『月夜屋』~リュンヌの雑貨店~
天城らん
『月夜屋』~リュンヌの雑貨店~
ここ「月夜屋」の主は若い女性だ。
店主と言っても、月夜屋は小さな小さな雑貨屋で、一人で切り盛りするには十分だった。
生活に使う雑貨から、まじないに使う貴重な薬草まで扱っている。
人間世界と妖精森の
雑貨屋ではあったが、妖精の森に迷い込む人間をもとの世界へ導くのも彼女の仕事の一つだ。
もっとも、めったにそんな迷い人は訪れないのだが……。
おや、今日はそうでもないようだ。
*
♪カランコロン
見知らぬ客が、閉店間近の月夜屋の扉を開けた。
「ごめんください……」
躊躇いがちに入ってきたのは、黒髪の青年だった。
どうやら吟遊詩人のようだ。
背にリュートを背負っている。
「いらっしゃいませ」
明るい茶色の巻き髪にヘッドドレスが似合う店主は、笑顔で彼を迎え入れた。
歳の頃は17.8歳に見える。
黄金の瞳が印象的な、かわいらしい娘だ。
吟遊詩人の青年はあまりにも若い店主に驚き、髪を掻きながら尋ねた。
「あの~。霧で何も見えなくて……。
ここはどこですか?」
「まあ、人間のお客様だと思ったら、迷い人?」
女店主は、久しぶりの珍しい客に目を細め笑った。
すると、吟遊詩人も照れくさそうに答えた。
「すみません……月明かりを頼りに森を歩いていたのですが、突然の夜霧で北も南も分からなくなってしまって。そんな時にこちらの扉が目に入り、助かりました」
「それはお困りですね。霧が晴れるまでどうぞ、この店でおくつろぎください」
「いえ、私は旅の者。お客様でないのでお気遣いは結構ですよ」
「あら、何も買っては下さらないの?」
女店主の思いもよらぬ言葉に吟遊詩人は目を大きくした。
「えっ!? 決してそんなつもりでは……」
「旅の常備薬でもいかがかしら?」
小首をかしげ、花の香りのする笑みを向けられて断れる客などいるのだろうか?
吟遊詩人は、一本とられたと苦笑したが、そのおかげで少し気が楽になった。
閉店間近に面倒をかけたことに気が引けていたが、小さなものでも買い求めればお客だと女店主は促してくれたのだろう。
お客としてならこの女店主とゆっくり話をして、霧が晴れるのを待っても迷惑にはならないかもしれない。
「商売上手な人だ」
吟遊詩人は、やっと椅子に腰を落ち着ける決心ができた。
ひとえに、この若くかわいらしい女店主の心遣いのおかげだ。
「ゆっくりお茶でも飲んでくださいな。お客様」
そう言うと、女店主は手際よくハーブティーを入れてくれた。
「ふう……暖まる」
吟遊詩人は差し出されたお茶を一口飲むと緊張の糸が解けた。
さわやかな香りのするお茶だった。
この時期の夜霧はさして冷たくはなかったが、右も左も分からない状態で森をさまよえば心の方が凍てつくもの……女店主の心遣いはそれを溶かすには十分だった。
*
「長く旅をなさっているのですか?」
興味深そうに、女店主が尋ねる。
すると、吟遊詩人は背中に背負っているリュートをポンとたたいて笑顔で答えた。
「ええ、風の向くまま気の向くまま、吟遊詩人ですからね。新しい歌が聞ける場所、私の歌が歌える場所、私の歌が求められる場所ならどこへでも」
それが、誇らしく楽しいことだと吟遊詩人の目が輝いていた。
「素敵。黒髪の吟遊詩人様。よろしかったら、一曲歌ってくださりませんか?」
吟遊詩人は大抵、神鳥ディーアか音楽神パルティシオンにあやかり、金か銀に髪を染めるものだ。
彼も以前は染めていたのだが、新しい歌を探すことや作曲に夢中で髪を染める時間さえ惜しく髪はほったらかしだったのだ。
もっとも、黒髪でも歌の上手さには変わりはない。
(このところ、仕事がないと思ったら、黒髪にしていたせいか……)
黒髪の吟遊詩人と蔑むこともなく丁寧に歌を願い出てくれた彼女の態度に、吟遊詩人は気をよくした。
「喜んで歌いましょう! 今日、聞いてきたお話を歌にしてみたのですが聞いていただけますか?」
「もちろんですわ!」
吟遊詩人の青年は、背からよく手入れされた輝くリュートを降ろすと、夜霧で緩んだ弦を念入りに調律する。
そして、軽く爪弾いて音を確認すると、納得がいったのか一つ頷き弾き語りはじめた。
高くなく低くない、心地よく胸に響く静かな青年の声。
紡がれるのは、少し悲しい恋の歌だった。
『短き炎の人の子と
永き
月を頂く岩崖から
虚空へ向かい踏み出だす。
互いに手をとり
夜を舞う、
悲しみの
互いに無きもの憧れて、
惹かれて、
恋して、
夜空に増えし、
二つ星。
夜空に増えし、
二つ星。』
余韻を残しながら、弦の音が静かに森の霧に消えてゆく。
パチパチパチ!
