今際、もう動かぬ古時計

椎尾光弥

第1話

 チク タク チク タク


 時を刻んで、早、九十と九年。十一月と三十日。それと、二十と三時間五十分十八秒。


 明日は彼の誕生日。


 私は、彼が生まれたその日から、休まず、時を刻んでいる。


 チク タク チク タク


 だが、私も彼ももう年だ。


 "私は今や オンボロ呼ばわり

 テンプは回れど 針とまる"


 得意の都都逸もこの有様だ。

 振り子も、じきとまる。床に伏せ、鎖の如き細い管繋がれた彼は、もういく日と私を気にかけずにいる。


 だが、それで良い。時計とは、そも、そういう物なのだ。たまに、ひょいと時間を見るためだけの物。


 それに、私は振り子時計だ。今は、もっと正確な時計がある。親友の懐中時計も、引き出しの奥に忘れられて久しい。


 チク……タク……チッ———


 ……遂に止まったか。これで時間はもう分からぬ。私の役目は今終わる。


「がふっ……がっがぁう! ごほっ! ぐぉほ!」


 さて休もうかと思ったその時、彼が空気を吐き出した。


 月明かりに照らされた、赤い霧が見えた。


「どうしたのお爺ちゃん……お爺ちゃん!? ママ! お爺ちゃんが!」


 おや、彼の孫娘だ。手に持った熊の人形を落として行った。


 ……そんな目で見ないでくれ、熊人形よ。


「月光照らす蛾 漂うセキ雲 

いまは動かぬ 古時計」


 スラリ、熊人形が口ずさむ。蛾、セキ、いまは、二十七字(ヨハネの黙示録)……随分と詰め込んだものだ。


「あの声聞かず 苦渋と苦年 

いまは動けよ 古時計」


 また、熊人形は口ずさむ。


 が、それまでだった。ドヤドヤと部屋に雪崩れ込んでくる彼の家族に、蹴り飛ばされてしまったからだ。


 ———動けと、そう言うのか。


 針も止まり、テンプも回らず、振り子も振れぬこのオンボロに。


 生意気な若造め。若かりし日の彼を思い出す。彼の妻は先立った。なるべく遅く来いと言って。


 私に隠された彼のヘソクリを、終ぞ見つけられずに逝ってしまった。


「振り子の裏でしょう?」


 不意に、隣から声がした。誰かと思えど、私は見ることができない。


 が、聞き覚えがある声だ。


「知っていましたよ。あの人が臨時収入を得ると、決まって、振り子がおかしくなるんですもの」


 隣に立つ……いや、浮いている柱はそう言って微笑む。懐かしい。彼の妻ではないか。


「さあ、あと十と三秒。貴方も、盛大に送り出して下さいな」


 彼が繋がれた鎖の先から、電子音が聞こえて来る。何の感情も無い、ただひたすらに冷たい音。


 ピッ……ピッ……ピッ……



 テンプの音は 聞こえているか いまは鳴らせよ その鐘を



 ピッ……ピッ……ピッ……


 隣の彼女が歌歌う。


 彼の家族の嗚咽が聞こえる。


 ピッ……ピチッ……


 テンプが回る。風に揺られて振り子が動く。


 チック……タック……


 回せ廻せよ テンプを回せ いまは鳴らせよ あの鐘を


 チク タク




 ピ———




 冷たい電子音が、部屋中へと響き渡る。


 やめろ



 やめてくれ



 彼の船出に その音は



 私の鐘を鳴らさねば



 ボォンボォンと鳴らさねば



 今際動けよ古時計



 今際鳴らせよ終わりの鐘を



 いやさ船出だ出航だ




 ———ボォン……ボォン……



 ピィという音 打ち消して 

 いまは時計の 鐘が鳴る。


 ボォン ボォン ボォン


 彼の搏動 止めるものかと

 鳴らせ鳴らせよ その鐘を


 ボォン ボォン ボォン ボォン


 私には、彼が見えている。


 彼の妻に手を添えられて、床から鎖を引きちぎり、こちらへ手を振る———



 我が主の姿が



 鳴らせ鳴らせよいつまでも。


 ボォンボォンボォンボォン







 今際、動かぬ古時計


 月が綺麗だ星月夜


 ゆらりゆらゆら振り子は揺れて


 チクタクテンプはぐるぐるり


 彼と一緒にチクタクチクタク


 さあさ船出だ産声あげろ


 "あ"の音鳴らせよ古時計






———おんぎゃあ、おんぎゃあ!


「おめでとうございます、男の子ですよ〜」


 チク タク チク タク

 


 


 


 

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今際、もう動かぬ古時計 椎尾光弥 @Siloillost

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