第30話 抗う者たち

「ん……」


 目を覚ますとそこには、見知らぬ天井が広がっていた。


 温かみのある木製で、やけに天井が高いことを除けば普通の部屋だ。

 そんな部屋でドラクはベッドに寝かされているようだ。


 自身の身体を見下ろして傷が完治していることから、霊峰ティリスベルでの戦いから数日が経っていることが理解できた。


 そんな思考の最中、ふと彼の耳に衣擦れの音が届きそちらに眼を遣る。


「付き添っててくれたのか……」


 ベッドの隣に置いてある木製の椅子に腰掛けて眠っているエルザが身じろぎしたのだ。


 それによって絹糸のように美しい白銀の髪が零れ、彼女の整った顔に重なった。


「……」


 ドラクはベッドから移動して淵に腰掛ける。

 そしてエルザの髪に優しく触れ、それを形の良い耳にかけてやった。


 眠っていても凜然としたままの、しかし普段よりほんの少しだけ隙のある彼女の顔を見てドラクは優しく微笑んだ。


 出会ったときからそうだったが、エルザの美しさは芸術作品のような気品に満ちている。


 彼女の眷属になってから百年以上経つが、その美しさは不変で、常に共にいるドラクをしても見惚れてしまうことがまだあるほどだ。


「……? ドラク、何をしているの……?」


 頬に触れたまま寝顔を見つめていたドラクの視線と、目を覚ましてゆっくりと瞼を持ち上げた彼女の翡翠色の瞳が交わる。


 瞬間、ドラクは反射的に彼女の頬から手を離し、飛び跳ねるように距離を取った。


「悪い他意はないんだ許してくれ……!」


 そしてベッドの上で深々と土下座をする。

 それを見て呆れたエルザは、ため息交じりに口を開いた。


「別にこの程度で怒る理由がないわ、幼子じゃあるまいし……」

「それにどれだけ一緒にいると思っているのよ。貴方は寝ぼけているときや気が緩んだときに、よく私の頬に触れてくるわよ」


「は? 冗談だろ。俺、そんなことしてるの……?」

「この眷属はよほど主のことが好きなのね」


 唇に指を当てていたずらに笑むエルザはどこか少女然としていて、ドラクに普段とは異なる可愛らしさのようなものを感じさせた。


「ベルアレの宿でも触ってきたわよ」

「覚えてねぇ~!!」


 百年以上一緒にいて初めて知る事実に、ドラクは頭を抱えて悶えていた。

 自分にそんな恥ずかしい癖があるなんて思いもしなかったのだ。


「そんなことより」


 悶え転がるドラクの意識を自身に戻すため、エルザは少しだけ声を張って話の転換を図った。


 それによって転がっていた彼は動きを停止し、顔を上げて彼女の言葉を待った。


「貴方のおかげでテサリアも一命を取り留めた……。本当に感謝するわ……」


 エルザは背後に振り返って慈愛が宿る視線を隣のベッドに向けながら、ドラクに小さくお礼を言った。


 彼がそちらに視線を遣ると、そこには微かな寝息を立てているテサリア・ウォーレイがベッドで眠っていた。


 両腕を毛布から出す形で眠っていることから、切り落とされた部位も治癒することが出来たのだろう。


「いいや、俺だけの力じゃない。カストレアがいなければ彼女は助からなかった……。ってそういえばカストレアとヴァンはどこだ?」


 テサリアの命がこぼれ落ちていく様を思い出したドラクは一瞬だけ眼を伏せたが、すぐに顔を上げてこの場にいない二人の所在をエルザに問うた。


 その瞬間、窓の外から大地を揺るがすような爆発音が聞こえてきて、ドラクは思わず肩を竦ませた。


「!?」


 一方のエルザはこめかみを押さえ、呆れたようにため息をついた。


 急いでドラクが手近な窓を押し開くと、そこは頂点が見渡せないほど巨大な大樹に囲まれた長閑な集落であった。


 霊峰ティリスベルへと向かう途中に立ち寄ったため、ドラクはここが白竜の里であることを即座に理解した。


 この異様に高い天井も竜が出入りするためのものなのだろう。


 その中央にある広場では、赤髪の少年 ヴァン・フィアヴェルが鎧の白竜と対峙していた。


