甘さが包んでくれる、柔らかい味がした。


「……美味しいですねぇ」


 そんな声がして、顔を上げると、チョコバナナのパンケーキをリスみたいに、頬一杯に含んだ久留米さんが、幸せそうに目を細めてじっくり噛んでいた。

 彼の一言に、何度も頷いて同意していると、久留米さんは軽やかに笑いかけてくれた。


「ここに来れて、本当に良かったです」


 ごくりと、パンケーキの塊を思わず飲み込んでしまった。慌てて、苦いコーヒーで流し込む。

 私の動揺を、不思議そうに眺めている久留米さんにも、ドキドキしていた。この胸の高鳴りの理由は、もう分かっている。


 恋に落ちてしまったんだ。






   □






 あの後からも、一月に一回のペースで、私は久留米さんとあちこちのカフェに赴いた。他人から見たら、普通のデートだけど、会う理由にはちゃんと付けていた。

 二回目の時は、私を無理にラブホへ連れて行こうとして、久留米さんを殴った男性を久留米さんが起訴することを教えるために、三回目は初江さんの結婚式の日程決めが、難航してしまったのを詫びるために。


 そして、明日に迫った四回目は、伊代さんが作ったサーターアンダギーをお注分けしたいという理由だった。なんだか理由決めが段々無理矢理感が出て来たなぁと思いつつ、行くのが楽しみになっていた。

 ただ、私が久留米さんのことが好きなのは自明だったけれど、久留米さんの方はどう思っているのかは、ちょっと分からない。こんなに会ってくれるのだから、きっと好きなんだろうとは思うのだけど、告白する気配が全く無かった。


 初対面の時に、男性とトラブルになっていたから、こちらに気を遣っているのかと思っていた。久留米さんとは、会ってお食事をして、そのまま別れるだけなのだから。

 ただ、それだけが理由とは思えないような、微妙な距離を感じる。久留米さんと色んな話をしながらお互いのことを知り、近付いていっても、陽炎のように、彼はさらに奥へと逃げていく、そんな印象だ。


 私のこと、好きではないのかもしれない。でも、どうして何度も会ってくれるんだろう?

 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えて、職場のロッカーで帰り支度をしていると、「祝嶺さん」と話し掛けられた。


 振り返ると、多良間さんが立っている。ニコニコと人の良い笑顔を見て、私はなんだか嫌な予感がした。


「久留米さん所のお嬢さん、結婚なさるんですねぇ」

「ああ、そうなんです」


 多良間さんが、馴れ馴れしく言ってくる。彼女は、この恩納村で生まれ育ったので、久留米運送のことはよく知っているらしい。

 何か、ゴシップを言われるんじゃないかと、私は身構える。多良間さんは悪い人ではないけれど、噂好きな所が苦手だった。


「そのお嬢さんのお相手、甲子園に行ったピッチャーでしょ? 私の子供、あの子とは学年違うけれど、付き合っていることは当時から有名でね、そのままゴールインするなんて、ドラマチックね」

「ええ、素敵な話ですよね」


 多良間さんが早口でまくし立てる。それに対して、私は笑顔で返すことが出来た。

 久留米運送のお嬢さんこと初江さん、その結婚相手の和也さんが高校野球部のエースだというのは、馴れ初めムービーに使う資料をお借りした時に知った。ムービーの編集は他の会社に委託するけれど、私たちの方でも、ちょっと目を通しておくのだ。


 多良間さんが教えたいとっておきはそれだろうと思っていたので、そのままロッカーの方に向いた。だけど、彼女はまだ立ち去る気配がない。


「知ってる? 久留米運送の次男はね……」

「多良間さん。お客様の噂話は、遠慮しましょうよ」

「ああ、そうよね」


 満面の笑みで、でも口調は少し強く言ってみたところ、多良間さんはさすがに苦笑して、話を辞めてくれた。だけど、あまり反省しているように見えないので、またこんなことはあるかもしれない。

 荷物をまとめて、家路につく。これまでのモヤモヤに、多良間さんが言い掛けたのは何だったんだろうという気持ちのモヤモヤも加わり、足取りは重い。


 以前に、久留米さんが兄と妹の三人兄妹だと話していたので、次男というのがあの久留米さんのことだということは分かっている。そして、彼自身のことは、本人の口から聞きたかった。

 読もうと思っていた漫画のネタバレのさわりを、思いがけずネットで読んでしまったような気持ちだ。本当はさっさと忘れてしまうのが一番だけど、少ない情報から考察をするように、あれってもしかして……と考え始めている自分がいる。


 三回目に会う前、どこにしようかとショートメールでやりとりしている時だった。私は、最近開店して、行列ができるほど人気の夜パフェの店を提案してみた。

 すると、今まで滞りなく続いていたやり取りが、止まってしまった。用事中なのかもしれないけれど、何かまずいことでも言ってしまったのかも。そんな不安に襲われていたところ、「すみません。夜に会うのはちょっと……」と返されてしまった。


 久留米さんが下戸だと言っていたので、バーや居酒屋に行くという選択肢は最初から除いていたけれど、夜の外出自体がNGらしい。「用事があるから」という言い回しもしていないから、そう判断できる。

