第3話 ボレロと星芒

イルは真新しい制服に袖を通し、期待に胸を膨らませた。胸の前で、白い刺繍が施された金糸雀色のリボンを結ぶ。この淡い黄色のリボンは、光魔法学専攻の印だ。高等部からは6つの専攻に分かれる。電気、音、化学、熱、力、そして光。それぞれにまつわる魔法やそれらの性質を学ぶ。中等部の進級試験で合格した専攻の中から、生徒は学びたい分野を選択することができる。光魔法学のみを合格したイルだけでなく、サンもそれを専攻した。

「イルー、行くよ。入学式に遅れる。」

もうすでに支度を終えたサンが、玄関前で元気よく声をかけた。進学祝いに父親が買ってくれたリュックを背負って、イルはサンと共に家を出た。


高等部の校舎は中等部とは異なる。とは言っても、同じ町内だ。太陽を反射する石畳のなだらかな坂をしばらく登っていくと、高等部の校舎に到着する。坂の途中で、学校に続く階段が見えてきた。

「見て、サン。」

イルは階段を指し示して、イルの肩を叩いた。サンは感嘆の声を漏らした。彩色豊かな花が咲き乱れる中を、階段がひっそりと歩んでいた。様々な背の草花が美しく共存していた。マゼンダのコスモス、鮮烈なカーマインレッドのダリア、銀色の尾花、バイオレットの桔梗、幻想的なブルーのリンドウ。イルが名前を挙げられる花はこれくらいだ。しかし目の前は、まるで絵の具箱の全ての色を使い切ったように彩られていた。

辺りは、お日様に照らされた瑞々しい植物と魅惑的な花の香りで満たされていた。階段には二つのくっきりとした影が楽しそうに揺れた。階段を登り切ったイルとサンは校舎と対面した。階段から続く花の小道の先には、ゴシック式の装飾が施された大聖堂のような建物があった。まるで野原にそびえる大きな彫刻だ。生成りの外壁に、屋根の紅唐で青空を優しく切り取る。イルたちの他にも生徒は集まってきて、緊張と期待の入り混じった空気が流れている。

「入学式は大講堂で行われるらしいけど。えっと、地図で確認しなくちゃ。」

地図付きの入学式の式第用紙を片手にしたサンの案内で、二人は校舎に入った。大講堂はすぐに着いた。艶のある大きな木の合わせ扉を開くと、天井の高い大講堂が広がった。大木のような柱に支えられたアーチ状の天井。そこにはガラスが嵌められており、木漏れ日のような光を廊下に落とした。下り階段に沿って机と椅子が整列している。もうすでに生徒たちが着席していた。イルとサンは光魔法学専攻の文字を探し、イルが先に見つけた。二人は、一人で座っている少年の後ろの席に着いた。前の少年は、初めて見る子だった。本を握りしめ、誰から見てもとても緊張しているのが伝わる。編入者だろうか。イルはほんの少し心配して見ていたが、案の定リュックをひっくり返した。サンとイルは黙って立ち上がり、拾った。少年は口の中でモゴモゴとお礼の言葉を言った。俯いた顔から覗く、少しずつ色を変える夕闇のようなタンザナイトの瞳が二人の印象に残った。講堂の席が十分に埋められた後、入学式は始まった。天窓は閉じられ、暗転した。薄暗闇の中でサンが呟いた。

「何が始まるのかな。」

その瞬間どこからともなくスネアドラムの三拍子が聞こえてきた。重なるように、フルートの広がりのある豊かな音が響く。新入生は耳を澄ませた。誰もが一度は聞いたことのあるフレーズだ。イルは心の中で、モーリス・ラヴェルのボレロだと確信した。ピッコロ、オーボエ、クラリネットと楽器が加わっていき、音楽はより荘厳に明るく奏でられた。おそらく音魔法学専攻の上級生による演奏だろう。

刹那、頭上に銀色の煙が立ち昇った。

「中に人がいる。」

誰かが興奮したように言った。

煙が空気中に分散していくと、仮面を被り、マントを羽織って箒に乗った十二人ほどの魔法使いたちが現れた。彼らの影は薄暗い空中で円になって回った。音楽が次の節に入るのと同時に、彼らは一斉に片手を挙げ、手の平に丸い光を宿した。魔法使いたちの仮面とマントが楕円状に照らされ、光陰を生み出した。彼らの仮面とマントの縁には、ラベンダー色の飴玉のような球が幾つも揺れ、煌めいていた。魔法使いたちはリズムに合わせ、どんどん光を生み出していき、それらを宙に送った。彼らはメロディーに乗って、行進するように周り、時折一斉に軽やかに振り付けをこなした。頭上は夜空の星々が煌めく空間が生まれる。

