Valentine

私が手に入れたいあの人は、恋を知らない自由気ままな人だった。



あの人の甘い

ハグ 「好き」 「ねえ」 私を映す瞳

それに惚れ込んだ者たちを愛おしむ瞳は、気まぐれに興味の向いたものを映す。

時に惚れ込んだ者たちの方へ、時に惚れ込んだ者たちなんて置いて気になったものの方へ離れていってしまう。




私も、あの人を愛する他の者たちも何ひとつ変わらない、ただ自分を好きだとわかっている丁度いい人間たちだ。

気まぐれにやってきたあの人に魅入られて恋に落ちて、大事なものさえ見えなくなるくらい見つめ続けても、あの人は同じ人に愛されるのに飽きては次の人を求めて去って行く。




あの人は、自分を愛してくれる者たちには平等に接した。

その目はいつも思わせぶりで、あの人のことを自分のものだと錯覚させる。

だから少しでも自分と同じように他の誰かと話すあの人を見ていると、嫉妬で狂ってしまいそうになる。

けれど常に傍で自分をよく見せようと着飾って笑う私たちの醜い恋心をあの人は知らない。




誰かひとりのものになることをあの人は嫌う。常に愛されていることがあの人の存在証明だから?

誰かのものになる時、あの人はあの人じゃなくなるかもしれない。

嫉妬で狂いそうなほど嫌だったけれど、皮肉にもただふわふわと色んな人のところへ羽ばたくあの人が好き。

好きなのに。

けど、私のために変わってしまったあの人ならなおのことほしい。

こんな醜い恋心を持たせたのはあなたでしょう?

こんな思いにさせておいて、興味がなくなったら少し遠くから「これで十分だろう?」と言わんばかりに手を振ってくる。もう見飽きるほど好きになった、私を落とす眩しい笑顔。







明日は誰かが勇気を出してあの人にチョコレートを贈るという噂。あの人は嘘はつかないけれど、気に入った子を傍に置いておくためならみんなに同じ「好き」を言う。

さあ、何も知らずに私にも声を掛けるがいい。

そして私のとっておきの想いを知って?





多くの人気者の集う場所、そこではチョコレートを贈り、もらっていた。

手元にチョコレートを多く持つ者はみな愛される一面を持った人だけれど、私はあの人にしかこのチョコレートを渡さない。

私の恋愛に保険はいらない。

あの人に群がっていた者たちは他の人にも目移りして、自分の想いを友人に評価してもらっていたけれど、そんなようじゃああの人を手に入れることは出来ない。





私たちのチョコレートに詰まった想いは他ならぬあの人たちが育ててきた。

そのことをあの人たちは知らない。

愛することしか出来ない者の気持ちは、愛されるだけの者にはわからない。





着飾らず、笑顔を見せず、14日という2月で最も浮かれた雰囲気には到底そぐわないような振る舞いがあの人の興味をそそることはわかってる。

ほら、どこからともなく現れたあの人は、私の手から小さな小箱を手に取った。

中にはとっておきのチョコレート。



「歪な形をしていて面白いね」



色んな人から贈られたチョコレートを見てきたけれど、こんな形のものは初めてだと言う。

そうだろう、この想いをここまで歪められるのはあなただけだから。



「これまで見たものはブラックやホワイトが多かったけれど、あなたのチョコレートは真っ赤なんだね」



色んな人から贈られたチョコレートを見てきたけれど、こんな色のものは初めてだと言う。

そうだろう、この想いをここまで燃え上がらせることが出来るのはあなただけだから。



「食べてみてもいい?」


「どうぞ」



これまで味わった甘さを想像していた舌が、予想に反する酸味と苦さに驚いたようだ。

この人にチョコレートを渡した誰もが「おいしい」「あまい」といったありきたりな言葉をもらったことだろう。

そんな甘いものではこの人の心には響かない。

だってなんとなく甘さを生み出す人なんだもの。

私の感じた想い、辛さ、悔しさがそのままにこの人へ届きますように。



「このチョコレートはユニークで面白い。私はあなたのことが好きだよ」


「私は好きじゃありませんよ」


「どうして?」



首を縦にしか振られたことのないこの人にはわからないだろう。

私はあなたを好きなんかじゃなくて、愛してる。

けれど同時に、なかなか私のものにならないあなたを憎んでいる。

だから



「私はもうこの想いをあなたには渡さない」


「興味があるんだ、あなたの気持ちに」


「気になるなら考えてみればいいのではないでしょうか」


「あなたは私のものになると思っていました」


「勝手ですね、あなたはいつも」




想いの正体を知らないあの人は、去った私ののことを考え続けた。

どうしてあんなチョコレートを用意したのか、確信があったのになぜ自分のものにならなかったのか、私へ向けられた疑問に答えは永遠にみつからない。

私のものにならない限り。





興味が私だけに縛られたあの人は、一粒の魔法にも似た涙を流して言った。



「私をあなたのものにしてほしい」



聞けば涙のわけは、私のことを考えると何も手につかず、苦しくてたまらない。そして今までに経験したことのない独占欲と嫉妬心に悩まされている、と。

あの人は本気の恋愛を知らずに楽しい恋愛だけをしてきた。ひとりを一途に想った経験もない。だからこそ、彼が初めて抱いた、自分の熱で溶けてしまいそうな苦しい恋心は私に向けられたものが最初で最後。




確信が出来た今なら浮ついたあの人も悪くないと思えるけれど、あの頃に感じた身を裂くような嫉妬は塩が水に溶けないように消えてはくれないだろう。

本気を知ってしまったあの人は、私を抱きしめた。これまでの自分のあり方を失いもうここにしかいられなくなったあの人は、しょっぱい味のする涙を頬に伝わせて本音を告げる。



「あなたを愛してる」



これでこの人は私のものだ。

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恋を例えるなら(1話完結系短編集) 青時雨 @greentea1

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