第23話 騒ぎの後

 ……あの時、王都の夜空を照らしたまばゆい光を、大勢の人々が目撃していた。

 突然、どこからともなくドラゴンの咆哮が聞こえ、王城から爆音が響き始めた時、王都の住民たちはみな慌てたように家から飛び出し、王城を――いや、王城の真上に発生した瘴気を見上げていた。

 誰もが突然のことに不安を感じ、底知れぬ恐怖を感じながらも、しかし何も出来ない彼らはただ、遠くから見上げることしかできなかった。

 ……あんなところにまで瘴気が出来てしまったら、王都は――いや、もうこの国は終わりだ。

 誰もがそう思っていた、その時だった。

 とても優しく清らかな光が、王都の夜空を照らしたのだ。

 清らかな光は、彼らの見ている前で禍々しい瘴気をあっという間に消し去ってしまった。

 まだ国から民へ正式に聖女が降臨したという通達は出ていなかったが……夜が明け、朝が訪れる頃には王都中に噂が広がっていた。

 ついに――待ちに待った聖女様が降臨したのではないか、と。


 μβψ


「うーん……? あれ?」

 目を覚ますとベッドで横になっていた。

 身体を起こした。

 聖女の間だった。

「……なんでこんなところで寝てるんだ、僕は?」

「むにゃ……」

「ん?」

 何やら声がしたと思って振り向くと、そこにはミルカの姿があった。

 椅子に座ってウトウトと眠っていた。

 最初は何してるんだろうと思ったけど、すぐに気が付いた。

 ……もしかして、僕の傍に付いててくれたのか?

 気を失ってからの記憶がない。

 窓の外は明るい。多分、もう朝なんだろう。

 じゃあ、もしかしてミルカは夜通しずっと……ここで僕の傍にいてくれたのだろうか?

 そう思っていると、ミルカが薄く目を開いた。

 目が合った。

「おはようございます、ミルカさん」

 とりあえず挨拶した。

「……」

「あの、ミルカさん?」

「はっ!?」

 寝起きの顔だったミルカの両目が、驚いたようにまん丸になった。

 かと思うと、すごい勢いで迫ってきた。

「セイヤ様!? お体は大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、うん。大丈夫だと思います」

「よかった……お目覚めにならなかったらどうしようかと……」

 ミルカは本当にほっとした様子だった。

「あの……僕どうしてこんなところで寝てるんでしょう? ていうか城の中にいたドラゴンはどうなったんですか?」

「え? 覚えてないんですか? あのドラゴンはセイヤ様が倒したんですよ?」

「……はえ? 僕が倒した?」

「そうです。なんかこう……手から光がばーっと出て、ドラゴンがずばーって感じで! すごかったんです! 城の真上にあった瘴気も、その光で消え去ったみたいで!」

 ミルカは興奮したように言った。

 いや説明下手か。

 ……でも、この様子だと本当に僕がドラゴンを倒したらしいな。しかもついでに瘴気まで消滅させたらしい。

 まったく記憶にはないんだけど……?

 うーん。

 ……。

 ま、倒したんならいいか☆

 僕は深く考えなかった。

「セイヤ様、本当にありがとうございました」

「え?」

 ミルカが僕の手をぎゅっと両手で握った。

 柔らかくて温かい感触が肌を通して伝わってきた。

「わたしもシーレもあなたがいなければ死んでいたと思います。それに、他にも多くの者があなたに助けて頂いたと聞いています。本当に、本当にありがとうございます……」

「……」

 深く、本当に深く感謝された。

 確かに基本的に人の事なんてまったく信用していない。

 でも、そんな僕でさえも、さすがにこれを演技と疑うことはできなかった。

 ……ああ、なんか久々だな。人からこうして、上辺だけじゃないお礼を言われるなんて。

 僕は何か言おうとして口を開いた。

「……」

 でも、開いた口からは何も言葉が出てこなかった。

 人を騙す時はあれだけすらすら言葉が出てくるのに……なぜか、今は何も思い浮かばなかった。

 ぐぎゅ~。

 代わりに腹の虫が喋った。

「……」

「……」

 しばしミルカと見つめ合った。

 めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 ぷっ、とミルカが少し笑った。

「なにか、消化に良いものをすぐにご用意します。少し待っていてください」

「あ、いや、別にお気遣いなく――」

「すぐに戻りますから!」

 言葉が終わるよりも前に、ミルカは部屋を出て行ってしまった。

 それをぼんやりと見送ってから……ふと、自分の右手に視線を落とした。

「……ありがとうございます、か」

 僕が彼女たちの命を救ったのは事実かもしれない。でも、それは自分のためだ。制約がなかったらこんなところさっさと逃げ出していただろう。

 僕は基本的に他人なんてどうでもいいとしか思ってない。

 他人が死のうが生きようが、そんなのは僕の知ったことではない。

 だって、誰も彼も自分のことしか考えてないのだ。

 人間なんてのはそんなものだ。

 だから僕は、人間が嫌いだ。

 そして――とても恐ろしい。

 人の心の中ほど、深くて暗い場所はこの世にはない。

 その奥底は自分自身ですら何があるのか見えないほどに、深くて暗いのだ。そして、その奥底には化け物が住んでいる。名前も分からない〝何か〟としか言いようのない化け物が。

