第22話 清らかな光

 王城の廊下は広い。

 人間サイズなら天井は見上げるほどの高さだ。

 ……でも、ドラゴンにとっては多少窮屈な様子だった。

「グルルルル……」

 うなり声が空気を震わせた。

 ドラゴンは牙を剥きだしにして、口からヨダレをぼたぼたと垂らしながらこっちを睨みつけていた。

 ……あー、うん。

 これは確かにドラゴンだ。

 ドラゴンと言われて誰もが想像するドラゴンである。

 あのカメレオンもどきみたいなザコとは違う。

「グアアアアアアアッ!」

 ドラゴンが大口を開けた。

 咆哮と共に火の玉が放たれた。

 僕らは慌てて地面に伏せた。

 発射された火の玉は廊下の壁に着弾し、爆発した。

 天井と壁が崩れ落ちた。

 退路が完全に塞がれてしまった。

「くっ!? お二人は下がっていてください!」

 シーレが剣を構えて飛び出し、僕らを守るようにドラゴンへと対峙した。

 ミルカもすぐに剣を抜いて前に出ようとしたが、僕はそれを片手で制した。

「え? セイヤ様?」

「大丈夫です、ミルカさん。あなたは下がっていてください」

 僕は立ち上がり、そのままシーレよりも前に進み出た。

 シーレが驚いたように僕を見た。

「セイヤ様!? 危険です、お下がりください! 相手は中型級です! 小型級のようなザコとは違います!」

「このドラゴンは僕が倒します」

「え!? セイヤ様が!?」

「シーレさんも後ろに下がっていてください」

「し、しかし……」

「いいから、早く」

「わ、分かりました」

 僕の(自分自身の命を守ろうとする)強い気迫に気圧されたのか、シーレは言われたとおり後ろに下がった。

 代わりに僕がドラゴンと面と向かって対峙することになった。

「グルルルル……」

 ドラゴンが唸り、ぎょろついた目で僕を睨んだ。

 ……こ、こえー。

 さっきは少し離れていたからよかったけど……間近で見るとこんなに怖かったのか。

 ぶっちゃけすぐにでも逃げ出したかった。

 でも、ここで逃げたら後ろの二人は死ぬ。そうしたら僕も死ぬ。じゃあ逃げても意味はない。

 ……ああ、くそ。

 何で僕がこんなことしなくちゃならないんだ?

 自分の命を守るために、自分の命を危険に晒す――とんでもない矛盾だ。あのクソみたいな制約がなければ、誰がこんな怖いことするものか。

 くそ、ちょっと膝が笑ってるぞ。

 逃げたい。めちゃくちゃ逃げたい。

 でも――やるしかないのだ。

「はああああッ!」

 両手を前にかざした。

 光が溢れだした。

 ……こうなったら、さっきの光の弓矢をもう一度使うしかない。正直気は進まないが、そんなことを言ってられる状況ではない。

 もしかしたら城に穴が空くかも知れないけど……いや、もうドラゴンがぶっ壊してるしな。気にすることない。

 僕は再び、光の弓矢を構えた。

 ふん、相手が悪かったな、ドラゴンッ!

 死ねッッッッッ!(聖女にあるまじき殺意MAXの顔)

 ――ぷすん。

「……あれ?」

 放たれた光の矢が気の抜けた屁みたいな音と共に消え去った。

「……」

「……」

「……」

 何とも言いがたい沈黙が舞い降りた。背後からひしひしと視線を感じる。

 ……え? なに? どうしたの? 何で不発? ていうかここで?

(……あー、こりゃ魔力切れだな)

 ニグレドの声が聞こえてきた。

 思わず声に出して答えていた。

「は!? 魔力切れ!? 何だよそれ!?」

(ははは。いやまぁ、あんだけ後先考えずに魔力使ったらそりゃなくなるわな)

「いや笑い事じゃねえだろ!? そういうことは先に言えよ!? どうすんだこれ!?」

(さあ?)

