第4話 海と馬

二人はみんなが退場するのを待って、ひとつ前の列の荷物を回収した。初日というのに、リュックはずっしりと重い。開き掛けの本を少年のリュックに入れながら、サンは言った。

「もう、予習してるよ。ラインマーカー引いた光魔法学の本持ち込んでさあ。重いけど、誰かさんにそっくりで、憎めないや。」

そういうサンをイルは軽く睨む。どうやら根に持っているらしい。イルはおどけた笑みで答えた。二人は講堂の外に出た。大理石のタイルが嵌め込まれた廊下も人がまばらだった。ペタペタと足を鳴らしながら、教室へ向かう。校内は迷路のように通路が分岐しており、様々な部屋が組み込まれている。白いドアの隙間から淡い青色の光が漏れている部屋、部屋と配置された家具が水のように透明な部屋、時の経過と湿気で黒ずんだ、人が近づくと逃げるドア。二人は興味津々で周りを眺めていた。

「うわっ。」

イルは短い悲鳴を上げた。床が回転し、二人は右方向に強い力で押しだされたのだ。

「中等部の校舎に比べて、遊び心のある校舎ね。」

サンの言葉にイルは苦笑を浮かべた。イルは地図に目を落とすが、現在地が把握できない。余所見をしていた所為もあって、行き止まりに突き当たった。目の前にはガラスのドアがあった。薄暗がりの中でも、丹念に彫られた文様が美しい、骨董品のようなドアだ。

「あれ、教室への道順を間違えたのかな。」

イルとサンの軽い荷物をもったイルが呟く。

「ちょっと休憩してもいい?初日から、この荷物量はおかしいよ。私にも地図を見せて。」

サンは愚痴りつつ、少年の荷物を置いて言った。刹那、床に金糸雀色のネクタイが目に入った。

サンは拾い上げて軽く払い、それをイルに見せた。

「光専攻の学生のネクタイが落ちてる。」

「本当だ。男子は確かネクタイだったよね。」

その瞬間、目前の部屋から物音が聞こえた。

「初日から大荷物で登校し、迷子になったクラスメイトが、あの部屋の中にいたりして。」

サンは目を細めて言った。鈍臭さは自分も共感できるところがあるので、イルはそれを嗜めた。

「もし、この部屋にいたら、一緒に教室まで行けばいいよ。」

「そしたら、荷物全部持たせような。」

そう言いつつ、サンは扉を開いた。その瞬間、二人は強い眩暈に襲われた。

眩しい。思わず二人は目を閉じた。瞼を透かして、鮮烈な白い光が突き刺す。光はやがて消え失せ、イルとサンは瞼を開いた。目に飛び込んだのは、ただ永遠に広がる空間だった。その空間の床はステンドガラスの紋様になっており、それが何処までも広がっていた。イルは繰り返される紋様にくらリと眩暈を覚えた。そして、水色の立髪を持つ馬が一定間隔に整然と並び、無数の瞳がこちらを見つめていた。二人はなぜだか寒気がして、身震いした。サンが足を動かすと、水の音がする。