「よう、眼が覚めたか」

 どこからともなく声がした。

 気が付くと、ニグレドがベッドの足元にちょこんと座ってこっちを見ていた。

 思わずクソデカ溜め息が漏れた。

「はああああああ……」

「おいおい、いきなり溜め息とはご挨拶だな」

「これが僕なりのおはようの挨拶なんだよ。それより、もしかしてもう一匹のドラゴンを倒したのって君?」

「どうしてそう思う?」

「いや、だって記憶ないし……絶対に僕じゃないでしょ」

「その認識は半分間違いだな」

「え? どういうこと?」

「確かに、お前が気を失ってからはオレ様が勝手にその身体を拝借したが……ドラゴンを倒したのは元々お前が持っていた〝ひかり〟だ。オレ様はそれを利用したに過ぎない」

「……? ええと、どういうこと?」

「オレ様の力は、お前の持つ〝ひかり〟があって初めて役に立つ。そうでなければ、オレ様の力には何の意味もねえのさ。何せただの〝虚無〟だからな、オレ様は」

「ごめん、意味が分からないんだけど」

「へへ、まぁ気にすんな。大したことじゃねえよ」

 と、ニグレドはいかにも適当な返事をした。

 ちゃんと答えるつもりはないように見えた。

「あーそうかい。じゃあもう考えないよ」

 僕はベッドに再び寝転んだ。

 ぼうっと天井を眺めていると、ふとこんなことを思った。

 ……もしかしたらこれは夢なのではないだろうか?

 僕は頭を強打して病院にいるのかもしれない。

 これはただの夢で、次に目を覚ましたら現実世界に戻っているのかもしれない。

 試しにゆっくりと目を閉じて、そして開いた。

 ニグレドがいつの間にか身体の上に乗っていて、すぐ目の前に顔があった。

 ……ああ、どうやらこれは夢じゃないようだ。

 なぜかそう確信が持てた。

 なぜなら、ニグレドの顔がそれはもう死ぬほどムカつく顔だったからだ。

「まぁ過ぎたことはいい。それより、これからの話をしようじゃねえか」

「……これから?」

「そうだ。いま、この国は瘴気の生み出すドラゴンで色々と困ったことになっている――ってのは、お前ももう分かってるとは思うが、それをどうにかできるのは、現状ではお前だけだ」

