第38話 ボレーアス





「……だい……ぶ……ですか」


「いっか……ほど、あん……にして……ば治りますよ」


「良か……た」


 どこかからか誰かの話し声が聞こえてくる。

 片方は最近聞いたばかりの女の声であった。


 何か答えようとするが、俺の口から漏れたのは呻き声だけだった。


「う……」


「あ、起きたみたいですね」


「……ここは?」


 俺は起き上がり、寝ぼけ眼を擦る。

 確か、リノと下層探索に行ってその後、ゴブリンの巣に俺一人で潜り込んでそれで――


「俺は……死んだのか」


 俺は自分の体の様子を見ながらそう呟く。

 ゴブリンリッチを倒したところ……までは記憶にある。

 が、他のゴブリンたちを倒す余力もなく、意識を失ったはずだ。


「ななせん!!」


「わああぁぁぁ?!」


 突如、視界が白い何かで覆われた。

 この声、この呼び方……リノだ。


「良かった……無事で」


 その声は本当に心配してくれているようで少し、涙ぐんでいるようであった。


「あれからどうなったんですか? 俺は……死んだんでしょうか」


「それは――」



 ――――――――

【リノ視点】



〈コメント欄 同接:15000人〉

“七瀬がゴブリンたちと戦ってる”

“マジか”

“ちょっとそっちも見てくる”

“あれ?極力戦わない方向なんじゃなかったっけ”

“挟み撃ちされた”

“マジかよ、まあ、七瀬なら大丈夫か”



「ゴブリンたちと戦ってるんだ……」


 挟み撃ちされたということはゴブリンに見つかってからからずっと逃げ回っていたのかな。

 そうなるとその間にゴブリン側も何かしらの対策を打ってそう……やっぱり、なるべく早くななせんの元に行かなきゃ。

 でも……


「なんだか、空気が変……」


 前に1層に潜った時と雰囲気が違う気がする。

 しばらく、1層に潜っていなかったから気のせいだという可能性も全然あるのだけれど……。

 探索者としての勘が異常を訴えていた。


 その時、森と平原の境目からおかしな音が聞こえた。


 ――キュピィィィィィィ

 ――カァ、カァカァ

 ――グルルルル


「モンスターの……悲鳴?」


 すると、森から100体程のモンスターが一斉に飛び出した。


「キュピィィィィィ!?」


 それらは全部、ウサギや鴉、狼など全て動物系のモンスターであった。

 それらはどれも中層で出てくるようなモンスターであり、この階層の中では弱い部類に入る。

 そのため、それらが逃げ出すように森から飛び出してきた理由は容易に考えられる。


「……上位種の出現」


〈コメント欄 同接:20000人〉

“上位種?!”

“どういうことだ”

“嘘でしょ”

“この階層はゴブリンリッチが最上級なんじゃないの?”

“この前の異常現象の弊害か……”


 私はスキルで生み出した氷の足場を使いながら上空から階層の様子を一望する。

 するとそこにいたのは――


「嘘ッ……」


 私は自分の目を疑った。

 散りばめられたダイアモンドの輝きを放つ宝石、鋭い牙、紅玉のような瞳……どこからどう見てもそれは深層にいるはずの金剛狼ダイアモンドウルフであった。


「なんでダイアモンドウルフがここに……」


 どう考えてもおかしい。

 この前の異常現象後、奥多摩ダンジョン深層を除いた階層全てでは調査団による入念な調査が行われたはず。


 その末、奥多摩ダンジョンは再び、解放されたのだが……。


 今、自分が見ているモンスターはどう考えても下層に居ていいモンスターじゃない。

 それに――


「私と一番相性が悪いタイプ……」


 ダイアモンドウルフは魔法系攻撃と斬撃系攻撃にかなり大きな耐性を持っている。

 そのため、私の氷の素質も剣の素質も大して効かないのだ。


〈コメント欄 同接:25000人〉

“?!?!?”

“はぁ?!”

“深層モンスターです”

“は?”

“ダイアモンドウルフ:奥多摩ダンジョン深層3層にで現れるモンスター。深層パーティが念入りに準備して倒せるレベル。氷と風の魔法系攻撃が得意。魔法系攻撃と斬撃系攻撃が効きづらい。逆に打撃系攻撃には弱い。ソロ討伐記録は無し”

“嘘でしょ”


「逃げ……ないと」


 なんでかわからないけれど、私の本能がダイアモンドウルフのことを強く避けている。

 理由を思い出そうとしても頭の中に靄がかかって思い出せない。


「私じゃ……敵わない」


 そんな気がした。

 私がダイアモンドウルフを無視してななせんの元に行こうとした時、突然、配信の同接数が増えた


〈コメント欄 同接:40000人〉

“七瀬の配信が途切れたぞ!”

“突然、七瀬の配信画面が真っ暗になった”

“マジで?”

“女性の悲鳴が聞こえて、七瀬が助けに行こうと扉を開けた瞬間に火の玉と矢が飛んできて配信用カメラがぶっ壊れた”

“多分、生きてる……と信じたい”

“死んだな”

“生きてるかもだから早く助けに行ってあげて”

“てか、なんでここにダイアモンドウルフ?!”

