Episode3 温もり

「君が森にいた少女だね。話は聞いているよ。襲われて大変だっただろう。ここは森より安全だし、なにより頼もしい人達がいるからね、安心していいよ」


思いの外優しい彼の言葉に肩の力が抜ける。

それが表情にも出ていたのだろうか、彼はどこか満足そうな笑みを浮かべていた。


「ふふ、せっかくだし彼等を紹介しようか。まずは一人目、レーデラント・レイズダン。彼は騎士でね、主に守護を任せているんだ。彼の腕は僕が保証するよ。レーデラントがいなかったら、僕は疾うの昔に命を落としていたからね」


「それは言いすぎです。…だが、俺が外敵から守り続けているのは本当だ。もしあんたがシトライエ様に害をなす存在だと分かったら、そんときはいつも通りに対処する。悪く思うなよ」


「こらこら、あまり彼女を困らせないでくれないかい。また不安にさせてしまうだろう?」


「事実を言っただけです」


「ごめんね、怖がらせてしまったかな。うちの騎士様はご覧の通り警戒心が強くて頼れる存在でね。とはいっても、さっきは忠告のつもりで言っただけだろうから君は気にしないでおくれ」


「シトライエ様が警戒心をどこかに置いてきたからそう見えるんですよ…」


今度はレーデラントさんが困ったように額に手を当てた。

しかし、彼は気に留めることなく後ろに控えている人に視線を一度送る。


「次は彼の紹介をしようか。彼はリィディク・ハルファシュモ。この家の使用人、といったところかな。家事でも何でも完璧にこなしてしまうから、ついつい色々なことを任せてしまうんだ」


「ご紹介に与りました、リィディク・ハルファシュモです。お困りごとなどございましたら、何なりとお申し付けください」


「最後の一人はツェルセイ・ニディアル。僕の専属医さ。彼が調合する薬液は良くも悪くも効きがいいんだ。君の治療は彼に任せているから、怪我についても安心していいよ」


「そーそー、オレの薬を塗っておけばすぐにでも治るから君はゆっくり休んでなよ。いろんな薬液調合するからさ」


「ツェルセイ、まさかとは思うが実験台にするつもりじゃねぇだろうな…?」


「あはっ、そんなわけないじゃん。よく効く薬液をちょーっと試すだけさ」


「…おい、あんた。ツェルセイからもらう薬液には注意しておいたほうがいい。あれは何か企んでる顔だ。いいか、ちゃんと確認してから薬は飲むんだぞ」


「そうしないと数日前の自分みたいになるから、って?あれはあれでいいと思うんだけどなー、やっぱりもう一度飲んでみない?」


「誰が飲むかあんなモノ。そんなに飲ませたいのなら自分で飲んでおけ」


「もちろん自分でも飲んでるさ。飲みすぎて耐性がついちゃったくらいだよ。

そのせいで改良しても効き目が計れないんだ。だから、ね?」


「なにが『ね?』だ。絶対飲まないからな。っと、すみません、シトライエ様。お話の続きをどうぞ」


「ありがとう、レーデラント。…というわけで、君はツェルセイに任せてゆっくり休むといい。今ので不安を感じてしまったかもしれないけれど、腕は確かだからね。大丈夫さ、…もし何か飲んでしまっても後遺症は一切残らないからね」


最後の言葉に不安が増すも、笑顔でうんうんと頷くツェルセイさんから悪気は一切感じない。

レーデラントさんに聞けば何か教えてくれるだろうか、と視線を向けると哀れむような視線を返されてしまった。


「さて、これで全員紹介できたかな。以上がこの屋敷の頼れる住人だよ。最後に、僕はシトライエ・ユーバインズ。どこにでもいるような貴族さ。誇れるような貴族では無いけどねぇ。それじゃあ紹介も済んだところで、君の話を聞こうか。君の素性と、どうして危険な森に来たのかを教えてくれるかい?」


「私はフィソアです。どうして森にいたのかは、分かりません。目が覚めたら記憶にない森にいて…」


「ふむ…。自分で来たわけではないんだね。誰かが君を森に置いていった、あるいは何かに運ばれたか…。フィソア、森に来る前はどこで何をしていたんだい?」


どこで、何を。

何気ない問いかけに、言葉が詰まる。


私はどこで、何をしていたのだろうか。


森で目覚める前の自分のことが、全く分からない。

思い出そうにも、自分に関する情報が何一つ思い浮かばない。


過去も、思い出も、知っている人も、自分の持ち物も、家も、家族も、昨日のことも。


そんな当たり前で些細なことが、私の記憶には存在しなかった。


私が覚えていることは、この名前と、森で目覚めた後のことだけで。


「大丈夫かい?…嫌なことを思い出させてしまったかな」


シトライエさんの声に、記憶の深海から現実に呼び戻される。


「いえ、…その、覚えて、いなくて」


「覚えていない…?…質問を変えようか。君はどの都市に住んでいるんだい?」


「分かりません…。名前と森で目覚めた後のこと以外、何も覚えていないんです…」


住んでいる都市どころか、都市の名前が一つも出なかった。

その事実に、声が震える。


そんな私に、なにか考えるように顎に手を当てた後、シトライエさんが再度視線を向けた。


「天泣都市アリヴィラ、商業都市ヴィーシュルム、水上都市セルヴィーラ、氷雪都市ルクシュネ、地中都市トゥエルソ、発展都市ムントーア、研究都市アルティシナ、空中移動都市シェルミーレ。この中に聞き覚えのあるもの、あるいは懐かしいと感じるものはあるかい?」