「……それが?」

「このまま放っておいたら、間違いなく誰かが死ぬだろう。それも大勢の人間がな。つまり、お前には一刻の猶予すらないってことだ」

「……は? ちょ、ちょっと待てよ!?」

 僕は慌てて身体を起こした。

 ニグレドはひらりと空中で身体をひねり、再び足元に着地した。

「もしかして……それも僕が見殺しにしたことになるのかよ!?」

「もちろんだ。お前はこの国の〝聖女〟になった。なら――この国を救うのはお前の役目だ。救えるはずの命を救わなかったら、それは見殺しにしたと同じ事だろう?」

「ふざけんな! そこまで責任持てるか! 僕は自分のことだけで手一杯だっての!?」

「ま、お前がそう言うならオレ様は構わないぜ? まぁ、その場合は制約の代償を払ってもらうだけだ。お前の命でな。きひひひ」

「こ、こんの野郎……ッ!?」

 首根っこ引っ掴んでやろうとしたら、ニグレドは僕の手をひらりと躱し、今度はテーブルの上に飛び乗った。

 僕はニグレドを強く睨みつけた。

「ふざけるな! 今すぐに契約なんて解除だ、解除! こんなのもうやってられるか!」

「おっと、そうはいかねえな。ここまで首を突っ込んでおいて後は知らんぷり、とはいかねえぜ?」

「むきー! 誰のせいで首を突っ込んだと思ってんだ!? 全部君のせいだろ!?」

「そう怒るなって。まぁでも、そこまで言うなら契約を解除する方法を教えてやってもいい」

「さっさと教えろ!」

「なあに、簡単なことだ。オレ様との契約を解除するには一度死ねばいいのさ。そうすりゃお前は永久にオレ様から解放されるぜ?」

「永久に現世からも解放されるだろ!?」

 あまりにふざけたことを言われたのでさすがにぶち切れそうになったが、

「セイヤ様? どうなさったんですか?」

「……え?」

 いつの間にかミルカが部屋に戻ってきていた。手にはトレイを持っている。

 はっとした。

 ニグレドの姿はもう消えていた。

 僕は慌てて表情を取り繕った。

「い、いや、何でもないですよ?」

「そうですか? 何やら先ほど、大きな声がドアの向こうまで聞こえていましたが……?」

「え、ええ~? なんでしょうねえ……僕は別に声なんて出してなかったですけどねえ?」

「なら、別のところから聞こえてきたのかもしれませんね。わたしが聞き間違えてしまったようです」

 ミルカはサイドテーブルの上に食事を置いて、再び椅子に座った。

「セイヤ様、しばらくはここでゆっくりと身体を休めてください。お医者様が言うには、一週間ほどは安静にしておいた方がいいとのことでしたので」

「へ? 一週間も?」

「はい。セイヤ様は昨日、かなり魔力を消費されたようですから。今は魔力ポーションも切らしているので、回復するには身体を休めるしかないのです」

「……」

 ……一週間、か。随分と長いな。

「でもミルカさん、瘴気をすぐにでも消さないと国が大変なのでは?」

「それはそうですが……今はセイヤ様のお体が大事ですから」

「……」

 少し迷った。

 ミルカの気持ちを考えるのならば、やはりすぐにでも瘴気は消して欲しいはずだ。

 僕は聖女ではない。

 それどころかウォーロックというやつだ。

 だが……僕の力を使えば、瘴気を消すことはできる。

 つまり、いま僕には二つの選択肢があるということになる。

 逃げるか、それともここで聖女のフリを続けるか――だ。

「……」

 ……でも、僕が逃げたら――ミルカはどういう気持ちになるだろうな。

 目の前に現れた唯一の希望があっさり消え去ったら……それこそ以前の比ではないほどの絶望を味わうだろう。

 い、いや、だからどうしたっていうんだ。相手のことなんて考えるな。まずは自分にとって最善の方法だけを考えろ。話はまずそれからだぞ。ウォーロックだってバレたら殺されるんだぞ? そんな状況で女装生活しながら他人のことなんて救ってる場合か? いや、どう考えたってそんなことしてる場合じゃない。

 だが、逃げても制約があるんじゃ意味がない。結局、この災厄で誰かが死ねば僕も死ぬだけなのだ。

 ……に、逃げ場がない。

「……あの、どうかしました?」

「へ? あ、ああ、いや……何でもありませんよ」

 はは――と、とりあえず愛想笑いしておいた。

 ……くそ、すぐに考えがまとまらない。

 どうすべきなのが最善なのか、いまの僕にはさっぱり分からない。

 完全に八方塞がりだ。

 半ば途方に暮れていると、

「さぁ、セイヤ様。それよりお食事にしましょう。わたしが食べさせてあげますね」

「え?」

「はい、あーん」

 ミルカがにっこにこで僕の目の前にスプーンを差し出してきた。

 昨日のお芋のスープだろう。温かそうな湯気が立ちのぼっている。

「い、いえ、自分で食べられますから」

「あ、すいません。わたしってば差し出がましいことを……」

 ミルカがしゅん、としてしまった。

 何か罪悪感があった。

 ……くそ、なぜ僕が罪悪感を覚えなきゃいけないんだ。

 ていうか、ミルカってこんなキャラだったっけ?

 これじゃ王女様じゃなくて、ただの女の子だ。

 ミルカのしゅんとした顔を少しの間眺めていたが……僕はそっと溜め息をついた。

「――と思いましたけど、やっぱり手が痛いので食べさせてください」

「え?」

「あ、あーん」

 自ら口を開いた。

 さすがにちょっと恥ずかしかったが……ミルカはすぐに嬉しそうな顔をして、僕に食事を食べさせてくれた。

「美味しいですか?」

「はい、とっても」(芋の味がします)

「まだまだありますから、遠慮しないでくださいね。はい、あーん」

「あ、あーん」

 もぐもぐ。

 相変わらず、本当に味がない。

 ……まぁ、どうするべきかはこれから考えよう。焦っても仕方ない。

 しっかし、相変わらず味のない料理だ。

 でも、気のせいか昨日よりは美味しく感じられた。

 本当に、ただの気持ち程度だったけど……ミルカに笑顔で食べさせてもらった料理は、確かにちょっとだけ美味しいような気がしたのだった。

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