「床が濡れている。」

サンはそう言って、困惑の表情をイルに向けた。イルが応える前に、別の差し迫った声がそれを遮った。

「どうして、ここに。」

不意をつかれた二人は、同時に声のする方を見た。そこには、タンザナイトの瞳を持つ少年がいた。

「あっ。」

サンは声を上げて、少年を見つめた。

「戻ってこなかったから、少し心配したよ。丁度、ネクタイが落ちてたから、もしかしたらいるかもしれないと思って。」

イルは説明しながら、少年にネクタイを渡した。しかし、少年はますます青ざめた。

「ここに来ちゃいけなかったんだ。」

ネクタイを握りしめながら呟く少年をサンが怪訝そうに見つめる。

「何言ってるの。魔法学校だもの、気味の悪い部屋の一つや二つはある。さあ、早く教室に行くよ。」

そして、サンは周りを見渡す。眼前に広がるのは、永遠に続く空虚な空間とステンドガラスの床、無数の気味の悪い馬だった。

「参ったね。」

イルは呟く。

「入ったら最後、出口のない部屋ときたか。」

サンもため息をついた。少年は申し訳なさそうに、身を縮こまらせ、口の中でごめんなさいと繰り返していた。その様子を見て、きまり悪く感じたサンは、こう聞いた。

「名前はなんているの?」

「ソウ、ソウって言います。」

少年はぎくりとして答えた。その様子が可笑しかったのか、イルは笑った。

「私はイル。こちらはサン。

「自己紹介も済んだことだし、この部屋から出る方法を考えよう。」

サンはそう言いながら、歩き始めた。そして、水位がくるぶしまで上がっていることに気がついた。

「水の量が増えてる。」

サンはイルを振り返り、静かに言った。ソウはおずおずと口を開いた。

「あたり一面にいる馬がアハイシュケに似てます。それが原因なのではないでしょうか。」

刹那、サンとイルに同時にソウを見つめ、ソウは萎縮した。

「何それ。」

サンは不思議そうに訊ねた。

「海に住んでいる美しい水馬です。その姿で人間を油断させ、海底に引き摺り込み、溺死させるそうです。」

二人は身震いした。

「つまり、脱出できなければ、この怪馬の力で沈められるということ?」

イルはソウに確認した。

「おそらく。」

ソウは答えた。水位はどんどん上昇していく。水馬は不気味に3人を見つめ返す。誰かが動くと、それを逃すまいと水馬も距離を詰める。イルはこの部屋に入ったときから、自分の感覚を捻じ曲げられるような不思議な力を感じ取っていた。

「この部屋に入った時から、妙におかしな感覚がするんだけど。まるで他の人の夢の中のような、不思議な感覚。」

二人に同意を求めたが、得られなかった。心外そうにイルはサンを見つめた。

「イル、気が滅入ってるんだよ。しっかりしな。」

サンに背中を叩かれたが、イルはまだ夢から覚めない気持ちがした。その時、一つの考えが浮かんだ。

「もしかして、幻想魔法に掛けられているのかも。」

だとしたら、辻褄が合う。幻想魔法をかけることができるイル以外は、その違和感に気づかないのかもしれない。ソウはさっぱり何を言っているのか理解できないと言う表情を浮かべたが、サンの物分かりは早かった。

「幻想魔法はそれを使える者のみが判別できる。私たちには分からないけれど、直感的な何かで、イルは幻想魔法だと感じているのね。」

サンは確かめるようにイルを見つめた。

「今までに感じたことのない違和感。自分の意識下に他人が介入している感覚がある。言葉にできないけれど、幻想魔法だという確信があるの。」

直感は時に理論を超える。サンは静かに頷き、イルの言葉を信じた。

「待ってください、幻想魔法が使える生徒ってイルさんのことなんですか。」

ソウは二人の会話を遮った。タンザナイトの瞳が大きく見開かれた。

「そう。けれど他の魔法が全く使えないの。」

イルは瞬きをした後、苦笑を浮かべた。ソウはイルの表情を伺って言葉を補った。

「すみません、自分の知らない所で自分の噂をされるのは、あまり良い気分ではないですよね。」

ソウは自分は他言しないと頷いてくれた。

サンは妙に不思議な二人の応対を眺めて、少し首を傾げたが、差し迫る問題によってその疑問は消えてしまった。

「さて、これが幻想魔法と仮定して、どう解こうか。」

気付かないうちに、水は3人の膝を濡らしていた。ステンドガラスの上に惹かれた永遠に広がる海は非常に綺麗だ。しかし、これに鎮められるとなると、気が気ではない。

「幻想魔法であれ、まずはドアを探すことが先決だよね。イルのように視覚だけの幻想魔法だったら、何処かにドアがあるはずだよ

サンの声に頷いたみんなは、それぞれ三方向を向き探索した。水で足をとられるため、一歩が重い。掻き分けながら進んでいくが、ドアはおろか壁にも着きそうもない。水馬がまた不気味に動いた。水位はどんどん上がり、腰にまで来た。このままだと、一人がドアに着いても、他の二人が間に合うか怪しい。肝の座っているイルとサンも焦り始めた。

