番外編 そしてシルキーは今日も綴る 前編



ベルティナの朝は朝日と共に始まる。

顔を洗い、髪を結い、寝巻きを着替え、野菜を収穫したり手入れをする。

そして寝起きの主人に手拭いを渡し、朝食を作る。

だが、1週間前に主人であるフィーネが学園へ行ってしまった。その日からベルティナの日常は変わってしまった。

朝食も1人分、いない主人のベットを毎日掃除し、静かな家で教えられた薬を作り、度々訪れる人間に売る。

ふと作業するベルティナの手が止まる。



「フィー様…」



いない主人の名を呼ぶ。

その無意識の行動にベルティナは目を見開いて静かに驚いた。

胸にナイフが刺さったような痛みがじんわりじんわりと蝕む。

瞬間、ドアが開き、風が吹き込んだ。



「やっほー! フィーネ、ベルティナ遊びに来たわよぉ!」



現れたのは妖精界でも美しい容姿をもつ一族、リャナンシーだった。

金色の艶やかな髪が靡く度に花の匂いが部屋を包む。

光に溶けそうなほど白い肌に赤い瞳と唇。

人間がこの妖精を1度見てしまえば忘れられなくなる、と言われるほど彼女たちは美しい。

いつもなら笑顔で乗り込んでくるリャナンシーだが、視界に映ったベルティナを見て表情に焦りの色が現れる。

なぜならベルティナはリャナンシーを見上げながらその瞳から涙を零していたからだ。



「ちょちょちょ!? なんで泣いてのよ!? フィーネは!? こんな時のフィーネでしょ!?」

「…フィー様、いない」

「は!? なんでよ!?」

「フィー様、学校、他の人間と一緒に」



その言葉を理解したのか、リャナンシーは目元に手を当てて「あー…」と唸る。

何を思ったのか、少し間が空いてリャナンシーは可笑しそうに笑いだした。



「あっははは! 人間の真似事しておかしな奴と思ってたけどこんなに面白いものが見れるなら悪くないわね! アンタ、それは人間でいう寂しいってやつじゃないの?」

「さ、びしい…?」



ベルティナに記憶にある出来事が過ぎる。

それはかつてフィーネが眠れないから一緒に読もうと持ち出したとあるおとぎ話。

内容は特に興味なかったがフィーネと何かを分かち合えることが嬉しくてその日は夜更かしをした。

物語の一文に寂しいという台詞があった。

その時、フィーネが苦しそうな顔をしていたことをよく覚えていた。

笑うリャナンシーをほおっておいてベルティナは本棚からあの夜に共に読んだ本を探す。

するとベルティナの行動を不思議に思ったのか、リャナンシーは笑うのやめて本棚に近づいた。



「これに、寂しいって…フィー様と読んだ時に」

「あら、群青の指輪物語じゃない。人間の世界で人気のやつ。確かに主人公が一人になって寂しいと思うシーンがあったわね」

「フィー様、ちゃんとご飯、食べてるかな…?」

「食べてるでしょ。人間って何か食べてないと生きていけない生き物だし」

「フィー様、泣き虫、だから」

「そうね、もしかたらアンタみたいに泣いてるんじゃない? さびしー!って」

「………フィー様に会いたい」



笑いながら答えていたリャナンシーも言葉に詰まり、困ったように頬を掻いた。

すると座り込んでしまったベルティナの傍に同じように座り込み、俯くベルティナの顔を見た。



「だったら会いに行きなさいよ。フィーネも喜ぶと思うわよ」

「それはだめ。フィー様に、ソルオ様に、ここを守って、言われた。だから名前も…」

「それって名前が与えられるだけ軽い契約みたいなものでしょ? 拘束力なんてないんだから、自由気ままに会いに行けばいいじゃない。私達は妖精なんだから。それともアンタ、本気で自分がフィーネと同じ人間だと思ってるの?」



リャナンシーの言葉が鉛のように伸し掛る。

何を考えていたのだろう。

フィーネとは何もかもが違うではないか。

人間には羽なんてない。祝福も与えられない。命だって妖精からすれば瞬きでしかない。体も脆く、すぐ壊れてしまう。

ならこの『寂しい』は、この『涙』は何なのだろうか。

ベルティナは取り出した本を開き、寂しいという字を指でなぞった。



(リャナンシーのように、賢くない、けど…わからない、こと、たくさん…でも)



立ち上がったベルティナは乱暴に袖で目元を拭い、リャナンシーを見た。

その瞳は迷いや戸惑いはなく、揺らいでいない。



「私、人間、知る。フィー様に近づく、ために」

「人間知るって、急にどうしたのよ…? え、どゆこと?」

「フィー様に、手紙送る」

「でもアンタ、人間の字なんて書けないじゃない。しかも簡単な文字しか読めないって」

「学ぶ、の…!」

「…………はぁああ!? 人間を知るってそういうこと!? アンタ本気で言ってんの!? ここにいたのが私で良かったけど、他の奴らがいたらいい笑い者よ!?」



本気で困惑しているリャナンシーはあれやこれやと何か言っているが、ベルティナの耳には入ってこなかった。

決意したベルティナは軽く荷物を鞄に詰めて家を出た。

その行動力にリャナンシーは言葉を失いながらベルティナの後を追う。



「ねえ正気なの!? てかどこに行く気なのよ!?」

「テイラー夫人」

「はああ?! よりによって人間のお貴族様のとこに行くの!? 話が通じるわけないわよ!」

「でも、話してみないと、わからない」

「〜〜っ!! もうっ、アンタって子は〜!そういう台詞は強い妖精になってから言いなさいよね!」



止めることをやめたリャナンシーは頭をかきむしってベルティナの横に並んで歩き出した。

するとベルティナが足を止め、眉間に皺を寄せて心底不思議そうに首を傾げる。



「……貴方も、来るの? なんで?」

「あのねぇ……いいこと、ベルティナ? 人間には都合のいい奴と面倒な奴がいるの。いつも人間のフィーネがいるから何も起きてないけど、人間の中には妖精を良くないって思う奴もいるわけ。わかった?」

「…わかった。ありがとう、リャナンシー」

「フィーネといい、アンタといい、お気楽な頭してるわね…いやこれはソルオのせいかしら。あー、やだやだ」



その後もリャナンシーが仏頂面でブツブツと何かを呟いていた。

このリャナンシーはソルオが存命だった頃から世界を旅をしては定期的にあの家に遊びに来ている妖精だ。

ソルオが死んでからもこうして訪れているところを見れば悪い妖精でないと言えるが、ベルティナからすれば少しうるさい友である。

そんな友と歩く道にはマーガレットが咲き誇り、春の風がベルティナの絹の服を撫でた。

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黒の魔女は選ばれない 継瀬 @tuguse

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