第2話 卵と太陽

実技試験当日の日がやって来た。

光魔法の実技は全専攻の中で一番最後に行われる

ルミエール先生は期待感を抱いていた。それぞれの生徒に個性が見られて非常に楽しかった。小型太陽を作り、光を集める装置を作るまではほとんど一緒なのだが、その後が面白い。様々な魔法を駆使してそれぞれの作品(卵料理)を作り上げる。3つ前に審査したサンは、回転魔法と元素生成魔法を組み合わせ、カステラを作っていた。フライパンの底は焦げついたものの、素朴で美味しかった。彼女は、先生の舌に優しいほうだ。オリジナルのゲテモノ料理を作った生徒もいた。それを含めて先生は楽しんでいた。

ルミエール先生は名簿に目を落とし、思案した。

次はイルだ。

他の専攻では軒並み不合格にされていると聞いている。彼女の魔法に対する努力や熱意を否定している気がして、心苦しい。自分が落としたら、この子は退学だ。ハンデを与えて合格としようか。けれど、それが本人のためになるだろうか。その努力が報われる普通学校に通った方が幸せかもしれない。

コン、コン

答えを出せないままに試験は始まった。

「どうぞ。」

「失礼します。」

入って来たのは、イルとすでに試験を終えたサンだった。

ルミエール先生は困惑した。入るべきでないのに堂々と入ってくるサンと思い詰めたイルがあまりにも対照的だった。

「サン、なぜここにいるんだ。退室しなさい。」

サンは思考が一瞬止まり、先生とイルを交互に見た。

「サン、ごめん。」

イルが消え入りそうな声で言った。

その瞬間、サンはイルの意志を受けとった。

イルに不正は出来なかった。ならばと、サンはルミエール先生を真っ直ぐに見つめて言った。

「もし、イルを落としたら、私は先生のことを許しません。」

サンは踵を返して、退室した。ルミエールが目を丸くした。イルも驚いたが、その感情はサンへの感謝と己の覚悟へと変わっていった。イルが顔を上げると、ルミエール先生が微笑していた。

「試験、よろしくお願いします。」

「楽しみにしてるぞ。」

ルミエール先生は朗らかに手を上げた。

手を洗ったイルはまずタッパーにオリーブオイルと塩を入れた。卵に手をかけ、机上で、卵の天井を軽く潰した。殻を丁寧に取り外し、小さなボウルに中身を落とした。そして、スプーンでボウルから黄身を掬い、それを先程のタッパーに移し替え、蓋をした。

次に、イルは絵の具を取り出した。ルミエール先生は目を見張った。イルが持ち込んだのは絵の具だったのだ。イルは適当な食器を手元に集め、食器の淵に絵の具を絞った

まず、ナイフに白の絵具をたっぷりつけた。食器上で水と少しずつ溶かし、それを机の中央に勢いよく乗せた。しろい絵具は、理科室の黒い机の上で異様な彩度を放った。それを滑らかに広げていった。

さらにイルはエメラルド、ターコイズブルー、マゼンダなどの絵具をそれぞれ食器上で白と混ぜ、机に塗った。

そこには、パステルカラーの美しい空が広がり始めた。

その下には、サファイヤの海と明るい野原や立派な岩が描かれていく。最後に、彩度の高いイエローダイヤモンドやオレンジのような光を放射状に描き入れた。深みのある寒色も光線に加えた。中央の丸い太陽にも同様の描き込みを加える。

卵調理に戻ったイルは、エッグスタンドに卵の殻を乗せ、その中にタッパーから掬った黄身を入れた。彼女は胸の前で横に倒したピースを交差させ、菱形を作った。そして、心の中で呪文を唱えた。

「インポールプト・ファンタジア」

机の上の絵は跡形もなく消え去った。ルミエール先生は我が目を疑った。

机を一拭きしたイルは、先生の前に卵とスプーンを置いた。

「完成したのか」

「卵の殻を覗き込んでみてください。」

「覗き込むだって。分かった。」

言われるがままに先生は、背を有り余らせながら卵を覗き込んだ。その瞬間、絵画の中で立っているような感覚に襲われた。あの岩の窪みに立ち、海と空を拝み、カラフルな太陽の光を体で受けていた。

「すごい。エドヴァルド・ムンクの太陽が鮮明に広がっている。とても綺麗だな。」

率直に褒められて、イルはくすぐったい気持ちがした。

「ムンクさんの作品をご存知でしたか。」

「うん。本で一度見て、記憶に残ってる。」

先生はずいぶん長い間卵を覗き込んでいた。それが子供みたい傍からみると可笑しかった。顔を上げた先生は、驚きを隠せずイルを見つめた。その瞳の中に少年っぽさがどこか感じられた。