「さあ? じゃねーよ!? 〇すぞ!?」

「あ、あの、セイヤ様……?」

 後ろから控え目なミルカの声が聞こえた。

 それでハッとした。

 くそ、今はニグレドと喧嘩してる場合じゃなかった!

 ……と、その時だった。

 いきなり目の前の景色がぐにゃりと歪んだような気がした。

「――あれ?」

 がくっ、と身体の力が抜けた。

 すぐに立っていることもできなくなり、その場に倒れてしまった。

「セイヤ様!?」

 すぐにシーレが駆け寄ってきて、僕の身体を起こした。

 けれど彼女の声はどこか遠く、まるで水面の向こうから聞こえるような感じだった。

 ……あ、なんか分からないけど……これまずいぞ。

 身体の力が、まったく入らな――

 ぶつん、と僕の意識はそこで完全に途切れた。


 μβψ


「シーレ、セイヤ様はどうされたの!?」

「……まずいかもしれません。これは完全に魔力の欠乏状態です」

 ミルカも慌てて駆け寄ったが、セイヤはシーレの腕の中でぐったりして完全に意識を失っていた。

 かなり顔が青白くなっているように見えた。

 魔力の使いすぎは身体に大きな負担を強いる。使い切って空っぽになったら本当に立っていることも難しくなるし、それでも無理をしたら欠乏状態に陥って意識不明――下手すれば死ぬことだってある。

 いったいどれほど魔力を使えば、これほどの状態になるのだろう? セイヤが無理を押して、どれほど自分の力を酷使したのか……それはもはや、ミルカには想像できないレベルのものだった。

「グアアアアア!」

 ドラゴンが咆哮した。

 シーレはセイヤのことをミルカに預け、すぐに剣を構えてドラゴンと対峙した。

「ミルカ様! わたしがドラゴンの注意を引きます! その隙に何とかセイヤ様を連れてお逃げください!」

「シーレ!?」

「でりゃああああ!」

「――おい、まぁ待てよ」

「ぐほッ!?」

 駆け出したシーレの身体が、急に後ろに引っ張られた。

 まるで首に見えないロープでも巻き付いたかのようなすごい声が発せられた。

「やれやれ……まぁ最初はこんなもんか。ま、思ったよりはよくやった方か」

「……え? セイヤ様?」

 いきなりセイヤが目を覚まし、自分の足で立ち上がった。

 ミルカは驚いた。

 魔力の欠乏状態に陥った人間が、こんなすぐに立ち上がれるはずがないのだ。

「げ、げほッ――ッ! い、いったい何が……?」

「おい、お前らは後ろにすっこんどけ。せっかく助かった命を無駄にすることはねえだろう」

 セイヤは悠然と前に進み出て、ドラゴンと対峙した。

 その背中を、シーレとミルカは困惑したように見ていた。

(セイヤ様の様子がいきなり変わった……? まるで別人のような――)

 ミルカがそう思った時、セイヤから凄まじい魔力波が発せられた。

 びりびりと空気が震え、肌が痺れるような感覚がした。

 凄まじい魔力量だった。これまで感じたこともないレベルだ。

(な、なにこの魔力量……!? 先代の聖女様――ヴィルヘルミナ様でもこれほどの魔力はなかったのに……!?)

 先代の聖女ヴィルヘルミナは100年近くに渡ってこの国を守護してきた聖女だ。晩年でもかなりの魔力量を保持していたが、明らかにそれを上回っている。

 どうやらドラゴンもそれを感じたようだ。

 明らかに警戒するような素振りを見せた。

「グアアアアアッ!」

 大口を開けて咆哮すると同時に大きな火の玉が生み出された。

 シーレもミルカも、とっさに息を呑んだ。

 二人とも死を覚悟した。

 だが――

「やれやれ……うるせえだ」

 セイヤは火の玉をあっさりと片手で受け止め、握りつぶしてしまった。

 シーレもミルカもポカンとしてしまった。

 ただ呆然とセイヤの背中を眺めた。何が起こったのか、二人ともすぐには理解できなかった。

「しかし、かなり〝呪い〟が濃いな……まあ、確かにまだこいつを倒すには力が足りなかったか。しょうがねえ、今回ばかりは少し手伝ってる。だから――てめぇの〝ひかり〟をちょいと借りるぜ、相棒」

