第24話 聖女降臨

 その後、ミルカは準備があると言って部屋を出て行った。

 当然だが昨日あんなことがあったばかりで、城の中はまだ騒がしいままだ。でも、大きな混乱はなかった。というのも、何か知らんが僕の手から出たものすごい光によって壊れたものは全部直ったらしいからだ。おかげで修復に金がかからなくて大助かりだそうだ。もちろん意識不明だったので僕にとってはなんのこっちゃである。

 で、それもあって結局予定通り彼女たちはドラゴンと戦いに行くつもりらしい。

 ……死にかけたばっかりだってのに、ミルカもシーレもすごいな。

 素直にそう思った。

「僕には絶対に無理だな……」

 ベッドの上でごろりと寝返りを打った。

 ミルカに芋湯を食べされてもらってから、僕はずっとこうしてゴロゴロしている。時間はけっこう経ったと思う。時計がないのでよく分からないが、朝から昼ぐらいにはなっているんじゃないだろうか。

 寝転がりながら、自分の右手をじっと見やった。何となくだけど、ミルカに心から感謝された時の温かさが、まだ残っているような気がした。

 しばらくそうしていたが……不意に、自嘲気味な笑みが漏れた。

「……はは。ムリムリ。僕に誰かを救うなんてできっこないよ」

 その時、部屋のドアがノックされた。

 僕は慌てて身体を起こした。

「はい、どちら様でしょう?」

「セイヤ様、ミルカです。シーレも一緒なのですが、入ってもよろしいでしょうか?」

「え? あ、はい。どうぞ」

 またミルカだった。しかも今度はシーレも一緒らしい。

 二人はすぐに部屋に入ってきた。どうやらもう出発する準備は出来ているらしい。

 綺麗なお姫様から凜々しい姫騎士となったミルカだが、表情は柔らかい笑みのままだった。

「何度も申し訳ありません。出発する前にセイヤ様にちゃんとご挨拶をしておこうと思いまして」

「あ、いえ、そんな……」

「それと、シーレが改めて昨日のお礼を申し上げたいとのことです」

「へ? お礼?」

 戸惑っている内に、ミルカの代わりにシーレが僕の前に立った。

 シーレはすぐにベッドの傍で片膝を突いて頭を下げた。

「セイヤ様。昨夜は本当にありがとうございました。いま、こうしてわたしが生きていられるのは全てセイヤ様のおかげです。この御恩、わたしは一生忘れません」

「い、いえ、別にお礼を言われるほどのことは……」

「そのようなことはありません。魔力をあれほど酷使なさって、それでもなお我々を救ってくださろうとしたことは、とうてい他の者に真似できることではありません。下手をすればセイヤ様の方が命を落としていた可能性もあるのですから」

「……え? 僕ってそんなに危なかったんですか?」

「はい。魔力が枯渇することは危険なことです。それでもなお魔法を使おうとすれば、それはすなわち〝魂〟を削るのと同じ事です。それは文字通り命を削ることになりますから。わたしはセイヤ様のお命を頂いたようなものなのです」

 シーレの話を聞きながら、僕はあの時のことを思い返していた。

 ……確かに、魔法を使えば使うほど身体には恐ろしい疲労感が溜まっていった。あれはつまり魔力を消費していたわけだ。そして、魔力がなくなってもなお魔法を使おうとすれば、自分の命を削ることになるらしい。つまり寿命を魔力に変えている――ようなことなんだろう。

 知らなかったとはいえ、僕は随分と無謀なことをしていたようだ。

 ……こえー。次からは気をつけよう。

 そんなことを考えていると、シーレは立ち上がり、僕に控え目な笑みを向けた。

 控え目とはいえ、彼女が笑みを浮かべるのを見たのはこれが初めてだったかもしれない。

「でも、これからはあまり無茶はなさらないでください。ミルカ様もいつもそうですが……まずは自分の身の安全を一番にお考えください。お二人はどちらも、代わりは他にいない身なのですから」