「卵、頂いて下さい。」

「そうだな。すまん。」

先生が卵を殻の中から掬った。卵はあの絵画の太陽のように、パステルカラーの虹の光が煌めいている。これがイルの作った小太陽だった。

「食べるのがもったいないな。」

そう言いつつ、先生は大胆に一口でそれを食べた。

「うん、シンプルで美味い。」

先生はもぐもぐと口を動かしながら、イルに笑いかけた。

食べ終えた先生はこう繋いだ。

「今までの生徒の中で、一番奇想天外で最後まで結果が予想できなかった。もちろん模範解答からは離れている。まさか幻想魔法を使うとは思いも寄らなかった。」

イルは少し困ったように笑った。

「この後、僕の研究室に来なさい。少し話をしたい。」


放課後、イルはルミエール先生の研究室に向かった。ノックすると、先生の明るい声が返ってきた。イルは引き戸を開けた。先生の研究室はお天気の日に干した布団のような、お日様の匂いがした。

「わざわざ呼び出してごめんね。」

ルミエール先生はイルを振り返り、声を掛けた。

「いえ、大丈夫です。」

イルは少し緊張しながら答えた。

「まず、試験結果を伝えるね。」

先生は一拍置いて口を開いた。

「合格。」

「本当ですか!」

イルは思わず上ずった声を出した。

「うん、でもみんなの合格とは訳が違う。君が使った魔法は、ほとんど使用禁止されている幻想魔法だからね。」

イルの中で広がった喜びが少し萎んだ。

イルの頭に手が乗った。ルミエール先生の明るいグレイの瞳がイルの目を真っ直ぐ見つめる。

「僕は幻想魔法の禁止には反対している。それに、これから幻想魔法に対する制約が緩和される可能性があると思う。今回君が見せてくれたように、本来幻想魔法は非常に魅力ある魔法だよ。かけられた人を幸せにする。」

イルは少し頬を染め、心が温かくなったのを感じた。

「だから、僕は君の幻想魔法を伸ばしたいと思う。だから、幻想魔法について高等部で学べるように打診してみる。」

予想だにしない言葉にイルは目を見開いた。

「幻想魔法を教えていただけるのですか。」

「これは他の生徒や先生には秘密ね。個人的に教えること自体よろしくない上に、禁止魔法だからね。」

イルはコクリと頷いた。次の瞬間、ルミエール先生はイルに近づき、彼女の首に手を回した。イルは驚いて、身を固くする。先生はイルの肩越しで頭をもたげた。耳と耳が触れ合った。

「ごめん、びっくりさせたな。」

先生が手を離し、顔を上げた。首にチェーンの冷たい感触が走り、イルは重みを感じた。制服の上に乗っていたのは、透き通ってきらきら光るエメラルドの小さな円形結晶だった。金細工と組み合わさって、植物の彫刻が施されている。釣り鐘状の金色のカンパニュラが、結晶の縁を囲んでいる。しばらく呆然としていたイルだが、気がついたように質問した。

「この円形状のものはなんですか。」

「60秒を図り、イルの幻想魔法を制御する時計。今日の卵の殻と一緒だよ。幻想魔法を使う条件を満たすために使用する。60秒間で自動的に幻想魔法を解除してくれるんだ。幻想魔法はそれをかけた人が解除するか、死なない限り一生解けないからね。開いてご覧。」

それはコンパクトになっており、言われるがままに開くと、同じ結晶で作られた繊細な針が透明硝子の中で回転している。回転する間に七色の光のかけらが制服に振り撒かれた。側面にはネジがついていた。これを回して60秒間を図るのだろう。

「これはいつ返したら。」

「返すも何も、時計はイルへのプレゼントだよ。」

イルは目を見張った。懐中時計をしっかりと握りしめた。

「ありがとうございます。」

イルは頭を下げて、お礼を言う。

「期待してるぞ。」

先生は少年のような目をして、笑った。


寮に戻ったイルは真っ先にサンに合格を報告した。

サンはイルに抱きつき、イル以上に喜んだ。

「サンのおかげで私、諦めずに頑張れた。本当にありがとう。」

サンは花が咲いたような笑みを見せた。そして、お互い様だよと何回も頷いた。ふと、気づいたようにサンは聞いた。

「そういえば、その懐中時計は何?」

耳まで赤くなったイルに、サンが問いただすのは言うまでもなかった。



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