論文では研究データしか出せない人、論文の作法しか分からない人が力を合わせて「共著」というもので完成させるのですが文芸の世界に「共著」がほとんどないのはなぜだろうか。「修復師」というのはいわゆる「ゴーストライター」で恥というのが文芸の世界らしいがもうソロ活動はいいから修復師も表に出て「共著者」になればいいのに。そういう問題提起の作品には、なってる。
例えば時計の修復(それ「修理」やろ、という突込み話でよろしく)は、それによって元通りとは言わぬまでも、それなりの機能が「帰って」くるもの。しかし、小説の「修復」というのは、どうなのかなぁ・・・。確かに、修復したほうがいい小説も、自分の作品に今後出てくるやも。でも、以前の小説をへたに修復したら、逆に、読めたものじゃなくなりそうかも。というわけで、私は、やめときますわ。