沼地の巨木の洞のふたり

ひぐらし ちまよったか

沼地の遭難

「――くそ、降ってきやがった!」


 湿地に足を取られながら荒い息遣いの俺は、雨を運び迫る夕空を睨み上げて悪態を吐く。


「ご、ご、ご……ゴメンなさい……」

 抱える両腕の中に泥だらけのレミは、申し訳なさそうな涙声。

 姉によく似た碧く澄んだ瞳が恐々と俺を見上げ、すっかり汚れてしまった美しい顔のまん中に、涙で赤く痛々しい。

 いつもはサラリと陽の光りが踊る枯草色の長い髪も、白いおでこにべっとりと貼り付き、形のいい眉毛がおびえた風に情けなくしおれる。

 紅い蕾のような唇は、自責の念で硬くキュッと結ばれていた。


「あ、ス、スマン。お前に怒った訳じゃないんだ……すまん」

 ときどき鼻をすすってはケホケホと咳込み、フミィと泣く。

「い、い、ぃぇ……」

「じきに暗くなるな……濡れながら移動するのは危険だ。雨を避けられる場所を探そう」

「す、すみません……先輩」

「……気にするな」


 気が遠くなるほど重たい荷物と、腕に抱え上げた小柄な負傷者だ。歩みを止めれば、たちまち足は沈んでしまう。


(コイツを見捨てる事はしない!)


 強くなる雨音の夕暮れの沼地を、レミを抱えながら、がむしゃらに前へと踏み進んだ。



 〇 〇 〇



 大人が三、四人掛かりで囲むほど太い木の幹に、ぽっかり口を開けた穴は、さいわい周りの地面よりも少し高いらしく、床面は平らかで水はけは良さそうだ。

 両腕に抱えていたレミを痛みで苦しまない様、気を付けながら先ず下ろし、その隣りへ膝で潜り込んで腰掛けた。

 背負っていた大荷物は、入り口に立て掛ける目の前に置き、いつでも中身が取り出せる状態にしておく。


「せ、せ、せんぱい……」

「うん?」

 レミが暗がりの空間を見上げ、不安気に言う。

「せ、せまい、で、ですね……」

「そ、そう、だな……」


 湿地の中ノ島になった場所に太く根を張る大木のうろだが、中は思っていたよりも狭く、二人は身体を寄せ合う恰好になる。シトシト降り続く雨を避け、体力を温存して置く為には致し方ない。

 負傷しているレミは足を曲げられ無いので、俺の肩にもたれる様、細いカラダを預けてもらった。

 柔らかく華奢な背中が、時折足の痛みの所為だろうか、ぴくんと動く。

「痛むか?」

「え、ええ、少し……それより……」

 レミが言い淀む。

「あ、あ、あ、あせ……汗、臭くないですか?」

「あ、ああ……まあ、気にするな」


 正直、湿度の高い条件の中、狭い空間に閉じ込められた俺のカラダにも、さっきから汗が滲んできている事が伺える。

 肩に柔らかく押し付けられるレミの体温も、ひどく火照っている様に感じた。

 呼吸する度、洞の内部に生える湿った苔の匂いと、二人の体臭が混ざり合い、漂う。


「あ、汗がヒドイんですけど……な、なんか、せ、背中が寒くって……」

「おい、熱が出て来てるんじゃ無いのか?」

「そ、そうかも、知れません……」

 レミが小刻みに震えているのが分かった。

「さ、寒いです」

 沼地に転んで服も体も、泥水でずぶ濡れな筈だ。

 痛めた足首の手当もしなければいけない。

 外傷が有るなら消毒が必要だろう。ケガの所為で熱を出したのか?