“マジじゃん”


「ななせんが……死んだ?」


 全身の力が抜け、両腕がだらんと垂れる。


 いや、まだ配信用カメラが壊れただけ……きっとななせんなら生きてる。

 私はすぐにでもななせんの元へ行こうと空中に氷の足場を生み出す――が。


「グルルゥゥゥ、グルルゥゥゥゥ!!」


 空を見上げたダイアモンドウルフは全身を緑色に淡く、光らせる。

 そして、無数の風の刃が放たれた。

 それらは私が作ったばかりの氷の足場に命中し、足場はバキバキバキと音を立てながら崩れていく。


「ガオォォォォォン!!」


 それら刃は次に私の立っている足場に向かってくる。

 このモンスターは逃げることさえも許してくれないというのか。


「絶対にななせんを助ける……だからここでやられるわけにはいかない」


 ――バキバキバキ


 そんな音を立てながら足場の四方八方へヒビが走る。

 私は大きく息を呑み――


 力強く足場を蹴る。

 ひたすらにそれを何度も繰り返す、繰り返す。


「もっと、もっと早く」


 踏んだところから足場は崩れていく。

 私は氷の足場を生み出すと同時にそこを駆けていた。


 止まれば落ちる。

 落ちれば空中で風刃の餌食だ。


 そうなったらななせんはおろか、私も死んでしまうだろう。


「お願いだから見逃して!」


 そんな私の願いなんて気にせず、ダイアモンドウルフは風刃の数を増やしてくる。

 けれどまだギリギリ、私の足場を作る速度の方が早かった。


 だが、そのギリギリの差はすぐに潰えた。


「ガォォォォォン!!!」


 ダイアモンドウルフが何かの術を発動した。

 すると辺り一帯が暗くなり、ゴロゴロゴロという不吉な音が鳴る。

 私はその音の方向を見ると――


 そこには真っ黒の幾つもの雲があった。


 嫌な予感がし、私は横方向に飛び込んだ。


 ――ドゴォォォォン


 音さえも置き去りに数センチ横のところを眩い光が通過していった。


 雷の魔法だ。

 金剛狼ダイアモンドウルフは火、水、氷、風、雷の5つの属性の魔法を使うことから深層探索者パーティでも討伐が難しいと言われている。

 そもそも存在自体が激レアなのだが――


「勝てない激レアモンスターなんて嬉しくない」


 私は勘でもう一度斜め方向に飛び込む。


 ――ドゴォォォォン


 またしてもギリギリのところを雷が通過していく。

 ダイアモンドウルフは雷の魔法を使いながらも風刃を放ち続けており、いつ私が攻撃に当たってしまうかわからない。


 このままななせんの居るゴブリンの巣に行こうにもこのままではダイアモンドウルフも連れていってしまう。

 それだけは避けないと……!


〈コメント欄 同接:44000人〉

“こいつってダイアモンドウルフだよな……”

“激レアモンスターだけどリノ一人じゃ倒せるわけない”

“どうなってんだよ、ななせんだけじゃないでリノも危ないのかよ”

 藤堂章:“お前、何と戦ってんだよ?!早く逃げろ”

“死んだな”

“そんなに強いん?”

“この前、ドロップ品に目が眩んで海外の深層パーティが全滅してたよ”


 コメント欄の鳴りがうるさい。

 藤堂もどうやら居るらしいけど反応している余裕なんてない。


 こいつをどうにかしないとななせんだって地上に戻れない。

 私がどうにかしないと。


「どうにか……しないといけないのに……!」


 横を通過した雷が髪の毛を焦がす。


 なぜだろう、脳がこいつと対峙することを拒絶している。

 一瞬、凍らせるだけでいいのだ。


「だから動いて……私の体」


「ガルルゥゥゥゥ!!!」


 ダイアモンドウルフが何かの魔法を発動しようと動きを止めた。

 今だ、今なら……。

 私は大きく深呼吸する。


 覚醒化して得たこのスキル。

 当たれば確実に凍り、しばらく動きと止められる。


「――頼むから発動して!」


 目を瞑る。

 そして、身体中の力を全て掌に丁寧に込めていく。


 決して焦ってはいけない、丁寧に、丁寧に――


「ガオォォォォン!!!」


 ダイアモンドウルフが大きく吠え、今まで感じたことのない熱気が迫る。


 私は目を開ける。

 そこにあったのはとても大きな炎の龍であった。


 大丈夫、もう完成する。

 私は口を開く。


 刹那、業火の龍が私を飲み込む――


「〈絶氷の支配者ボレーアス〉……凍れ」


 が、私がそう口にした瞬間、それは氷の龍となった。


「氷よ、私の意のままに」


 龍はダイアモンドウルフに襲いかかる。

 それはまるで生きているかのように。


「ガルルルゥゥゥ!!!」


 ダイアモンドウルフは驚いたような表情をするが、すぐに切り替え氷の龍へ体当たりする。


 ――バキィィン


 するといとも容易く氷の龍は砕け散ってしまった。


〈コメント欄 同接:50000人〉

“あれ?”

“いいのかこれ?”

“結局、リノもこんなもんか”

“やっぱり、誰か救援に行ってあげたほうが”

 藤堂章:“いや、こいつはまだ隠してる”



 氷の龍砕け散ってしまった。

 けれど、それでいいのだ。

 だって今、私は――


「氷の支配者だから……〈絶氷万華鏡〉」


 砕け散ったはずの氷。

 本来ならそれはただ溶けていく。


 だが、私は今、氷の支配者。

 その氷は意志を持ったようにダイアモンドウルフに纏わりつく。


「ガルルゥゥ?!」


 周囲の氷がダイアモンドウルフの体に集まっていき――やがてそれはダイアモンドウルフを完全に覆い、檻のように奴を閉じ込めた。


「ガオォォォォン!!!」


 風刃が氷を突き破る。

 だが、すぐさま氷は元の姿へと戻っていく。


 これでダイアモンドウルフは数時間、身動きが取れないはず。

 私は急いでななせんの元へ向かった。


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底辺ダンジョン配信者の俺。彼女に浮気されたことを言ったら美少女たちにコラボを迫られることになった わいん。 @wainn444

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