「……」

「……? どうされました?」

「へ? い、いえ、何でもないですよ」

 はっと我に返った。

 ……彼女の浮かべた小さな笑みは、本当にとても印象に残った。

 それは間違いなく、僕のことを気遣うような気持ちが現れたものなのだと思った。

 彼女は顔にある傷のせいもあって、とにかく怖い印象が先行する。

 でも、さっきの笑顔は……そんな雰囲気が全部吹っ飛んでしまうくらい、可愛らしい笑みだった。

 きっとあれが彼女の本当の顔なのだろう、と思った。彼女の僕を案ずる気持ちには、恐らく嘘はない。

 ……でも僕は、その気持ちに対して、反射的にいつもの作り笑いを浮かべていた。彼女の気持ちが僕の心の中に染みこんでくるのを、とっさに拒否してしまっていた。

「お気遣いありがとうございます、シーレさん。でも僕は全然大丈夫ですよ」

 上辺だけで言っただけの言葉を、彼女がどう捉えたのか分からない。

 シーレは深く一礼すると、後ろに下がってミルカに場所を譲った。

 再び僕の前に立ったミルカは、少し真面目な顔になっていた。

「それではセイヤ様、我々はこれで失礼します。我々が戻るまでは、もしかしたら一ヶ月ほどはかかるかもしれませんが、その間のことはメイドたちに任せてありますのでご安心ください。セイヤ様はゆっくりとご静養なさっていてください。それでは――」

 と、ミルカがそう言いかけた時だった。

「ミルカ様ぁ! た、大変でございます!」

 チクワヘッドが慌ただしく部屋に飛び込んできた。

 よほど慌ててきたのか、チクワがかなり乱れている。

「ど、どうしたのです、爺や? そんなに慌てて」

「と、とにかくみなさんこちらへ来てください! 王宮前広場がとんでもないことになっておるのです!」

 とんでもないこと? と、僕たち三人は思わずお互いの顔を見合わせていた。


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 お城の敷地の傍には大きな広場があって、そこが王宮前広場というらしい。普段は市民たちの憩いの場となっている場所のようだが……そこがいま、とんでもない数の人で埋め尽くされていた。

 僕らはその様子をこっそり窓から窺った。

 ……え? な、なにこの人だかり? もしかして革命? パンがなければケーキを食べればいい的なアレ? いきなりギロチン送りのバッドエンド?

 群衆は本当に数え切れないほどだった。

 さすがにミルカとシーレも驚いている様子だった。

「じ、爺や、これはいったい……?」

「どうやら、昨日の騒ぎで市民の間についに聖女様がご降臨なされたのでは、という噂が広まったようで……あれよあれという間に人が増えてこのような状態に……」

「なるほど……確かに昨日の〝あれ〟を見れば、聖女が降臨したとみなも思うだろうな……」

「そうね……〝あれ〟を見れば普通はそう思うでしょうね……」

 ミルカとシーレは何やら納得した様子を見せた。

 いや〝あれ〟ってなに!? 僕の記憶にはないんだけど!? ニグレドのやつマジでいったい何やったんだあいつ!?

「でも困ったわね……市民には追って先触れを出すつもりだったのだけれど、まだ降誕祭の準備などまったくできてもいないし……」

「降誕祭? って何ですかミルカさん?」

「聖女様が降臨なされたことを、国民全員に伝える儀式のことです。新しい聖女様の初めての顔見せの儀式でもあります」

「ははあ、そういうのがあるんですか」

「本来なら、何日も前から国全体で準備をして、盛大に執り行われる国家行事なのですが……」

「しかし、このままでは収拾がつきませんぞ、ミルカ様。ここは一つ、聖女様にせめてほんの一目でもお姿を彼らにお見せいただき、安心を与えるべきではないかと」

「わたしもそうすべきと思います。みな不安なのです。きっと聖女様が降臨なさったことを聞けば、この騒ぎもいったん収まるでしょう。降誕祭の前に聖女様が顔を見せることは、別に盟約に反することではないでしょうし」

「……そうね。その方がいいでしょうね」

 ミルカは頷いてから、僕に向き直った。

「セイヤ様、大変申し訳ないのですが……そこのエントランスから集まった市民たちに一目でいいのでお姿をお見せいただけないでしょうか? もちろんわたしもお側におりますので」

「え、ええっと……」

 いや、そんなこといきなり頼まれても困るんだけど……?

 ていうかマジで王都の人間が全員いるんじゃないかっていうレベルだ。さすがにこの群衆の前に出るのは気が引ける。

 ……というか、そもそも待てよ?

 だいたいだ。こんなところで顔を晒したら、もうそれこそ本当に、完全に逃げ場がなくなるのでは?

 今はまだ僕の顔は大々的には知られてない。だから雑踏に紛れれば簡単に逃げられる。

 でも、これだけの人数に顔がバレたらどうなる? 後ろの方は見えないとしても、前の方にいる人たちには顔は見える。誰かが顔を覚えて似顔絵でも書いて、それが国中に出回ったら……僕はもう完全にこの国の聖女にされてしまうぞ!?