「濡れた服は脱いで、毛布にくるまった方がイイだろう……俺が身体を拭いてやろうか?」

「だ、だ、だ、ダメでっ!!」

 レミが、あわてた口調を噛む。

「でも……」

「い、イヤです! じ、自分で何とかしま!!」

 普段から大人しく、小声で喋るレミの剣幕に圧倒された。

「そ、そうか」

 レミは抱えていた背嚢を寄せ、紐を解き始めてごそごそと漁る。

「治療薬は有りそうか? 早めに処置をした方がイイ」

「はい。クスリは何とか……お水、余分に持ってますか?」

「ああ、持ってるよ」


 さいわい新鮮な水はストックが何本か有る。

 目の前の大荷物から水筒を引っ張り出しレミへ渡す。ついでに非常灯も取り出し点けて置いた。


「濡らしてやろうか? 怪我したところは拭いた方がイイだろう?」

「あ、有難うございます。自分で出来そうです」

「そうか」


「あ、あの、せんぱい……その」

「うん?」

「む、む、む、向こうを向いてくれませんか……その……恥ずかしいので……」

 泥だらけの顔を真っ赤に染めて、涙声でうつむく。

「あ、おお、そ、そうか……」

 俺は慌てて態勢を変え、そっぽを向いた。

「こ、こ、これで、いいのか?」

「は、はい……スミマセン」


 非常灯の影が揺れる洞の中に、ゴソゴソと服を脱ぐ気配が感じられる。

「んっ! うんしょっ!」

 ぬれた服に苦労しているらしく何度も汗ばんだ肌が当たってきて、その都度レミの熱っぽい体温が強く背中越しに伝わってきた。

「うん! んんっ! ……あっ!」

「どっ、どうした!?」

「見ないでっ!」

「す、すまんっ! ど、どうした?」

「し、下着まで一緒に脱げちゃって……わ、パンツまでビショビショ!」

「そ、そうか」



「ケガの具合はどうだ?」

「は、はい。外傷は無いみたいです。腫れてますが骨はダイジョブそう……おそらく捻挫でしょう」

「そうか」

 治癒職の姉に付き従い、助手を務めるレミの見立てだ。間違いは無いだろう。

 俺はホッと胸をなでおろす。

「大したこと無くて良かったな」

「あ、有難うございます」



 全身を拭き終え毛布を纏ったレミが、元の姿勢に戻ってイイと許してくれたので、俺はやっと楽な態勢になることが出来た。

「せ、先輩? ま、また寄りかかっても好いですか?」

「ああ、構わない」

「す、すみません」


 再びレミの身体が、俺の肩に乗る。

 全身を包む毛布の端から白い素足が伸ばされて、幾重にも巻かれた包帯が、痛々しい。


「痛みは、どうだ?」

「湿布をして、痛み止めのクスリを飲みました。しばらくすれば良くなると思います」

「そうか」

「お姉ちゃんの様に、治癒魔法が使えれば良かったんですけど」

「しょうがないさ、クスリを持っていたダケ、めっけもんだろ?」

「そうですね」



「ああ、と云えば、たしか便利なモノを持たされてたっけ」

 俺は荷物のポケットから、小さな砂時計を取り出した。

「? なんです、それ」


「お前の姉さんの発明品さ。『救難信号発信機』だそうだ」

「救難信号?」


 レミの姉『ラミ』は、俺たちの冒険者パーティー『曙を伝える者』の花形『ヒーラー』だ。

 治癒の魔法使いとしては、もちろん一流。魔法道具の作成にも才能が有って、数々の便利な発明品を作り出し、冒険の役に立てている。

 この砂時計も彼女の作品。

 砂の中に細かく砕いた『陽極』の魔石を混ぜ、その砂がガラスのくびれに巻かれた『陰極』魔金属の帯を通過する度、微小な魔法電波を半径1km程までランダムに飛ばし続ける。