三拍子のリズムは奏でられ続け、星々は魔法使いに光の粒を落とす。魔法使いたちは箒を弄びながら、踊り子のように魅惑的な踊りをした。箒を縦にして踊るものだから、イルは魔法使いが落ちないかハラハラした。大講堂からは、感嘆の溜息が漏れた。

今度は、彼らの手元に煙が上がり、それそれの手に蝋燭立てが現れた。刹那、大きな炎が上がり、十二人の魔法使いを包み込んだ。講堂から悲鳴が上がる。しかし炎は少しずつ小さくなり、中から火の灯った蝋燭をもっている魔法使いが戻ってきた。魔法使いの白いマントと仮面は、炎に照らされ、オレンジ色に染まっていた。音楽はクライマックスを迎えた。荘厳で力強いメロディーと共に、魔法使いたちは中央に集まり、互いの蝋燭を中心に向けた。すると、それは虹色の彩度の高い光に変わり、それは放射状に流れ星になって落ちてきた。

「なんて綺麗なんだろう。」

イルは誰に言うともなく呟いた。

魔法使いたちは空中で礼をし、銀色の煙を上げて、消えていった。同時に天窓が開き、新入生は昼の光に再び照らされた。大講堂から拍手が沸き起こった。

「上級生のパフォーマンスは凄いね。」

サンが目を輝かせてイルに言った。イルも頷く。安易に言葉にできないような感動が胸に沸き起こっていた。新入生は興奮冷め止まないまま、祝いの言葉やら、校長先生の言葉やらを聞き流した。イルはその間に、一つ前に座っていた少年が居なくなっていることに気づいた。トイレにでも行ったのだろうか。暗転している上にパフォーマンスに夢中になっていたため、いつ席を立ったのか気づかなかった。いつまでたっても、戻ってこないので少し心配になった。しかし、その心配も担任発表ですっかり忘れてしまった。

司会者は、最後の先生の名前を呼んだ。

「最後は光魔法学、ルミエール先生。」

イルは驚いて、石化した。サンの方は、ルミエール先生じゃん、とニヤニヤしている。式典用のマントを羽織ったその長身姿は、いつもより先生を大人っぽく見せていた。しかし、挨拶と共に見せる笑顔はやはり少年のようだった。

キャラメル色の短髪と、色素の薄いグレイの好奇心溢れる瞳は紛れもなくルミエール先生だった。

「先生方は自分の専攻の生徒を連れて教室に向かい、オリエンテーションを行なってください。」

司会の指示と同時に先生方はそれぞれの生徒と対面した。光魔法学専攻の生徒の前には、ルミエール先生が現れた。思わずイルは先生から目を背けた。

「じゃあ、みんな荷物を纏めて動く準備をして。」

その時、イルは前にいた少年が戻ってきていないことを思い出した。

「サン、前に座ってた子、どこに行ったか見た?」

「いないね。私も見てないんだよなあ。先生に伝えた方がいいんじゃない。」

「サン言いに行ってくれる?」

「なんで?」

サンはますますにやにやした。イルは内心恨みがましかったが、これ以上食い下がるのも不自然だと思った。自分で先生に申告した。

「どうした、イル。」

先生は振り向き、軽く眉を上げた。目が合い、イルの心臓は跳ねる。

「前の子が途中で退場してから帰ってきてなくて。荷物も置きっぱなしなので。」

おかしな言葉遣いや態度になっていないか不安になりながら、イルは言った。先生はイルの指し示した席に目を遣り、イルに向き直って言った。

「教えてくれてありがとう。一体、何処に行ってるんだろうな。」

容赦無く視線を合わせて話す先生にイルが焦っている間に、先生はいない生徒の席に向かって荷物を取りに行こうとした。荷物は私が運ぶのに、と思ったが声が出ない。イルの肩に手が乗った。サンが助け船を出しにきてくれた。

「荷物、私達で持ってきますよ、ってイルが言ってます。」

「ち、違います。」

慌てて否定するイルをルミエール先生は見た。お願いだからこっちを見ないで、とイルは心の中で叫んだ。先生は少し思案した後、言った。

「そうしてもらえると助かる。すまないな。」



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