「ねえ。」

急にソウが声をあげた。

「どうした。」

二人も大声で返事をした。

「イルさんは、幻想魔法が使えるんだよね。だったら、僕たちが安全な部屋にいる幻想魔法を掛け直したらいいんじゃないかな。」

ソウはの提案にイルははっと目を見開いた。確かに、なぜ気づかなかったのだろう。事態は一刻を争う。刹那、イルは大聖堂を思い浮かべ、胸の前で菱形を作り、呪文を唱えた。

「インポールプト・ファンタジア」

3人の視界は、今日目にした大聖堂になった。しかし、大聖堂の柱も天井も永遠に続き、3人を沈めようとする水は止まらなかった。水馬は止まっていたが、まだ無数にいる。

「ごめん、上手くいかなかった。もう一回かけてみる。」

イルは焦燥にかられ、急いで声を張り上げる。

「待って。イルさん。」

ソウが声を上げた。

「今起こっている現象の原因は、幻想魔法だけじゃないかも。水も永遠に続いて見えるのも現実に起こっていることかも。」

水はもうイルの胸の辺りまで引き上がっていた。

「どういうこと、ソウさん」

イルは声を張った。

サンも遠くにいるソウの影を見遣った。

「柱が全て対称になっている。しかも、水馬は僕らが動く時だけ動いている。」

ソウの言葉にサンははっとした。

「鏡だ。イル、壁が鏡になっている。」

声を張り上げるサンにソウも頷く。イルも二人の言葉を理解した。

「つまり、壁は鏡で、水馬は。」

イルは一息置いて、迷いなく言った。

「私たちだ。」

サンとソウは大きく頷いた。

「ステンドガラスの紋様、そう言えば万華鏡にそっくりでした。」

ソウの言葉をきっかけに、イルは思い出した。

「万華鏡は正三角形になるように鏡を3つ合わせて作られてる。その中にある者は光の反射によって、像が無限に作られているように見える。」

「つまり、大きな万華鏡の中に、私たちはいるということ?」

サンの言葉にイルは頷いた。水は肩まで登ってきた。

「おそらく、幻想魔法によって私たちは水馬の存在になっている。その像が永遠に並んでいるんだ。」

イルは大きな鏡の壁を持つ正三角柱の部屋と、自分達の本来の姿を思い浮かべた。そして、菱形を水中で作り、呪文をもう一度唱えた。

「インポールプト・ファンタジア」

次の瞬間、水や水馬は消え果てた。ただただ自分達の像が無限に見える鏡の間に3人はいた。

3人は駆け寄ってハイタッチをした。

「まだ喜ぶのは早いよ、ドアを探さなければ。」

ソウは微笑みを見せながらも、制した。

「確か、ドア部分はガラスだったよね。」

ソウは覚えてなかったが、イルの方は大きく頷いた。

「ルーラー・イークレラージ」

サンが魔法を唱えると、サンの掌に光がぼおと浮かんだ。

「鏡は光を反射するけど、ガラスは屈折させる。この光の線を反射しない場所にドアはあるはず。」

サンは言った。そして、さらに光を生成し、別の場所に投げた。ソウはポケットから、ネクタイを取り出し、付け直してから光作りに参戦した。いくつもの光線の反射は繰り返され、ある一部分だけ、不自然に折れ曲がった。

「あそこだ。」

3人は確信し、扉を押し開いた。


外に出ると、ルミエール先生と鉢合わせた。少年少女らしい、達成感に包まれている彼らを見て先生は微笑んだ。

「三人とも探したよ。」

3人はルミエール先生から軽いゲンコツを食らった。なんで私たちまでとサンがぼやいた。

「さあ。教室に向かうよ。全く3人揃って迷子になるなんて。」

迷子は否めないと苦虫を踏み潰すサンに、イルとソウは吹き出す。それに釣られてサンも笑い出すのだった。

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幻想設計図 水縹 @mizuhanada81

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