 彼の楽しそうな表情と、白竜の苦々しい笑みから争っている訳では無いということだけは理解出来た。


「おーい、何やってんだヴァン?」


「おー!! ようやく目を覚ましやがったかドラク! リハビリがてら白竜のおっさんと手合わせしてんだ! オマエもやるか!?」

「いや、遠慮しとく……。お前も程々にな」


 苦笑と共にヴァンの誘いを断ったドラクは、窓を閉めるとベッドの中央に戻った。


 そんな彼に向かって、エルザが呆れ果てたように事の顛末を説明した。


「怪我が治ってから毎日ああなのよ……。日中はうるさくてかなわないわ」

「はは……。まぁ元気になったようで良かったよ。それで、カストレアは?」


 エルザの苦言に苦笑いを返すドラクは、もう一人の少女の行方を聞いた。


「彼女なら——」

「失礼します」


 しかしその返答に割り込む形で部屋の扉が開かれ、そこから癖のある濃灰色の髪を二つ縛りにした少女が現れた。


 その手には水差しとコップが載せられたお盆があり、どうやらこの部屋に水を運んできたらしい。


「カストレア……」

「ドラクさんっ!! 眼を覚まされたのですね!」


 ドラクに名を呼ばれたことで濃灰色の髪の少女 カストレアはベッドにとてとてと駆け寄ってきた。


「三日も眠り続けていたので心配しました……!」


 そしてサイドテーブルにお盆を置きながら彼の身を案じていたことを伝えた。


「そんなに寝てたのか……。というかその服、給仕服か……?」


 自分が三日間も寝ていたことは、あの日の戦いによる魔刻の酷使でなんとなく予想できていた。


 しかし眼前のカストレアが身に纏う純白の衣装が気になって、つい質問していた。


「あ、これですか? 白竜の里に伝わるお衣装だそうです。ここに住まう竜血鬼の女性が身につける正装だそうで、とっても綺麗ですよね」

「なるほどな、よく似合ってるぞ」


 カストレアが回って衣装を見せてくれたため笑みを浮かべながら頷いたドラクに、彼女はどこか照れくさそうに頬を掻いた。


 しかし少しすると笑みを真面目な表情へと変え、ドラクたちの近くに膝をついた。


「……ドラクさん、エルザさん。わたしを助けるために怪我をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした……」

「でも、お二人に出会っていなければ、わたしは今ごろ多くの命を奪う化け物になっていたと思います」


 ドラクとエルザの手をそれぞれ握り締めながら言葉を紡ぐカストレア。

 その姿から、彼女が心の底から感謝しているということが伝わってきた。


「お前を助けたのは俺たちの意思だ」

「貴女はヴラドの計画による被害者よ。むしろ謝るのはこちらの方だわ……」


「いえ、そんなことっ!!」


 申し訳なさそうに眼を伏せたエルザの発言を、カストレアは慌てたように否定した。しかしドラクは彼女の言葉を重ねて否定する。


「いいや、エルザの言う通りカストレアが利用されそうになったのは俺たち吸血鬼がヴラドの暴走を止められなかったからだ」

「あいつの企みのせいでお前は運命を呪われ、こうして争いの渦中に身を置くことになったんだからな……」


 膝の上で拳を握り締め、悔しそうな表情を浮かべるドラクに、カストレアは優しく微笑んだ。


 そして両手で彼の拳を包み込んで瞼を閉じる。


「辛いこと、苦しいことはたくさんありましたが、今こうしてドラクさんたちに救われたことでわたしの人生は変わりました」

「これまでのことなんて関係ないんです。今のわたしの元には身を案じてくれる人がいる……それだけでもう十分なんです」


 数日前に出会った時からは考えられないような清らかな笑顔で言い切ったカストレアに、ドラクとエルザは思わず笑みを浮かべた。


 元々の心の強さがなければ、あれほど壮絶な過去を乗り越えて笑うことは出来ないだろう。


「これからは定住せずに各地を旅して暮らそうかと思っています。ベルアレの屋敷には戻れないと思いますし、幸いお母様のおかげで呪いの力は制御できるようになったので……」


