君の声が聞こえる 

ろくろわ

感情代行屋ー【紡ぐ糸屋】


 四畳半程の小さな部屋。

 その小さな部屋の中で黒い喪服に身を包んだ有亜ありあ 阿莉須ありすは、目の前の棺に納められているご遺体となった彼女の手を握ると目を閉じた。そして傷んだその身体に遺された感情をなぞり、読んでいく。

 ピンとした空気が張りつめていき、そこだけ時間が止まってしまったかの様に周りの音も消えていく。

 そんな様子を彼女の母、伊藤いとう 代美子よみこと姉の伊藤いとう 向日葵ひまりはそれぞれ見ていた。本来の年齢より少し老いて見えるのはやつれている所為せいだろうか。代美子は両手を胸で組み小さな身体を丸め、より一層小さくなり震えている。

 対称的に向日葵ひまりはシワ一つ無い高校の制服を身につけ、背筋を伸ばし阿莉須ありすの仕草を逃さないように真っ直ぐに睨み付けていた。


 阿莉須ありすに向けられる懐疑的な視線は初めてではない。


『強い想いを感じ取り、それを残された家族や望む人に伝えます』

 感情代行屋【つむ糸屋いとや】の有亜ありあ 阿莉須ありすは他者の感情や気持ちを深く読み取ってしまうことが出来た。


「故人が、或いは伝えるすべを失った人の気持ちを伝えれます」と言われても占いやカウンセリングの一種と思われる事が多い。事実、阿莉須ありすのそれも故人の感情や気持ちを救い上げ阿莉須ありすの言葉として伝えるのだから本当に故人の想いかと疑われても仕方がなかった。

 しかし、それでも【つむ糸屋いとや】への相談は意外にも多かった。

 平均寿命が伸びた事により、人の一日にかける想いが軽くなっている今日。今日がダメでも明日があると。でも、その明日が必ず来るとは限らない事を人は来なくなって初めて知る。

 そうして、その時にやっと声や気持ちを知りたいと後悔するのだ。



 阿莉須ありすが彼女の手を握ってから長く思えた時間も、一瞬だったのだろうか。阿莉須ありすの頬に涙が伝うのが見えた時、音が戻り二人の耳に阿莉須ありすの感情の薄い透き通る声が聞こえてきた。


「私が今から話す事は日向ひなた様の感情や気持ちを読み取った上の、私の言葉になります。決して日向ひなた様が一字一句お話されている訳では無い事だけご理解下さい」


 代美子よみこ向日葵ひまりも此方を見据える阿莉須ありすの瞳を見つめる。


伊藤いとう様。娘様である伊藤いとう 日向ひなた様の最期の気持ちや感情は、感謝と安心感が多くを占めておりました。少し怖いと思う気持ちも感じましたが、穏やかなものでした」


 阿莉須ありすの言葉一つ一つを聞き、代美子よみこの目から涙が流れ落ち、口元をキュッと結びながら頷いている。

 向日葵ひまりもまた、口元をキュッと結び身体を震わしながら阿莉須ありすを見ていた。


「きっと日向ひなた様には、お辛いこともあったでしょう。それでも一番に残る感情は温かいものでした。どうか、最期の時まで御一緒にお過ごしください」


 代美子よみこ阿莉須ありすの言葉を聞くと静かに頷き、棺の中の日向ひなたの頬を撫でながら肩を震わせていた。


「それでは、私はここで」


 阿莉須ありすは深く頭を下げると部屋を出ていく為、出入口近くに立っている向日葵ひまりの横を通り抜けていく。

 その時、向日葵ひまり阿莉須ありすの耳元で小さく呟いた。


「うそつき」


 阿莉須ありすは特に驚いた表情もせず、準備していた『喫茶-兎の時計屋で待ってます』と書いたメモを向日葵ひまりへと渡した。


 阿莉須ありす向日葵ひまりからこう言われる事を知っていた。

 口元をキュッと結び身体を震わしながら阿莉須ありすを見ていた向日葵ひまりの感情。怒りの感情が阿莉須ありすの中に入ってきたのを感じていたから。

 そして【紡ぐ《つむ》糸屋いとや】への本当の依頼人が向日葵ひまりであったから。


 メモを渡し終えた阿莉須ありすは、そのまま部屋を後にすると待合せに指定した近くの喫茶店-兎の時計屋で向日葵ひまりが来るのを待っていた。


 ここまでで、依頼の半分は終わった事になる。

 ・故人の想いを代美子ははに伝える。

 ・最期の感情が感情であれ良い事を伝える。


 残る依頼の確認をしようと阿莉須ありすがスマートフォンを開いた時、制服姿の向日葵ひまりが喫茶店の入口に立つ姿が見えた。

 此方です。と阿莉須ありすは手を上げてみるが向日葵ひまりには見えなかったらしく、結局入口まで迎えに行く事になった。阿莉須ありす向日葵ひまりが無事に合流出来た所で、二人は向かい合わせに座ると今回の依頼について改めて報告と確認を行うことにした。


「まずは、日向ひなたの気持ちを母に伝えてくれて有り難う。だけど、私は貴方の事を少しも信用していないの。貴方が読み取ったて言う気持ちは日向ひなたの気持ち何かじゃない。日向ひなたの最期が感謝や温かい気持ちなわけがないもの」


 阿莉須ありすは、先に頼んでいた珈琲を飲みながら向日葵ひまりの言葉を聞く。


「それでも、気持ちを読み取れると言う貴方を頼るしかなかったの。ねぇ、日向ひなたの最期の気持ち。本当は何だったのか教えて」


 向日葵ひまりが真っ直ぐに阿莉須ありすを見つめる。その目を阿莉須ありすの深い鏡の様な瞳で静かに見つめ返す。


日向ひなた様の最期の感情は強い憎しみと怒りです。そして悔しさや惨めさ、悲しさ等で占められていました。それは殺意にさえ近いものもありました。きっと余程、辛い思いをされたのでしょう。合わせて身体中に痛みを感じました。憎しみの度合いは違いますがその気持ちは三人?に向けられているようでした」


 阿莉須ありすの言葉に向日葵ひまりは思っていたよりも具体的な内容だった事に目を丸くしながら聞いていた。


「やっぱりそうでしたか。貴方の事はまだ信用していません。でも、今のように言われた方が日向ひなたの気持ちに合っているように思います」


 向日葵ひまりの言葉を聞き「そうですか」と答え頷いた。感情の薄い阿莉須ありすの表情はどこか作り物のようにも見えた。


「それで、この後は如何されますか?」


 阿莉須ありす向日葵ひまりに向け言葉を紡ぐ。向日葵ひまりは少し言い淀んだが、一言だけ自分の願いを阿莉須ありすに伝えた。


日向ひなたを…苛めていた三人の幼馴染み達に日向ひなたの気持ちを伝えてほしい。そして、三人に後悔して欲しい」


 阿莉須ありす向日葵ひまりの願いを聞くと「承知致しました」とだけ答えた。

 阿莉須ありすには向日葵ひまりの悲しさと悔しさ、虚しさと言った気持ちが流れ込んでいた。既にやり場の無い向日葵ひまりの想いは自分の物となり、阿莉須ありすまた向日葵ひまりのそれと同じ表情になっていた。

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君の声が聞こえる  ろくろわ @sakiyomiroku

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