女店主は、吟遊詩人の素晴らしい歌声と演奏に惜しみなく拍手をした。
「この辺りに伝わる人間と
「いいえ、素敵でした。あの話しをここまで素晴らしい歌にするなんて!」
「ありがとう」
吟遊詩人も自分の演奏に満足した。
すると、女店主から意外な申し出があった
「お礼といってはなんですが、その物語の続きをお教えしましょう」
「えっ!? 続きがあるのですか? 村人たちはそんなことは言っていませんでしたよ……」
「ええ、妖精もきっと言わないでしょうね」
「ん?」
「私だけが知っている。物語の続きをあなたにお話しましょう」
女店主は、夜霧の向こうを見つめ静かに微笑むと、眠りにつく子供にでも聞かせるような優しい口調で語りだした。
*
崖から踏み出だそうとしていた人間の男と
そんな二人を見ていた月の女神が、声を掛けました。
『二人ともお待ちなさい。あなたがたが亡くなれば、新しい命も失われますよ?
それでもよいのですか?』
『新しい命?』
『わたくしの夜空にこれ以上星を増やさないでください。
三つもいっぺんに星が増えては困ります』
そうです。
生まれてくるのは、
妖精界にも人間界にも属さない子供。
妖精界にも人間界にも属す子供。
二人は、その子が幸せになれるのか心配しました。
しかし、月の女神は言いました。
『あなた方が幸せにしてあげればいいではありませんか?
そして、あなた方が幸せにしてもらえばいいではありませんか?』
二人は決心しました。
生まれてくる子供と三人で生きよう!
妖精界に疎まれようと、人間界に蔑まれようと、自分たちで幸せになればいいではないか?