 どうして夜に出掛けたくないのだろう。目の病気だろうかと考えたが、多良間さんが言い掛けた話とこれが無関係とは思えなくなっている。


 でも、久留米さんの事情がどうあれ、明日会うのが楽しみなのは変わりない。さんざん考えた後、そんな結論に行き着いた。

 恋愛で苦い思いをした私が、またこんなに人のことを好きになれるなんて。自分を客観視すると、それがなんだか可笑しかった。






   □






 久留米さんの車で行ったのは、沖縄市のパーラーだった。ぜんざいが目玉のお店だけど、私はカフェオレのフラッペ、久留米さんは苺のフラッペをそれぞれ購入する。

 このお店は持ち帰り専門なので、車道に一度出て、しばらく走った先にある公園へ立ち寄る。公園の真ん中には小高い丘があり、二人してその階段を上っていく。


 年が明けて、最初の小春日和だった。階段の途中、すぐ横の芝生に桜が映えているのを見た久留米さんが、足を止める。


「見てくださいよ、桜が咲いていますよ」

「ああ、もうそんな季節ですね」


 久留米さんが指差したのは、背の低い桜の木の枝先、ちょこんと咲いている濃ゆいピンク色の花だった。


「一月に桜が咲くなんて、初めて見た時はびっくりしましたよ」

「内地とは全然咲く時期が違いますからね」


 何気ない口調の久留米さんの一言が、また引っかかってしまう。

 沖縄の桜は、ヒカンザクラという種類で、一月から二月の間に花開く。それが沖縄出身の私にとっては普通のことなので、びっくりしたという覚えはなかった。


 久留米さんは、内地出身だということだろうか。でも、久留米運送は、多良間さんの口ぶりだと昔から恩納村にある会社のようだ。彼の幼少期だけ、沖縄を離れていたのか?

 こういうことは、聞いてもいいのだろうか。そんなことを悩んでいると、久留米さんがこの桜を向かい合う位置、階段を挟んだところに東屋を見つけたので、そこのベンチに座ることにした。


「いやー、甘くて冷たくて、おいしいですねぇ」

「冬に食べるフラッペもおいしいですね」


 こんな天気なので、太いストローでザクザク押して崩していくほど凍っているフラッペも、またおいしい。沖縄にも凍えるほど寒い日はあるけれど、冷たいものを外で食べられるほど温かい日が多いのも確かだ。

 ふと、久留米さんが黙り込んだ。どうしたんだろうと横顔を見ると、ぼんやりと空を眺めている。その目線の先、東の空には、木々の隙間から青白い昼間の月が登ってきていた。


「……こんな風に昼間の月を見上げると、ある小説を思い出すんです」

「どんな話ですか?」


 満月になりかけた、不健康そうな色合いの月は、綺麗な半面、郷愁を呼び起こす。久留米さんの口調が、どこか寂しそうなのを気付かないふりをして、さりげなく訊き返す。


「その小説に出てくる男の人は、大人になってから初めて昼に登る月を見て、驚くんです。子どもの頃から、色々苦労してきたから、昼にも月が浮かんでいるなんて、気が付かなかったって」

「……ええ」

「……なんとなく、僕もその気持ちが分かってしまって。ああ、昼の月は、小さい頃から知っていたんですが」

「分かっていますよ」


 久留米さんが慌てて弁明するので、くすりと笑う。でも、彼が伝えたいのは、その前の一言だった。

 私は、久留米さんの次の一言を待った。愛の告白ではなく、彼の昔のことを、今告白してくれるんじゃないのか。そんな予感があった。


 だけど、しばらく待っても、久留米さんは何も言わなかった。氷を崩す音と、それを飲もうとする音だけが隣から聞こえてくる。

 そっと彼の横顔を窺う。悟られないように、息を呑んだ。久留米さんは、とても苦しそうな顔をしていたのだ。自分を責めるかのように、力強くストローを上下している。


 だから、私の方から語り掛けた。


「……私、常々思っていることがありまして、」

「え、なんですか?」

「病める時も健やかなる時も――って、無責任な言葉ですよね」

「ウェディングプランナーさんが、そんなこと言ってもいいんですか?」


 堅かった久留米さんの表情が、ふっと緩んだのでほっとする。でも、今のは冗談ではなく、私の本心だった。


「いつもいつも、耳にタコができるくらいに聴いているからこそ、そう感じるんですよ。……それに私、去年に十年来の彼氏と別れてしまったので」

「……ああ」


 久留米さんが困惑しているので、今の話をするのはちょっと早かったかなとすぐ反省する。ただ、ここで終わる話ではなかった。


「人の心は変わるものですし、環境の変化によって、お互いがどうなるのかって、誰にも分からないじゃないですか。まあ、それでも愛し合うというのが、誓いなのかもしれませんけれど」

「確かに、覚悟が必要ですよね」

「でも、最近は逆のことを考えるようになりました」

「逆のこと?」

「悪い変化のことばかり想定するけれど、良い変化もあるってことです」


 例えば、私があなたを愛するようになるとか。

 言葉には出さずに、久留米さんの瞳を覗き込む。変化を恐れながらも、常に揺れ動いている彼の心が、今は何よりも愛おしかった。


「変化しようとする気持ちを、私は歓迎します。それがどれだけかかろうとも、いつまでも、待っていますよ」

「……」


 久留米さんは再び黙り込む。唇を一文字に結んでいるけれど、持っていたフラッペのカップを、力強く握りしめる。それが、彼の決意を端的に示していた。


「あの、春乃さん。今度からは、言い訳無しに、会ってもいいですか?」

「ええ、もちろんですよ。綾人さん」


 その決意とは、私を下の名前で呼ぶことと、もっとストレートにデートに誘うという宣言だった。微笑み返しながらも、しっかり頷く。小さな変化だって、久留米さん――綾人さんにはきっと、大きな一歩なんだから。

 赤くなった頬を冷やすかのように、綾人さんはフラッペを一気に吸い込む。そんな子供っぽさまで、可愛いなぁと微笑んでしまう。


 私と綾人さんの間の花は、まだ咲きそうにない。

 でも、彼の隣で、昼の月を初々しい気持ちで見上げながら、ずっと待っていよう。
































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花が咲くまで初見月。 夢月七海 @yumetuki-773

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