第2話 翌日
部屋へ入ると同時にドアにもたれ掛かる。次第に自然と身体の力が抜けていき、崩れ落ちるように座り込んだ。
一人の空間になったことで力んでいた気が緩み、堪えていた大粒の涙が頬をつたう。
悔しくて、悔しくて仕方がない。
「……なんなんだよ、今更。おかげでこっちは……家族も友達も親友も、好きだった人も何もかも! どうしようもないじゃないか!!」
この行き場のない思いをぶつけることができず、僕はただひたすらに泣き叫ぶことしか出来なかったーー。
あれからどのくらいの時間が経っただろうか。
頭はズキズキと痛み、喉はカラカラに乾いている。髪はむやみに掻き毟ったせいで、ボサボサになりつつある。
加えて、長時間同じ姿勢で居続けたせいか、腰や膝が痛い。
立ち上がると、わずかに筋肉の緊張がほぐれて楽になるのが分かる。そのまま机へと近付き、デジタル時計を手に取ると時間を確認する。
時刻は夕方。日が落ち始めており、窓の外には夕焼け雲が見えた。
僕は顔を洗うため、部屋を出て階段を降りる。最後の段差に差し掛かった頃、母さんの悲痛な声が聞こえピタリと足が止まる。
「……なさい、ごめんなさい。信じてあげられなくて、本当にごめんなさいっ……!」
場所はリビングからだ。
吸い寄せられるよう勝手に足が歩を進め、気付けばリビングの入り口に立っていた。
恐る恐る中を覗いてみると、両手で顔を覆い涙する母さんの姿が。昔から母さんは気が弱い人だったが、今回のは特に心にきたようだ。
父さんも同様に、テーブルに肘をついて苦悩の表情を浮かばせている。
それもそのはず、実の息子の前で“産むんじゃなかった”と失言し、“お前なんて息子ではない”と突き放してきたからだ。
それが、無実となると更に精神的に来るところがあるだろう。
冤罪をかけられたあの日から、濡れ衣が晴れることを願ってきた。
だが、無実が証明されたというのに喜ぶことは愚か、嬉しさのあまり涙を流す事すらなかった。
あるのは、歪で複雑な気持ちだけ。
ひとり腑に落ちていると、父さんが僕に気付いて顔を上げた。
「律……?」
父さんは目を大きく見開き、こちらを凝視する。
「本当に、本当にすまなかったっ……!」
声を振り絞って、謝罪の言葉を出す父さんの目線は、罪悪感からか僕と目を合わせることができず、下へと落ちていっていた。
今度は母さんが、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。そして、両手を広げて僕を
「……ごめん、母さん」
すんでのところで後退り、僕は母さんの腕をかわした。
もし今泣きつかれでもしたら、許してしまいそうになるかもしれない。そう思うと無性にいても立ってもいられなくなったのだ。
それを拒絶されたと受け取ったのか、母さんは膝から泣き崩れてしまい、「ごめんなさい、ごめんなさい……!」としきりに口ずさんでいる。
いくら謝罪をしたところで僕の心には到底届かないだろう。
なぜなら、思い出したくもない嫌な言葉が脳裏に焼き付いており、父さんと母さんと顔を合わせる度に今でも鮮明に再生されるからだ。
トラウマになる程にまで心の奥底に刻み込まれており、これがどうにかなるまでは父さんと母さんの事を決して許すことはできないだろう。
背後から足音が聞こえ、振り向くと茜姉さんと目が合う。
騒ぎを聞き付けて二階から降りてきたのか、茜姉さんの手は階段の手すりに添えられたままだ。
「ごめん、冤罪だと分かってたら……」
胸に手を押し当てている茜姉さんの顔は、罪悪感と後悔の念をひしひしと感じさせる。
「……分かってたら?」
なにげない僕の言葉に、茜姉さんの顔は歪み、切り裂かれるような胸の痛みに手がギュゥと握られる。
自分で言っておいてなんだけど、我ながら意地の悪いことをしたなと思う。
