第21話 シーレの覚悟

 ドラゴンの咆哮が聞こえる度、壁や天井がビリビリと震えた。

 頼む、間に合ってくれよ!?

 本当に頼むから生きていてくれ! 

 他ならぬ僕のためにッ!

「ミルカ様のお部屋はこの廊下の向こうです!」

「この廊下の向こうですね!? 分かりました!」

 僕はとにかく急いだ。

 正直、この時は周囲のことなどまったく見えていなかった。

 とにかく急いで走った。

「……ん? あれ? 他の人たちはどこ行った……?」

 少ししてから、ふと立ち止まってきょろきょろした。

 気が付くと周囲に誰もいなかったのだ。

 後ろを振り返ると、かなり後ろの方にモブ騎士の人たちの姿が見えた。

 ……あれ? みんなまだあんなところにいるぞ……?

 この非常時になにをチンタラしているのかと思ったが……いや、でもそうか。みんな鎧着てるもんな。そりゃ速く走れないか。

「シーレ!? しっかりして!?」

 悲鳴のような悲痛な声が聞こえた。

 い、今の声は……もしかしてミルカか!?

 やべえ、急げ!

 他の人たちを待っている余裕はなかった。

 急いで廊下の角を曲がった。

 すると、そこにミルカとシーレの姿があった。

 ……よ、良かった。まだ生きていてくれたようだ。

 思わずほっとしたけど、もちろんまだほっとしている場合ではない。

 幸い、すぐ近くにドラゴンの姿はなかった。逃げるなら今だ。

「二人とも!? 大丈夫ですか!?」

 僕は慌てて二人に駆け寄った。

「セイヤ様!?」

 ミルカが振り返った。

 その姿を見て思わずぎょっとした。

 ミルカが血だらけだったのだ。

「ミルカさん!? 怪我してるんですか!?」

「いえ、違います! これはわたしの血ではなくて――」

「がはッ!」

 いきなりシーレが吐血し、その場に膝を突きそうになった。

 慌ててミルカが支えた。

「シーレ!? 大丈夫!?」

「……大丈夫です、問題ありません。かすり傷ですよ」

 ふっ、とシーレは口端に無理矢理作った笑みを浮かべた。

 もちろん大丈夫なわけがなかった。

 シーレは本当に傷だらけだった。それに脇腹には深く抉れたような痕があった。

 そこからまるで水のようにボタボタと血が流れていたのだ。

 あっという間に僕の足元まで血だまりになっていた。

 それは全てシーレの血だった。

 ……お、おいおい。

 なんでこれだけの傷で喋られるんだ?

 絶句していると、シーレが強い視線を僕に向けてきた。

「……セイヤ様、ミルカ様を連れて逃げてください。ドラゴンはわたしが何とかしますので」

 シーレはぐっと踏ん張って自分の足で立ち上がる。

 すると、急に彼女の右手に光が集まり始めた。

 魔法の光だ。

 そう思っていると、光はシーレの手の中で剣になった。

 魔法で生み出した剣――魔剣だ。

 どうやらシーレは戦うつもりらしい。

 だが、とても戦えるような状態じゃないのは明らかだった。どう見ても立っているのがやっとだ。

 僕も彼女に近寄った。

「なに言ってるんですかシーレさん!? そんな傷で戦えるわけないじゃないですか!? 一緒に逃げましょう!」

「……いえ、それはできません。ドラゴンはすぐにでもやってきます。誰かが注意を引かねばなりません。どのみちこの傷ではそう長くありません。なら、わたしが何とか時間を稼ぎます」

「ダメよ、シーレ! あなたが死ぬなんて絶対ダメ! あなたも逃げるのよ!」

「ミルカ様、一時の感情に惑わされてはいけません。〝女王〟の立場でお考えください。あなたの代わりはいません。あなたは決して、死んではならないお方なのです」

「で、でも……」

「わたしの使命はミルカ様をお守りすることなのです。その使命を今度こそ果たせるのであれば……この命など惜しくはありません」

 シーレは覚悟を決めたような顔でそう言った。

 そこには有無を言わさない迫力のようなものがあった。

 ミルカでさえ、思わず黙ってしまうほどに。

「……シーレ」

「さあ、早く。セイヤ様、ミルカ様のことをお願いしま――」

「諦めちゃだめです!」

 気が付いたらシーレの両肩を掴んでいた。

 驚いたような顔をするシーレに、僕は真正面から向き合った。

「セ、セイヤ様……?」

「あなたが諦めてどうするんですか!? ミルカさんはあなたが守るんですよ! ミルカさんを独りぼっちにさせるつもりですか!?」

「し、しかしわたしはもうこのザマです。これでは戦うこともできません。ただの足手まといです」

「大丈夫です、傷だったら――僕が治します」

「え? な、なにを?」

「少しじっとしていてください」

 シーレの傷口に手をかざした。

 ……これまでで一番ひどい傷だ。

 というかよくこんな傷で動けるものだと思う。普通の人間ならショック死してもおかしくないほどの傷だ。

 こいつを完治させるのはかなりMP的なものを消費しそうだけども……とにかくやるしかない。それしかないのだ。

 できるかできないか、ではない。

 やるしかないのである。

 そうだ、これは他の誰でもない。

 僕自身のためにやってることだ。

「痛いの痛いの――全部、飛んでけッー!」

 光が満ちた。

 これまでで、最も眩い光がシーレを包み込んだ。

 やがて光が消え去ると――彼女の傷は全て癒えていた。 

「……え? き、傷が消えた……?」

 シーレが驚いたように自分の身体を見下ろした。

 すぐにミルカが飛びつくようにシーレへと抱きついた。

「シーレ! ああ、良かった! 本当に良かった! セイヤ様、ありがとうございます!」

「お礼は後でお願いします! さあ、とにかく逃げましょう!」

 ――と、そう言った時だった。

 ズシン、ズシン――と床が揺れた。

 寒気がした。

 恐る恐る振り返ると……廊下の角から、もう一匹のドラゴンが姿を現した。

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