 砂が流れ落ちたら、ひっくり返せば同じ動作を繰り返すのだ。

 今回の冒険に先立ち数名の『ポーター』に、救護要請用に配られていた。


 俺はさっそく砂時計をセットした。

「俺たち魔法を使えない者は救難信号なんて出せないからな。これで救助隊が、この近くにいれば魔法電波をキャッチして、この場所へ助けに来てくれる筈だ」

「……そう、ですか」

「お前の姉さんは天才だよな。ホント憧れるよ」

「……ですね……」



 俺の隣りで砂時計を見つめていたレミが、ぐらりと肩に寄りかかってきた。

「ど、どうした? レミ」

「……す、少し……具合が……」


 そのままズルズルと俺の膝まで倒れ込む。身体を包む毛布が乱れ、白い肩が目の前に眩しく露わになる。

「スミマセン、また、熱っぽく……」

 顔色を見ると、ひたいに汗がぷつぷつと浮かび苦しそうだ。

 ズレた毛布を掛け直し水筒の水にタオルを絞ると、俺は膝を、レミの身体を包み込む位置へ移した。

 後ろから身体へ手を回し、赤ん坊を抱く要領で、頭を肩で支える。

 荒い息遣いの火照った顔を丁寧に清め続けた。


「だ、大丈夫か?」

「少し、このままでいて……」

「ああ。構わない」

「ありがとう……せんぱい……」

 力無く言ったレミは、胸に額を押し付ける。

 伏せるまつげが俺の視界で、苦痛にキュッとゆがんでいた。



「――おみず……」

「レミ?」

「お水が……飲みたいです」

「ああ、水か」

 水筒を取り口を開けると、レミの口元へ運んでやる。

「どうだ? 飲めそうか?」

「あの、ちょっと……首が」

 痛み止めのクスリの所為で、首に力が入らないらしい。

「す、すみません……」

 小さく呟くレミの唇は、がさりと荒れて水気を失っていた。

「……少し……我慢しろよ」

 俺は水筒から口へ含むと、レミの小ぶりな唇へ水を流しいれた。

「んん……ん……」

 三回ほど続けてやると、レミが毛布から手を出し俺の胸へ当て、フリフリとゆるく頭を振る。

「ありがとう……せんぱい」

「もう、イイか?」

「……はい」

 伏せた視線のままの頭が胸を押す。


「……キッス……しちゃった」

「ば、バカ!」

「えへへ……」

 力無く笑うレミの体が、胸を締め付けた。



「――せんぱい?」

「うん?」

「……て……」

「て?」

 俺の胸にしがみ付く手を、そうっと持ち上げる。

「……先輩の手……当ててもらえます?」

 俺は軽く震えるレミの小さな手のひらへ、自分の手を押し当てる。

「こうか?」

「おっきい……さすがポーターですね」

「これぐらい、普通だろ?」

 フルフルと、頭を揺らす。

「いえ……尊敬します」

 そう言って濡れた瞳で見上げてきた。

「手を、握っていて貰えませんか?」

「……ああ」

 レミの柔らかな手を包み込むと、長いまつげが満足そうに閉じられ、小さな頭がこくんと胸に乗せられる。

「……あたたかい」

 レミの耳が鼓動を拾った様だ。

「この音、好きです……せんぱい」


 そのままスウスウと、安らかに寝息を立て始めた。


 毛布の襟元が僅かに開き、細いうなじと白い背中から、レミの甘い汗の匂いが昇って、しとしと降り続く雨音を耳に際立たせる。


 レミの体温に耳を澄ませ、砂時計を返し続けて朝を迎えた。



 〇 〇 〇



「――おうっ、無事だったか、この野郎! 荷物も無くしてないな!」

 ポーターの先輩が、すっかり晴れ上がった午後の日差しに、大木の洞を覗き込む。

「せっかくの戦利品をダメにしてやがってたら、オヤジにどやされる所だったぞ、てめえ!」

 そう言いながら俺の大荷物を、ズリズリと外へ引きずり出す。

「コイツは俺が運んでやるよ! お前は『ラミの姉御』に、コッテリと絞られてから来な!」


 先輩と入れ替わる様にヒーラーのラミが、その美しい姿を覗かせた。


「――ケガをしたレミを助けてくれたのね? 礼を言うわ」

「あ! い、いえ……そんな」

 眩しそうにゆっくりと体を起こすレミに言う。

「レミ! はやく出てらっしゃい! 治療をするわよ」

「……お姉ちゃん……」

「お、俺が外へ運びます!」


 俺は狭い洞の出口からにじり出て、入った時と同じようにレミの華奢な体を両手で抱え上げた。

 洞の外は日差しにあふれて、大木の梢に小鳥が遊んでいる。

 俺の首へ手を回すレミを、姉の足元の草地へそうっと座らせた。

 ラミはしゃがみ込むと、レミの細い足首に巻かれた包帯を見て、顔をしかめた。

「沼地で足をケガするなんて! 冒険者として恥ずかしいでしょ?」

「ご、ゴメンなさい……お姉ちゃん」

 小言を言いながらも、包帯の上から治療魔法を施す。

「アナタはもっと鍛えなさいね!」

「……はい」



「あ、あの、ラミさん!」

「なに?」

 俺の言葉にラミが振り向く。

「救難信号発信機、有難うございました! おかげで助かりました!」

「ああ、そうね。アナタ一晩中、信号を出し続けていたわね」

「はい……え?」

「好いデーターを取る事が出来たわ。ご苦労様。アレは商品化、決定ね」

「し、信号に気付いて居たんですか?」

「当然よ? 昨夜の野営地は、すぐ先の高台ですもの」

「な、なんで迎えに……」

「やだ、雨の夜に沼地に入るなんて、する筈ないでしょ?」


「……そうですね……」


「アナタ、レミの事を、背負って帰ってね?」

「ち、ちょっと、お姉ちゃんっ!」

「まさか私に、を、おぶって行けなんて言わないわよね?」

 レミの悲しい瞳が俺を見据える。


(へぇ、彼の瞳の方が透きとおってる……)


「……はい……」


 レミの前でくるりと背を見せ腰を落とすと、彼は治療の終わった足でよろよろ立ち上がり、俺の背中へトスンと倒れ込むように、おぶさった。


 再び俺の首に、レミの細い腕がまわされる。


「――さ、行くわよ」

「……はい……」


 護衛の戦士を引きつれるラミの後を、毛布に包まったまま背負われるレミの体温を感じながら続いた。


 レミの腕が絡み付く様に、俺の肩まで伸ばされる。

 軽く爪に力が入り、耳元に顔を近付けてきた。


「……せんぱい?」

「……うん?」




「……いくじなし……」


 ――ずぶり。


 彼を背負った湿地の足が、音を立てて沈み込んだ。




 ―――――― 了。

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