第26話 俺は心優さんに枕の場所を決められる。


「あ、あの心優さん――」


「十文字腹のことだよね。十文字腹は切腹の一種で、腹を左から右へ切ってから短刀を抜き、みぞおちへ再度突き立てて臍の下まで切り下げるやり方だよ。あ、ちょっと訂正。私の場合は短刀じゃなくて包丁ね」


 切腹について知識が増えたのはいいとして。


「い、いや、そこではなくてマクロンからショルツ――」


 そのとき、居間のほうからガタンッと大きな音がした。

 なんだと見れば、壁に立て掛けてあったローテーブルが滑って倒れた音だった。


「あ、私のせいだ。下の人、びっくりしちゃったかな」


「大丈夫ですよ。下には人、住んでませんから」


「それなら安心。ローテーブル、段ボールから出しちゃうね」


「だったら俺、やりますよ。心優さんは布団出してもらえますか? 古い布団は適当に押し入れに押し込んでおいてください」


「うん、分かった」


 マクロンからショルツについて聞きそびれてしまったが、今はいい。晩御飯のときにでも聞けばいいだろう。今はローテーブルの組み立てに意識を向けよう。


 そのローテーブルの組み立てといっても、段ボールから中身を出して足を立てるだけなので五分で終わった。俺の部屋に淡いオレンジ色が映えすぎて眩しいくらいだが、大きくなったのでよしとしよう。


「ローテーブル、できたんだ。わぁ、いい感じ。この部屋に……すっごい合ってると思う」


 その微妙な〝間〟は一体。

 

「布団のほうはどうですか?」


「うん。敷いたよ、ほら」


 と言われて俺は布団のほうへ振り返る。

 

 そこには元々の布団より明らかに大きいセミダブルの布団。そこまではいい。なのに枕は、俺のと心優さんが購入した枕が中央で密着していた。それじゃシングルのときと変わらない窮屈さだろうと思った。


「い、いい感じですね」


 と言いながら、俺は枕の位置をそっと離す。


「うん。前のでも良かったけどね」


 と言いながら、枕の位置を元の場所に戻す心優さん。


「で、でも広くなったのでゆっくり寝れそうです」


 と言いながら、俺はもう一度枕の位置を離す。


「うん。前のでもゆっくり寝れたけどね」


 と言いながら、枕の位置を再び元の位置に戻す心優さん。


「……」


 何も言わずに、俺は三度、枕の位置を離す。


「……」


 何も言わずに、枕の位置を三度、元の位置に戻す心優さん。


「心優さんっ」


「それだけはぜったい譲れないもんっ」


 潤んだ瞳で頬を膨らませて駄々をこねる心優さん。


 はい、可愛いので許しますっ。


「分かりました。でも、布団を敷くにはまだ早いので、一旦畳みましょうか」


「それなら大丈夫。私、今から横になりながらヒキニート転生読むから。蒼汰君も私のとなりで何か読めば」


「い、いえ。俺は小説でも書こうかと思います。時間もあるし……あれ?」


「どうかした、蒼汰君。わっ、やわらかぁい」


 ヒキニート転生(略)を手に取って、布団にごろんとなる心優さん。

 

 大の字になって天井を見上げているが、俺の視線の行き先は重力もなんのそので膨らみを強調するおっぱいである。柔らかいのは絶対、布団より心優さんのおっぱいだとも思った。


 はぁ。また俺は、おっぱいおっぱいって、おっぱいばっかり。


 若干の自己嫌悪に陥る俺。

 

 だが、Hカップの美女が同じ部屋にいて、おっぱいに意識が向かないのは男じゃないだろう。母性のどでかい塊がそこにあるのだ。その吸引力は抗いがたい。おっぱいに素直であれ、童貞――である。


 って、おっぱいのことは今はいい。

 そうじゃなくって――、


「心優さん、お米って買ってないですよね?」


「お米……」固まる心優さん。やがてガバッっと起きて「忘れた!」


「ですよね」


「えーっ、なんで肝心のお米忘れるかな。私ってもしかしてポンコツ?」


 はい。


「材料を買うのに気を取られてしまったからですよ。俺、今から買ってきますよ」


「えー、悪いよ。私が買ってくる。確か、ここから一番近いスーパーで一五分くらいだったっけ?」


「はい、そうですね」


「分かった。じゃあ、行ってくる。でも歩いていくと持って帰るの大変だから、車で」


 短い距離だが不安である。

 ここはやはり、俺が行くべきだろう。


「心優さん、お米は本当に俺が買ってきます。だから心優さんはヒキニート転生読むのに集中してください」


「でも――」と、尚も難色を示そうとする心優さん。

 こういうときは優しさで押し切るより、俺が行きたい理由を話したほうがいい。


「歩きながら小説の構想を練りたいんですよ。実は夏休みの課題の前に、掌編を一本書こうかと思っていまして、その構想を」


「そうなんだ。だったらお願いしたほうがいいのかな」


「はい。では行ってきます」


「はぁい。行ってらっしゃい。蒼太君がお米を買いに行ってる間に半分は読めると思う」


 こうして俺はスーパーにお米を買いに行くのだった。



 ◇



 俺は歩きながら想像する。

 今までラノベに触れてこなかった心優さんが、ヒキニート転生の感想をどう述べるのかと。


 いくら心優さんがポンコツ(失礼っ)だとしても、ラノベの感想まで残念だとは思えない。人それぞれの感じ方があるとしても、根底の部分はおそらく変わらないだろう。同意し頷ける感想を拝聴できるはずだ。


 それを前提として、俺は夏休みの課題の前に文字数の少ない掌編を書くと決めたのだ。要するに心優さんの感想が早くほしかったわけである。


 モニターの文字の羅列ではない、眼前に存在する読者の声による感想。

 射手園部長しかり、長沼しかり、作者を前にして良いところ悪いところをを述べてくれる生の感想はとても貴重だ。


 多少の忖度はあるのかもしれないが、それでも――。


 でも、心優さんは優しいからなぁ。

 俺が書いたってだけで、クソつまんないゴミ小説だとしてもめっちゃ面白いとか言いそうだよな。


 そこは心を鬼にしてもらうように、先に言っておくか。

 あるいは、俺の小説だというのを隠しておくのもありか。


 どちらにせよ、心優さんから感想をもらえるのは嬉しい。

 

 俺は気持ちが高揚するのを感じながら、スーパーで米を買い、かついで201号室への階段を上る。掛かった時間は四〇分程か。心優さんの読書はどれくらい進んだだろうか。


 柔らかい布団の心地よさもあってか、読書の速度もいつもより早くなっているかもしれない。もしかしてもう読了していたりして。


 淡い期待を抱きながら俺はドアを開けて、「ただいま」と心優さんに声を掛ける。

 返事がない。居間に入る俺。心優さんは寝ていた。

 柔らかい布団の心地よさが、彼女の眠欲を大いにに刺激してしまったらしい。


「は、はは……」


 ある意味、予想通りの残念展開。

 挟んである栞の位置はほぼほぼ一緒。


 いつになったら読み終わることやら。



 【第一部完】


 ◇お話の途中ですが、ここで完結とさせていただきます。お読みいただき、ありがとうございました(*'ω'*)

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暴漢から助けたお姉さんが色々ポンコツだけど可愛いので許します。 真賀田デニム @yotuharu

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