しばらくの沈黙の後、
「本当にごめん……っ」
と、茜姉さんは固く唇を噛み締めたのだった。
翌日の早朝。
チリリリンと枕元で音が鳴り響き、手で手探りにスマホを探す。アラームを切ると、体を起こして背筋を伸ばした。
外からは小鳥のさえずりが聞こえ、カーテンを開ける。雲一つない青空が視界に写し出され、眩しい日の光が僕の顔を照らす。
昨日はグッスリと眠れたようで、心なしか気分が良い。
こんなに目覚めがいいのは、いつ振りだろうか。
そんな事を考えながら、洗面所へ向かうと茜姉さんの後ろ姿が見える。
「おはよう」
「お、おはよう……」
茜姉さんはこちらを振り向き、久しぶりに挨拶を返してくれた。
冤罪が晴れたため、態度を改めたようだ
また、いつものキリッとしていた目はどこか虚ろで、何ともいえない表情は昨日の件を気にしての事だろう。
蛇口を捻ると冷たい水が流れ、それを手ですくい顔を洗う。それから蛇口を閉め、タオルで水滴を拭き取る。
リビングに入ると、先に座っている父さんとキッチンにいる母さんに軽く挨拶を済ませ、席につく。
席の場所は決まっており、僕から見て前が父さん、斜め右が母さん、そして右隣が茜姉さんとなっている。
やがて朝食の準備が整い、「いただきます」の言葉を合図に食事をとり始める。
皆、あまり食欲がないのか箸の進みが遅いように思える。
居心地は悪く、気まずい雰囲気ということもあり、ご飯の味があまりしない。
朝食を食べ終え、身支度を整えると学生鞄片手に玄関のドアを開ける。
茜姉さんは終始何か言いたそうにしていたが、結局口を開けることはなかった。
外へ出ると、肌寒い風が頬を撫でる。季節は冬。昨日は少し雪が降ったため、周りの住宅は真っ白になっていた。
満員電車の中、僕はつり革を掴んで窓から見える景色を眺めていた。学校は家から少し遠く、こうして電車通学をしている。
学校は転校せず、以前と同じ所に通っている。本来なら退学もあり得たが、成績が優秀だったのと、部活面でも評価が高かったことから二ヶ月の停学に留まったのだ。
ただひたすらに刻々と憂鬱な時が流れる。学校に近付く度に、不安と緊張からか胸がキリキリと痛み落ち着かない。
電車を降り、駅から出ると僕と同じ学校の制服が目立つようになる。
それと、同時にやたらと視線を感じるのに気付く。以前から悪い噂のせいで、視線にさらされているのは知っているが、今日はいつもに増して多い。
それも、チクチクと嫌なものではなく、また別な好奇心のようなものだった。
「聞いた? ほら、二組の律って人。あれ、冤罪だったらしいんでしょ……?」
近くを歩いている女子生徒らの会話が、微かに耳に入ってくる。
どうやら、冤罪だったことが既に広まっているようだ。
どうりでと、僕は納得する。
校門をくぐり昇降口へと向かう中、誰かを待っているような様子の女子生徒に目が留まる。
藍色の髪を三つ編みにし、丸眼鏡が特徴的だ。キチンと整えられた身だしなみからは、どことなく真面目な印象を感じさせる。
彼女は僕の同級生であり、学級委員長の
突然だが、僕は藤田さんが苦手だ。
藤田さんはその役職や、正義感が強いこともあり、僕への風当たりが人一倍きつかった。顔を合わせたら、ろくなことにならないのは間違いない。
引き返そうか迷っていると、こちらに気付いた藤田さんと視線が合う。
「吉田君……!」
こうして藤田さんに声をかけられた僕は、顔には出さないものの意気消沈するのだった。
冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない 一本橋 @ipponmatu
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