Set you free

月野夜

set you free

僕が椅子に座り端末で発注をしていると、デスクの縁に手が伸びてきて、「ケンジくん、お疲れさま」とパートの三橋さんが声をかけてきた。


彼女は、僕の働くコンビニで、同じ時間帯に入っている三橋リカさんだ。

パートとしては8時間という長い勤務を終え、ようやく一息つけたと言わんばかりのため息をこぼした。


「リカさんこそ、お疲れ様でした」


「あっ、いまオバさん扱いしたでしょ」


「いや、全くしてなかったですけど」

僕は視線を端末に戻し発注の作業を続けた。視界の端にリカさんの左手が写り込む。

その手の薬指に、一際目立つ指輪がはめ込まれている。彼女は既婚者だ。


勤怠きんたい打ったのに発注してるんじゃタダ働きじゃない」リカさんが俺の頭を軽く小突く。


「そんなことは店長に言ってくださいよ。僕だって好きでこんなことしてる訳じゃないし」


「でもまぁ、それも来月で終わりだね」


「長いようで短かった、三年間お世話になりました」

口を動かしながらも、発注作業にぬかりはなかった。


週三日で入っていたバイトも、今では慣れたもので夕方の時間帯では2番目の古株だ。そしてリカさんが最古参。


「三重県の片田舎のコンビニから東京へ上京。大出世じゃん」


僕は地元の大学を卒業した後、東京にある企業への就職が決まっていた。


「もう研修も済ませて、あとは引越しだけですね。やり残したものがあるとすれば、この発注作業くらいですよ」


大して客の来ないコンビニではあるが、店長のこだわりで品揃えだけは他店に負けたくない。とのことで、細やかな発注を、と店長から僕は指示を受けていた。

店長から、そして地域のニーズに応えるべく、客層が比較的高いため和菓子や和食など和をコンセプトに、と僕は考えていた。

そのためか評判は上々で、僕がいなくなっても後任はそのコンセプトを引き継ぐだけの簡単なお仕事となっている。


「僕が辞めたら、あとはよろしくお願いします」無論、後任はリカさんだ。


「若者は未来へと羽ばたくんだね」


「流石にそれは年寄りクサいですって」


「はぁ?」

リカさんが大袈裟に怒って僕の頭をつついた。


リカさんは確か、今年30歳になると言っていた。

見た目は20代前半と言っても遜色はない。長い髪は脱色の名残か、毛先の部分が薄い栗毛色に変色している。

田舎のヤンキー風プリン頭と形容するのが一番しっくりくる。が、口が裂けてもそんなことは言えない。


「確か今年30ですよね」


「あのさ、女性に年齢の話するのってデリカシー無いよ。逆セクハラだからね。ま、お姉さんは優しいから許してあげるけど」


「結婚したのは幾つのときですか?」


「んー、早かったからね。22」

リカさんは誇るでもなく、結婚した歳を記号のように抜き出した。


「僕と同い年だ。今から結婚なんて想像もつかないっす」

そりゃそうだ、結婚を考え、真剣に悩み、分かち合える相手がそもそも居ないのだから。


「早ければいいってモノでもないしね」


「そういえば、リカさんってお子さん居ませんよね」と僕の口からポロリと疑問がこぼれた。


「あのさ、そういうこともハラスメントだからね。人の家庭の事情に、安易に首を突っ込まない方が良いよ」とリカさんはムスリとしてしまった。


確かに昨今ではLGBTQをはじめ、多様化する社会に変化し、夫婦間で必ず子供を作ることが望ましい。なんてことも無い。自由でいいんだ。


「すみません」

ここは素直に謝るほかなかった。


「よろしい」

リカさんが僕の頭をクシャクシャと撫でつけた。


僕にはこういったノリが苦手だ。

あまりに子供扱いで、旦那さんがいるのに異性と馴れ馴れしくするのも嫌だった。自分の彼女がこんな事をしていたら、きっと嫉妬するだろう。


「あの、僕のことは良いんで早く帰ったらどうですか?」


「あたし、邪魔?」


「いや、そうじゃないですけど、旦那さんが家で待ってると思いますし」


彼女は、ふーんとすました顔をした。


「若い割には、そういうことをちゃんと考えてるんだねぇ」またリカさんは偉いと言って僕の頭を撫でた。「痛ッ」


リカさんは咄嗟に僕の頭から手を離し、腰の辺りを手でおさえた。


「えっ? どうしました」

僕の髪で手を怪我でもしたのかと僕は自分の髪をなでつけた。そこには柔らかな髪があるだけでとくに変わりはない。