誰でも、平等に幸せになる権利はあるし、
その努力をしてもいいはず。
安易に逃げた自分たちを恥じ、月の女神に生きていく決意を告げました。
『そう、わたくしの気まぐれもたまには役に立つこともあるのですね』
月の女神は微笑みながら去っていきました。
二人は夫婦になり、妖精界と人間界の間の森に移り住みました。
少しずつではありますが、二人の仲を認めてくれる人々も現われわした。
やがて、女の子が生まれました。
月の女神に救われた娘。
名前は『リュンヌ』
『月夜』の名をもつ、ハーフエルフの女の子。
三人は幸せになりました。
*
「へえ、悲恋物語ではなかったんだね」
宝物でももらったように、吟遊詩人の心は温かくなった。
悲恋よりも、みんなが幸せになった話の方が吟遊詩人は数倍好きだった。
「ええ、でもたいていの吟遊詩人さんは悲恋の方が歌いがいがあると喜ぶみたいです。おかげで、この辺じゃ悲恋の方だけが有名なのよ」
腕に自信のない吟遊詩人ほど、悲しい恋の話で人々を泣かせたがるものだと彼は思った。
「そして、ここも妖精界と人間界の間に建つお店だから名前を『月夜屋』」
「げっ、ここ『迷いの森』の深いところなの? そんなところまで来ていたんだ……」
吟遊詩人は、ぞっとし青くなった。
『迷いの森』といえば、踏み入ったものは帰ってこないともいわれ、別名『帰らずの森』などと呼ばれる。
不安になる吟遊詩人をよそに、女店主は明るく告げる。
「こんな夜霧の日は、時々お客さまのような方がいらっしゃいます。ここに来たお客様はご心配しなくてもちゃんと帰れますよ」
その言葉に安心して、彼は思い浮かんだ興味のあることを聞いた。
「ここが、妖精の森と人間界の間だというなら、君は妖精を見たことがある?」
「ええ、お客さまですから会いますよ。不思議なところかもしれませんが、怖いところではないのですよ」
女店主は明るく笑った。
「驚いたな~」
吟遊詩人は、天を仰ぐしかなかった。
伝説だと思っていた、妖精がいる森に自分がいると思うと、うれしいのを通り越して驚いて言葉にならなかったのだ。
「話が長くなってしまいましたね。そろそろ霧が晴れますわ」
その言葉どおり、だいぶ霧が晴れて、優しい月明かりが窓から差し込んできた。
森の木々は暖かに照らし出され、露がついた葉たちはキラキラと輝いている。
「今の話しで曲が浮かんだのだけど弾いてもいいかな?」
女店主は目を細め頷いた。
それを見て吟遊詩人はリュートを爪弾き歌いだした。
ひと時、暖かい場所をくれたことと素敵な話を聞かせてくれたお礼に感謝の気持ちをこめて歌う。
『互いに無きもの憧れて、
惹かれて、
恋して
海と空とは
その
そして、大地を生み出だす。
昼と夜とが異なるものか
その
そして、星々生み出だす。
熱く燃ゆ。
星は煌めく。』
「素敵な歌。そうやって
「そうだね。そうすれば、こうやって迷いの森で迷うこともないのになぁ~」
天を仰ぎおどけた様子の吟遊詩人を見て、女店主はくすくす笑った。
*
「ああ、霧が晴れた邪魔したね。そうだ、髪の染め粉もらえる? 作曲だけじゃなくてそろそろ舞台で歌いたいから髪を染めないと」
何か買わなければと思いついたのは、一番自分に必要なものだった。
これも、女店主がさっき気づかせてくれたおかげだ。
「はい、お客様かしこまりましたわ。お代は素敵な曲を聞かせてもらったので、おまけして40ジールで結構ですよ」
「随分安くしてくれたんじゃ? こっちの方が世話になったのに悪いね」
旅の途中で路銀も心もとない吟遊詩人は、大いに助かった。
「いいえ、またのお越しをお待ちしておりますわ」
にっこりと笑う女店主。
その月明かりの様な、やわらなか笑みを見て吟遊詩人はこの不思議な店のこともいずれ歌にしたいと思った。
「そうだ、君の名前を教えてよ。いつか歌にするからさ」
「まあ!」
「不思議な雑貨屋女主人ってね」
「いいですわね。それじゃ特別にお教えしましょう。店から十五歩ほど歩いてから振り返ってくださいな。看板の下に私の名前が書いてありますから」
「そうか、じゃ楽しみだな」
吟遊詩人は店を出て、静かな森へ歩みを進めました。
そして、十五歩の場所で足を止め振り返ると、
店の軒下でこちらに手を振る女店主の姿が見えました。
「看板はっと……」
―――『月夜屋』~リュンヌの雑貨店~―――
リュンヌ……!?
じゃ、あの子がハーフエルフの娘なんだ!
これは絶対に歌にしないと!
吟遊詩人は、リュンヌに大きく手を振りました。
「いつかまた来るよ!」
そして、黒髪の吟遊詩人は、霧の晴れた森を足取り軽く歩いて行きました。
白い月が見守る、この小道を……。
☆ お わ り ☆
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