 カストレアは今後のことを語りながら胸に手を当て、そこに宿る温かなものを感じて笑みを浮かべた。


 そこには彼女の母が遺した灰色の薔薇による魔刻が刻まれているのだという。

 それによって身に宿す膨大な呪いの力を制御出来るようになったのだろう。


「あー、そのことなんだけどな……」


 彼女が語った今後についてドラクは言い淀み、隣に座るエルザに視線を送る。


 彼女がドラクの意図を察して小さく頷くと、彼は言葉を続けた。


「カストレア、俺たちと一緒に来ないか?」


「!!」


「きっとヴラドは貴女のことを狙い続ける。だから私たちと一緒に行動してくれた方が安全だと思うのだけれど……」


 ドラクの提案に眼を見開いて驚いたカストレアに、横手からエルザが冷静な分析を交えた理由を説明する。


 その提案に彼女は顔を俯かせながら彼らの説明を聞いていた。


「私たちの争いにここまで深く関わってしまったら、また一人になるのはかえって危険よ」

「だから俺たちと一緒に旅をして、お前の呪いを解く手段を見つけないか? まぁお前の力に助けられることも多くなるかも知れないけどな」


 カストレアに問いかけた後、ドラクはテサリアを救った彼女の力を思い返して小さく笑った。


 呪いの力を制御できるようになった彼女は、単に守られるだけの存在ではなくなったように思えるのだ。


「……わたしなんかが、いいのですか?」

「え……?」


 あまりにか細い声に聞き返してしまうドラク。

 それに対してカストレアは震え声で言葉を続けた。


「呪いを振りまいて関わる人たちを不幸にして、あまつさえ命さえ奪ってしまうようなわたしなんかと、一緒で良いのですか……?」


「そんなこと気にしてるのか。俺たちは不幸を自分から望んでいるようなもんだからな。あのヴラドを追っていること以上に、不幸なことなんてあるかよ」


「それに私たちは不死と謳われる吸血鬼よ。貴女より先に死ぬことなんてまず無いわ」


 カストレアを元気づけるための軽口だと分かっていても、彼女は心を打たれてしまった。そして俯いたまま肩を揺らす。


「だから一緒に行こう、カストレア」


 その言葉と共に手を差し伸べてきたドラクを見上げたカストレアは、灰色の双眸から滂沱と涙を流しながら彼の手を見つめた。


 そしてゆっくりとその手を取る。


「ふつつか者ですが、よろしく、お願いしますっ……!!」


 滂沱として涙を流しながらも、ドラクの手を取ったカストレアは清々しいほどの笑顔を浮かべていた。


 その満面の笑みはまるで、月夜の元で静かに咲く大輪の花のようだった。




 吸血鬼の王たる一族の末裔 エルゼベート・ヴァンピールとその眷属 ドラク・ルガドは吸血鬼の最高決定機関【十二血族議会】を壊滅させた裏切り者 ヴラド・バートリーを倒すために旅をしていた。


 その最中で一族を皆殺しにされた赤竜の竜血鬼 ヴァン・フィアヴェルと出会い、行動を共にすることとなる。


 そしてヴラドが生み出した吸血鬼史上最悪の産物、【罪過ざいか薔薇ばら】によって運命を呪われて生まれてきた少女 カストレアは彼らに救われたことで自身の存在を赦すことが出来た。


 彼女を救い出したドラクたちはヴラドを追う旅の中で彼女の呪いを解く術を探すことを提案した。


 こうして裏切り者を追い続ける吸血鬼と、運命を呪われた少女の数奇な旅が始まった。



 ——これは呪われし運命を切り拓く者たちの、鮮血の物語。

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昏き魔刻のアルヴェレド 夏芽 悠灯 @Haruto_Natsume

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