 待て待て待て、それは困る。

 断れ! これは絶対に断れ! 本当の本当に逃げ場がなくなるぞ! それでいいのか!? いまならまだぎりぎり間に合う! ここは鋼鉄の意志で断るんだ!

「ダメ……ですか?」

 ミルカに上目遣いされた。

 チクワとシーレもじっとおれを見ている。

 ぐっ……そ、そんな目したってダメだぞ!! 僕にそんな圧力が効くと思ってるのか!? 僕はNOと言える日本人だ!! 絶対に同調圧力なんかには屈したりしない!!


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「きゃーーー!!! 聖女様ーーーー!!!」

「うおおおおおおおお!!! 聖女様だ!!!! 本物の聖女様だ!!!」

「ついにご降臨なされた!!! 聖女様がついにご降臨なされたのだ!!!!」

「聖女様ーーーーー!!!! 聖女様ばんざーーーーーい!!!!!」

「ばんざーーーーーーーーーーーーーい!!!!!」

「……は、ははは」

 僕は引きつった笑みで群衆に手を振っていた。

 ……くっ、またもや同調圧力に屈してしまった。

 いや、でもちょっと姿を見せるだけだ。そう、先っちょだけだ。

 ひとまず群衆に笑顔で手を振る。

 王宮前広場に向かって突き出したエントランスに立っているのは、僕とミルカの二人だ。

 そして、それを迎える群衆はそれこそ何万人という数だった。あの会議室の熱気など、このとんでもない自然現象のような巨大なうねりと比べたら、実に可愛いものだ。

 ……はは、すげえな。聖女ってこんなに影響力あるんだな。

 まぁそれだけみんな聖女を待ち望んでいたということだろう。気持ちは分かるけどね……立場が逆なら僕もこの群衆の一人になって雄叫びを上げていた可能性はある。

 ……さて、ファンサービスはこれくらいにしておくか。あんまり長居するとそれだけ顔を晒すことになっちゃうからな。

「う、すいませんミルカさん……少し目眩が……」

「そ、それはいけません。そうですね、まだ身体が万全ではありませんものね。ここまでにしておきましょう」

 下手くそな芝居でこの場を切り上げようとする。

 ……まぁいちおう姿は見せたんだし、これで役目は果たしただろ……そう思いながら後ろに引っ込もうとした。

「おい、新しい聖女様めちゃくちゃ可愛くねえか!?」

 ――ぴくり。

 群衆の中からふとそんな声が聞こえた。

 思わず足が止まってしまった。

「……聖女様?」

 肩を貸してくれているミルカが不思議そうな顔で僕を見ていた。

 ……か、可愛いだと?

「ああ、まさかあんな可愛い子が新しい聖女様だなんて思わなかったぜ!!」

「しかもめちゃくちゃ若いぞ!!」

「あんなに可愛くて聖女だなんて最高かよ!?」

 すさまじい喧騒の中から、僕のエゴサーチ能力が自分に都合のいい言葉だけをピックアップする。

「聖女様可愛いー!!! もっと顔見せてー!!」

「うおおお聖女様!!! めちゃくちゃ可愛い!!! 結婚してくれー!!!」

「可愛い!!」

「可愛い!!」

 さらに群衆の声をよく聞けば、そこかしこから僕を可愛いと叫ぶ声が耳に届いた。それも男女問わずだ。

 ……か、可愛いだって?

 ぐっ、まずい……ッ!! そ、そんなこと言われたら身体が、身体が勝手にぃ……ッ!?

「セ、セイヤ様?」

 気が付くと僕は再びエントランスに立ち、群衆に手を振っていた。

 ……あー、ダメだ。ダメなのは分かってるのに……承認欲求に抗えない……ッ!! 身体が勝手に全方位に愛想を振りまくううううううッ!!

「セ、セイヤ様……目眩がするほど体力も魔力も消耗しているのに、それでもみなを安心させようと……」

 後ろでミルカが斜め上の勘違いをしているような気配を感じたが、何かもう全部どうでもよくなってきた。

 ははは。

 もう、どうにでもなーれ☆

 ……こうして、僕の絶対にバレてはいけない女装生活が始まってしまうことになったのだった。


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 ……眼下の騒ぎを、ニグレドは城の一番高いところから見下ろしていた。

 その顔は実に楽しそうに歪んでいた。

「さーて、面白くなってきたな。今までにないパターンだぜ、こいつは。だが……。はてさて、この先どうなるやら楽しみだな……きひひひ」

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女装したまま異世界に転移したら聖女に間違えられた話 妻尾典征 @r-yukawa

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