「どれも初めて聞きました。…有名な都市、でしょうか」


沈黙が広がって、それから息を呑む誰かの音が響いた。


「…有名といえば有名なんだけどねぇ…。むしろ知らない人がいないくらいさ。

これで全てだからね。…この世界で人が住んでいる場所はこの8つだけなんだよ、フィソア」


今度は私が沈黙する番だった。


どの都市も全く聞き覚えがない。

名前を聞いても懐かしい、記憶に引っかかるといった感情が湧くこともない。


どこに帰ればいいのだろうか。


自分に関する手がかりが一切ない状況に、じわりと不安が滲んでいく。


「…リィディク、温かい紅茶を淹れてきてくれるかい?せっかくだ、とっておきのアレをお願いするよ。それと甘い物も持ってきてくれるかな」


「かしこまりました。少々お待ちください」


テーブルの上に置かれたティーカップを手に、一礼してリィディクさんが扉から退出する。

扉が閉まる小さな音の後、シトライエさんが笑顔を浮かべた。


「フィソア、一旦休憩しよう。リィディクが美味しい紅茶とお菓子を持ってきてくれるから、少しの間ゆっくりするといい。さっきは質問ばかりしてしまってごめんね。お詫びにリィディクが来るまでの間、質問があれば何でも答えようか。聞きたいことはあるかい?」


聞きたいこと。

私が知りたいことは─────。


「…森で私を襲ってきたあれはなんでしょうか」


私の質問にシトライエさんは悲しそうに目を伏せる。

それから両手を組んで、溜まった息を吐き出すように呟いた。


「…あぁ、そうか、それも忘れてしまっているんだね…。…フィソア、よく覚えておくといい。君を襲ったのは、危険種と呼ばれる存在だ。人類の天敵と言ってもいい。


アレの正体はまだ誰にも分かっていなくてね、詳しいことは言えないんだ。分かっていることといえば、見境なく生きている物全てを襲うということだけさ。

それもエネルギーにするというわけでもなく、ただただ襲っては放置しているようでね。

人間もその例に漏れず、虐殺対象となっているんだよ。

どうやら人間にご執心のようでね、人間だけが跡形もなく切り刻まれているんだ。


危険種の一番怖いところは、僕達人間では到底敵わないところさ。

軍人でも束にならないと相手にすらならない。束になったところでできるのは足止め程度さ。

だからね、出会ったら即逃げないといけないんだ。

フィソアも、危険種に出会ってしまったらまず第一に逃げるんだよ。絶対に、逃げるんだ」


有無を言わさない言い方に頷くと、彼は満足そうに微笑んだ。


「失礼します。紅茶をお持ちいたしました」


区切りがいいところで、ふわりと美味しそうな香りが漂う。

紅茶を手にしたリィディクさんが戻ってきたのだ。


「どうぞ、お召し上がりください」


目の前に置かれた紅茶は先程とは違い、薄桃色をしていた。


「綺麗…」


「そうだろう?せっかくだからね、綺麗な君の髪と同じ色にしたんだ。

味もとっても美味しいんだよ。君の口には合うかな」


惹かれるようにそっと紅茶に口をつけると、甘くさっぱりとした味が広がる。

微かに香るのは花の香りだろうか。

じんわりと広がる温かさも心地が良い。


「美味しいです」


「それは良かったよ。僕もその紅茶は気に入っているんだ。

それとリィディクが作ってくれる物も気に入っていてね。

そのお菓子も彼が作った物なんだ。食べてごらん」


勧められるままにお菓子を手に取り一口食べる。

しっとりとした食感に、紅茶よりも甘い甘い味。

思わず頬が緩む。


「ふふ、どうやら君も気に入ってくれたみたいだね。一番いい顔をしているよ。

他に好きな物はあるかい?」


彼の問いかけに手が止まった。

考えても考えても、好きな物が何一つ思い浮かばない。


「…、…分かりません」


「…本当に、名前以外分からないみたいだねぇ…」


「はい…」


力なく頷くと、シトライエさんが組んでいた指を解いて立ち上がった。

笑顔を浮かべ、こちらへと手を差し出す。


「フィソア、君のことを信じよう。君の記憶が戻るまで、僕──シトライエ・ユーバインズが、君の力になると誓うよ」


その笑顔は、嘘偽りのない笑顔で。

何も分からない私にとって、唯一の光に思えて。


「っ、…ありがとうございます」


気が付いたら、縋るように彼の手を取っていた。

それに応えるように、彼が私の手を包み込む。


彼の穏やかな眼差しと手袋越しに伝わるひんやりとした体温に、私の心は鎮まっていくのだった──。

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OathGRACE 七枦藤 @OathGRACE

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