 彼女の手を見やったが、手を痛がる様子もなかった。

ただ、代わりに腰を押さえて苦痛の表情を浮かべていた。


「どうしたんですか」


「ちょっ、とね。腰やっちゃって」


「えっ、ギックリ?」それはさすがに歳だろ、と僕は心でつぶやく。


「まぁ、そんな感じ、かな?」


「だったら早く言ってくれれば良かったのに。重いものとか僕が全部やりますから、今後は無理しないでください」


「やっぱりケンジくんは優しいね」



翌週、リカさんはシフトに穴を開けた。代わりに入ったのが店長で、隠すまでもなく僕は不愉快だった。

50過ぎのオジサンと何時間も一緒に居なくてはならなかったのが、耐え難い。

 リカさんは性格も明るく、容姿も整っているため近くにいると僕は少しドキドキするのだ。

 しかし、今日横にいるのはむさくるしいオジサンで、気分は憂鬱だった。


 とくに店長と会話すこともなかったので、リカさんが休んだ理由を店尋ねてみた。


「体の調子が悪いらしい。もしかしたらオメデタかもな」となんともオヤジらしいセクハラを店長は吐いた。


だが、もし仮に、本当に、おめでたい事なら、体調を気遣って差し入れの一つくらいしても良いんじゃないか、と僕は考えた。


そもそも家の場所も知らなかったので、店長に、「先週、三橋さんに借りた物があって」と切り出した。

このまま顔を合わせずに2週間を過ぎると自分は東京へ行かなくてはならない。

借りパクはごめん被りたい、と何とか納得させ、リカさんの住所を教えてもらった。


リカさんの家はチャリで30分ほどの場所だった。アパートの二階の角部屋だ。

時刻は夜10時半を過ぎていて、一般的にこの時間からよその家を訪問するのは非常識だ。

だが、僕の中のリカさん夫婦は、人当たりの良い明るい二人で、突然の訪問でもこころよく受け入れてくれるんじゃないかと楽観視していた。


201号、表札には三橋と書かれている。

まずここで間違いない。


僕はお菓子の入った紙袋を左手に持ち替え、インターフォンに指を伸ばす。指先が少し震えてためらいを見せる。

頭に笑顔のふたりを思い浮かべ小さく深呼吸する。うん、大丈夫だ。


インターフォンが鳴る。


「はーい?」

スピーカーから聞き慣れた声が聴こえた。


「あっ、僕です。八嶋ケンジです」


「えっ、なに急に。なんで住所わかったの」


リカさんの応答に僕の心がギュッと締め付けられる。

予想に反して、あまり歓迎されていないようだ。


「あの、ゴメンなさい。体調が悪いって聞いて店長に無理言って教えてもらいました」


「えっ、あっ…そうなんだ」


しばしの沈黙があり、僕はどうしていいのか分からなかった。

社会に揉まれた経験のない自分に、じゃあ帰りまーす。と気にとめた様子も見せずに踵を返すといったことも出来なかった。

この場での自分の行動に評価が下るまで、身動きが取れなかった。


「おいっ! こんな時間に誰なんだよっ!」


それはインターフォンから聴こえたのか、ドアを挟んだ向こうから直接聞こえたのか、判別がつかない程の怒鳴り声だった。


「ちょっと待ってて」

慌ててリカさんがインターフォンを切った。


心臓が早鐘を打つ。

ここに到着した当初、思い描いていた三橋夫婦の像が、瓦礫のように脆く崩れ去っていった。

リカさんの慌てように、得体の知れない何かが足元からゾワゾワと上ってくる。


ガチャッ、と施錠が解けた。僕は身を縮こませ自身をなるべく小さく見せようと心掛けた。


「夜分遅くに申し訳ありません」僕は頭を下げる。誠心誠意を見せつける。


「あっ…八嶋くん」


それが彼女なりの合図だと、察知した。彼女の背後から敵意をむき出しにした男がぬっと現れた。


「なんだ。なんか用か」低い唸り声のように、男は言った。


「あの、三橋さんにバイトで色々とお世話になってまして。今日でバイトが最後だったので本来ならバイト先でお渡ししようと思ってたお菓子なんですけど」

しどろもどろにならない様に、なるべく平静を保った。

 リカさんの瞳が少し見開かれた。僕の『嘘』に反応したに違いない。

 リカさんに身体の不調の様子は見て取れなかった。

 あるのは、精神の不調のようなものだ。男が後ろに立っているおかげで、彼女の緊張で揺らぐ視線に、男は気付いていなかった。


