雨空バス

小桃 もこ

雨空バス



 むかつく


 見るだけでキュンとするあの顔が

 鼻にかかったような低い声が

 鬱陶しそうな喋り方が

 だるそうな歩き方が

 くしゃっとなる笑い方が


 心底むかつく


 ざあざあ降る雨

 窓をつたう雫 暗い

 にび色



  ⋆̩*̣̩☂︎*̣̩⋆̩



 いつものバスに、雨の日にだけそいつは乗ってくる。


 派手な髪色は中学の頃から。タバコも、お酒も、サボりも。それから浮気性も。


 ──髪黒いほうがかっこいいよ?

 ──授業出たらいいのに。

 ──体にわるいことしないで?


 付き合った当時いろいろ言ったけど、なにひとつ変わんなかった。そう、私の言うことなんかこいつは一個も聞かない。


 どさ、と座席がゆれて、雨の空気と、なつかしいこの香り。


「……なんで隣に座るわけ?」

「なんとなく」


 会話を続ける気もなくて濡れた窓に視線を向けた。


 進み始めたバスにぶつかる雫が、擦れて線になる。横に、斜めに、いくつも。いくつも。


 むかつく


 左の薬指にほんのちょっとだけ当たる、冷えた相手の指。その感覚がむかつく。


 無意識なの?

 なんで左の薬指なの?


 なんで隣に座ってくんの?

 なんで浮気したの?

 なんで私だったの?


 隣で大あくびが聞こえた。のん気だよね。人の気も知らないで。


 ふいに、ふわ、と耳元にかたい髪が当たる感覚。左の肩にのる重み。


「ちょっと」

「なに。ねむい」


「は? やめてよ、彼女でもないのに」

「ねむい、静かに」


 もう、なんでそんな自由なの?

 無防備なの?


 むかつく

 通った鼻筋が


 むかつく

 長いまつ毛が


 むかつく

 キス上手な、この唇が


「……なに」

「う……なんでもないっ」



 ざあざあ降る雨

 窓をつたう雫 少しだけ白んで

 すず色



「着いたら起こして」

「は? いやです。っていうか肩もかさないからね?」


 ふん、と身体ごと窓のほうを向くと、見たくもない自分の顔が写っていて嫌になる。


【ぜんぜんかわいくない】

【性格もそんなに良くない】

【そもそも釣り合ってなかった】

【浮気されて当然じゃん?】


 窓の中の不機嫌そうな自分ひとが言ってくる。うるさいな。もう、わかってるってば!


「また付き合いたい?」


「……は?」


 エンジン音にかき消されそうなくらい、低く掠れた声だった。


 たぶん一度しか言わないんだよ。

 このズルい男は。


「……どうせまた浮気するんでしょ」


 なるべく、冷静に。だって私は、もう傷つきたくない。泣かされたくない。これ以上、自分を嫌いになりたくない。


 中二、初めての彼氏だった。つまり私の初めてをたくさんあげた、その相手。


 三年経った今、思えば幼かった。青かった。


 こんなサイテーな男に私の大切なものを捧げてしまったなんて。


「はー、浮気ねえ……」

「許したと思ってるの?」

「ははん」

「戻れるわけないよね?」

「んんー、好きでも?」


 ああ、もう。


 ざあざあ降る雨

 が

 少しずつ弱くなって


 やがて射す光は

 窓に付いた雫を透かす

 キラキラ


 ぎん色


 目にまぶしくて嫌

 隣の人を視界から外せられなくなって、嫌



「あー、やむんなら待っとけば良かったな」


 むかつく


 この顔が

 この声が

 喋り方が

 歩き方が

 笑い方が


 大好きで

 むかつく


 どうやっても大好きで、バカすぎる自分が心の底から、むかつく。


「彼女ほしいならほかあたれば? いくらでもいるんでしょ」


「はあ。ならそうするか」


 むうん。あっさり引きすぎ! もう、余裕ぶっちゃってさあ!


 むかつく

 むかつく


 むかつく……っ!


「ねえ」

「はん?」


「……」

「なに」


「肩」

「は?」


「肩……つかえば」






(おわり)

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雨空バス 小桃 もこ @mococo19n

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