 スッ――とセイヤが再び片手をドラゴンに向かってかざした。

 その瞬間、ミルカとシーレは身体がぞわりとするような感覚を味わった。

 それは恐らく〝恐怖〟だろう。

 だが、単なる恐怖ではなかった。

 畏怖だ。

 人知を越えた力を目の当たりにした時、人が自然と思い抱く感情である。

 気のせいでなければ、一瞬――全ての音が消え去ったような感じがした。

 いや、音だけではない。

 何もかもが消え去ったように感じられた。

 音も、光も、何もかもが消え、真っ暗な闇に全てが満たされたような錯覚に陥った。

 全てが闇に飲まれた。

 そう言うしかなった。

「――〝深淵よりいずる一条の光ヴォリオ・セイラス〟」

 すると、光が生まれた。

 とても眩しい光だった。

 だが……それは真夏の太陽のように、直視することすらできない強烈な光ではなかった。

 眩く、気高く、それでいてとても温かい光だった。

 光はやがて一つの球体のようにセイヤの手へ収束し――そして、深淵を果てまで貫くような一条の光を生み出した。

 本当に凄まじい光の奔流だった。

 光の奔流はあっという間にドラゴンを飲み込んだ。

 恐ろしい化け物は、最後の断末魔すら上げることもできなかったようだ。

 だが、溢れだした光は、ドラゴンを消し去った程度ではすぐには収まらず、まるで行き場を求めるように城の中を駆け巡った。

 破壊された天井や城壁まで修復され、めちゃめちゃになったミルカの部屋まで元通りにしてしまい、やがて外へも溢れ出た。

 溢れだした光は夜空に浮かんでいた瘴気さえ、いとも容易く消し去ってしまった。

 それは決して、太陽のような激しい光ではなかった。

 夜空に輝く月のような、柔らかで優しい光だった。

 夜をかき消すのではなく、夜の闇さえも美しく照らし出すような不思議な光だ。

 光が空中で大きくはじける。

 すると、まるで月の雫が地上に降り注ぐような幻想的な光景が現れた。その雫に触れた人間たちの傷はすべて癒え、吹き飛んで大穴の空いていた地面もまるで元通りになった。

 ようやく光が消え去り、、ドラゴンの姿はもう完全に跡形もなく消え去っていた。

 ミルカとシーレは、眼の前の光景をただ呆然と見ていた。いや、彼女たちだけじゃない。王城にいた全ての人間が、自分の目の前で起こった奇跡をただ呆然と見ていた。

「す、すごい……」

 ミルカはじっとその姿を見ていた。

 聖なる光を生み出し、悪しきドラゴンを跡形もなく消し去ってしまった、セイヤの後ろ姿を。

 その姿はまさに――〝聖女〟と呼ぶに相応しい神々しさがあった。

 ――ぱたり。

 と、思っていたらセイヤが急にその場に倒れた。

 二人は最初「え?」という感じになったが……すぐにハッとしたように慌てて駆け寄った。

 すぐにシーレがセイヤの身体を抱き起こして声をかけた。

「セイヤ様!? 大丈夫ですか!?」

「ぶくぶくぶく――」

「うわー!? 大変ですミルカ様!? セイヤ様が白い泡吹いてます!?」

「大変だわ!? すぐにお医者様に見せましょう! しっかりしてくださいセイヤ様!?」

 ……一難が去って、また一難。

 騒がしい彼女たちの姿を、ニグレドはまるで他人事のように少し離れたところから眺めていた。

「やれやれ、今回だけだぜ?」

 と、ニグレドは肩を竦めたが……もちろん、その姿は彼女たちには見えていなかった。

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