「ふん。お前、ちっとは慕われるんだな。ありがとなボウズ、じゃあな」

そう言って男は僕の手から紙袋を奪い取り、ドアを乱暴に閉めた。


ドアのカギがかかる音が鳴り、男の怒声も鳴る。今度は扉のすぐ向こうで。


「あんなガキに色目使ってんじゃねーよ!アバズレが!」

ゴンという鈍い音が、僕の眼前で鳴った。その瞬間、なにか小さな悲鳴めいたものも、聴こえたような気がした。

明らかな男の威嚇。リカさんと、そして僕へのだ。まるで鋭利な刃物を突きつけられているようで、僕の足はすくんで動けなかった。


 あれから1週間、リカさんはやっとシフトに戻った。

 お互いに気まずい雰囲気で、一言も喋らずにその日の仕事を終えた。

 これまで悲しみとは無縁だったリカさんが、いまは何処にもいない。

 喋ることもなく無言で勤怠を打ち、帰り支度をしている。

 僕はいつもの発注作業を、時間をたっぷりかけて行うことにした。

 

 その時、そっとデスクの縁に左手が添えられた。


「来週で最後だね。だから最後のお願い聞いてくれる? シフトの最終日を一緒に休んで欲しい」


リカさん左手には、指輪ははめられてなかった。


翌週、僕とリカさんは一緒にシフトを休んだ。僕は大学の急用、リカさんは家の都合、で。

午後5時に僕の家の近くのスーパーで待ち合わせをし、彼女の車で隣の市のホテルへ向かった。近所では知り合いなど、もしくは旦那本人にバレることを懸念して、遠くに行くことにした。

あの日、休もうと提案されたときに指輪が外されていたことに、僕は離婚をしたものだと思っていたが、そうではなかったらしい。

未だに籍は残っている。


「なんかドキドキしちゃうね」

リカさんが年甲斐もなくはしゃいでいる。


ホテルの室内は薄暗かった。部屋に入るなりリカさんが照明を暗くした。


「これは明らかな不倫ですけど。どうしてこんなことを」


「さぁ? どうしてでしょう」ニヤリと彼女は笑った。


「笑ってる場合じゃないでしょ」


「こんな時くらい、笑わせてよ」


彼女はおもむろに服を脱ぎ始める。上着を脱ぎ長い髪が洋服にまとわり波打つ。

スボンも脱ぎ捨て下着姿となりベッドの上で膝立ちになる。

線の細いしなやかな身体の割に豊満な乳房。無駄な肉を削ぎ落としたクビレ。細く白い腕で遠慮ぎみに胸を股を申し訳なさそうに隠している。


「あんまり、みないで? 恥ずかしい」


「恥ずかしい? なんで」

僕はゆっくり手を伸ばす。差し出した手は、はたして彼女に触れることができるのだろうか。


「だって、アザだらけ」


「どうして、こんなに…」


「顔だけはね、他の人にバレるからって、手を出さなかったんだよ。ケンジくんが家に来た日、ドアに後頭部ぶつけられたけどね」


「あんな酷い男、死ねばいい」


「人はいつか死ぬよ。気にしないで」


「僕は、リカさんに生きてて欲しい」


「違うの」


「何が違うんですか!このままじゃいつか殺されますよ!」


「だから違うの! あたしもうケンジくんじゃなきゃダメなの。この傷だらけの身体に、ケンジくんの傷をつけて欲しいの。癒しなんていいから、同じ傷でもケンジくんのなら、痛く…ないから」


「ばっかじゃねーの」


 そして僕は、ただただ泣いて彼女をきつく抱きしめた。



 透きとおる青空の下で桜がほころんでいる。

 駅のバスターミナルで 彼女は小さなカバンを一つだけ持っていた。

「本当に、大丈夫かな」

 いつになく不安げなリカさんの瞳が、僕を見つめてる。

 

これから電車に乗り、僕とリカさんとで名古屋駅まで向かう。名古屋から東海道新幹線に乗り東京へ。


リカさんは、旦那の件を警察に相談し、誰にも、何も告げず僕と二人で新たな人生を歩む決意をした。


「バイト先の誰にも話さなかったし、気付かれないですよ」僕は力強くうなづいた。


「おっ、頼もしいなぁ」


「人の家庭の事情に首突っ込んだら、とんでもない経験したんで、もう何が起きてもへっちゃらです」


「ねぇ、ケンジの未来に、一緒について行ってもいいかな?」

リカさんはギュッと僕の右手に左手を絡ませてきた。その左手は、白く眩しかった。


「天国だろうと地獄だろうと、ずっと傍にいて欲しい」


[完]

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