天使の呪縛 1 依存 (消えない存在)
帆尊歩
第1話 天使の呪縛 1 依存
僕の横に天使が現れて、すでに一週間が経つ。
天使はまさに天使の格好をして、僕の横にいる。
僕が立っているときは立って、座っている時は座って、絶えず僕の目線に寄りそう。
分かっているのだ。
これは僕の想像が作り出した物だと。
この職場で孤立している僕が、欲しがった空想の話し相手だ。
だから僕は、この空想の話し相手に直子という名前をつけた。
直子は僕の観念が作り出した物だから、決して僕が嫌がるようなことは言わない。
みんなするだろう。
ペットや人形に話しかけることを。
それが僕の場合は想像の天使なのだ。
(分かっているのね、私があなたの観念が作り出した人格だという事が)
「当然だ」
(では今日の反省会をしましょうか)
「反省会?なんだそれは」
(それはあなたが一番分かっている事よね)
「分からないよ」
(あなたは、自分が今の職場で浮いている事が分かっていても、何もしようとしていない)
「当然だ。親会社の机の一つを借りて、仕事をしている、出向とかではなく、別会社として、そこで働いている。言うなれば同僚ではなく取引先だ。取引先の事務所に駐在しているんだ、浮いて当然だ」
(でも取引先であればあるほど、協調性を持って馴染んで行かなければならないのではないの。今日だってそうよ。総務の山本さんが一人ぽつんとしているあなたを見かねて、一緒にお茶を入れてくれたのにオドオドしちゃって)
「あれは、急だったんで、驚いて」
(そうよね、山本さん、可愛いものね)
「だからそんなんじゃないって」
(で、湯飲みは持って行くんでしょう)
「いや。確かに湯飲みを持って来れば、みんなと一緒にお茶入れるって、言ってくれたけど。だからといって会社も違うし、そもそも取引先なのに、朝みんなと一緒にお茶を貰うなんて厚かましいだろう」
(まあ、今時、朝お茶を入れてくれる会社なんてないものね)
「あの」
(なに)
「その天使の格好を何とかして貰えないだろうか」
(あら、これはあなたが欲した事よね)
「そうだけれど。横で天使の格好をされていたら、落ち着かない」
(私としてはご自由にと言う感じだけど)
僕が勤めているのは、大手運送会社の事務所だ。
うちはそこの子会社で、リース資材を扱っている。
リースと言っても、本格的な物ではなく、親会社の備品などのリースだ。
なぜかそこに僕は駐在している。
本来リースと言えば、車とか、重機など様々な物があるが、うちはPCや運送に必要な端末などの細かな物のリースだ。
本当は、配送のトラックなどをリースすれば儲かると思うが、そういう物は本職のリース会社が入っている。
「朝礼始めます」営業課長がフロアーに声を掛ける。
すると全員が席から立ち上がる。
僕は会社も違うし、業務連絡も参考程度なので、立って一緒に聞く必要も義理もないが、一人だけ座っているわけにいかず、一緒に立って話を聞く。
僕はここに全く馴染んでいない。
知らない人の中で、うまくやって行く事が僕には出来ない。
イヤ、知っている人間の中でも、うまくコミュニケートが取れないのだ。
別会社の中でうまくなんて出来るわけがない。
朝出された湯飲みと、家から持って来た湯飲みを持って給湯室に行くと、山本さんが湯飲みを洗っていた。
「あの」
「ああ、リースさん。お疲れ様です」子会社とは言え別会社なので、運輸さん、リースさんと呼び合う。
「あっ、お疲れ様です。湯飲み返しに来ました」
「あら、良かったのに、わざわざすみません」
「いえ、あと、あの湯飲みも持って来たんですけど」と僕は真新しい湯飲みを山本さんに見せた。
「わざわざ、買ったんですか」
「いえ、家にあった物で」
(嘘つき。散々迷って買ったくせに)天使の直子が耳元でささやいてくる。
「じゃあ、明日からはこれで。でもリースさん関係ないから、一緒に朝礼聞かなくても良いんじゃないですか」と山本さんが言う。
「いや、確かにそうなんですけど。なんか一人だけ座っていたり、聞かないのもなんか。それに関係ないと言いながら、運輸さんの流れが分かると、いろいろ話しがしやすくなるので」
「わー、完全に別の意味での業務なんですね」
「はあ」
(嘘つき、そんな事微塵も思っていないくせに、一人だけの疎外感を感じたくないんでしょう)
そんな天使の直子の言葉を無視して僕は自分の席に戻る。
なおも天使の直子は話しかけてくる。
(山本さんは可愛いけれど、だからといって変なアプローチは掛けられない。後がめんどうだから。でも気にはなる)天使が僕の心の中を代弁するように言ってくる。僕は茶化されたようで、ちょっとイラッとする。
「うるさい」小さく言ったはずなのに、近くに座る人が振り返った。
僕は知らん振りをして通り過ぎる。
それからも、天使の直子が僕に話し掛けることが多くなってきた。
それはおそらく僕自身が望んだことであり、それは僕の心の救いになっていった。
その時点で僕は、天使の直子にすがり、心を直子に依存していった。そしてそれは
決して、自分で認めたくない、でも考えずにいられないこと。
僕は孤独なんだと言うことを思い知らされて行く。
直子の声は心の声だ。
直子が観念上で作り出した僕自身の人格である以上、僕の嫌がることは言わないし、僕の本心の確信を付いて言ってくる。
つまり、僕が自分自信で目を背けている事を言ってくる。
そして僕も、その会話により救われる。
それは孤独を実感した僕にとって、救済に他ならないが、でも直子への依存がなければ、知らなくてすんだことかもしれないと、ちょっとだけ思った。
一ヶ月も経つと、僕は完全に全てのコミュニケーションが、直子との会話の中に集約されて行くようになった。
周りとのつながりは薄くなり、周りの人間が記号の用になる。そこにコミュニケーションはなくなり、そこにある人格を感じられなくなった。
あの山本さんでさえ、記号のようになり、人格が感じられなくなっていった。
僕は直子へと埋没していった。
天使の直子は僕が作り出した観念の人格だ。
この世にそんな人はいない。
イヤいないからこそ、そこにいる目の前の直子は、パーフェクトなんだ。
僕という人間にとって、パーフェクトな人格を有する分身のような存在、イヤ目に見えないから存在とはいえないかもしれない、でもそこにいる。
だから僕はさらに直子に依存して行く。
悩みを打ち明ければ、的確に答えるし、単なる馬鹿話がしたければ、いくらでも乗って来る。
こんなパートナーがいるか?そしてここまで僕の事を理解して、話し相手になり、元気づけて、決して裏切らない、そんな存在は直子を置いて他にはいない。
そうだから僕はもう誰もいらない。
天使の直子が目に見えなくても、横にいてくれれば誰もいなくていい。
そして天使の直子は、僕が作った人格なのに、僕の思いもよらない事を言ってくる事もあり、直子は本当に存在している事を僕は疑わなくなってきた。
それは僕にとって消えない存在なのだ。
そして今日も僕は誰とも言葉を交わさず、記号に過ぎない営業課の人間と表面上の会話をして、なんとなく業務をこなして行く。
あの山本さんですら、記号だ。
もう誰もいらない。
僕には直子がいればいい。
そう消えない存在の直子だけがいれば。
天使の呪縛 1 依存 (消えない存在) 帆尊歩 @hosonayumu
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