第29話 酷薄


「…………」


 霊峰ティリスベルに久方ぶりの静寂が降りる。


 そしてヴラドの胸を光の剣で貫いているドラクの姿が露わになった。


「はぁッ……!!」


 ドラクは止めていた呼気を一気に解放し、手中の光剣を消滅させた。

 すると眼前のヴラドの全身に亀裂が走ったことでドラクは驚愕する。


 笑みを称えていたヴラドの姿が完全に砕け散り、そこには彼とは似ても似つかない女性が現れていた。


 その人物は風穴が開いた胸と、切り落とされた右腕、右足から滂沱と血を零しながらその場に崩れ落ちた。


「な……んで……!?」

「っ……!」


 余りの動揺に肩を震わせているドラクの背後から、ヴァンの肩を借りて歩いてきたエルザがのぞき込んできた。

 そしてその顔を一気に青ざめさせる。


「テサ、リア……?」


 そして彼女はその人物の名を零した。


 眼前で血溜まりに沈んでいる女性はエルザと親交が深かった貴族、【十二血族議会】第十一席のテサリア・ウォーレイだったのだ。


「なんだよ、アイツが急に女と入れ替わった……?」


 倒れ伏すテサリアを中心として集まっているドラクたちの側に、大鏡と共にミラエルが現れた。


 そして大鏡の鏡面に波紋が広がり、そこに先ほどまで対峙していたはずの男の姿が映し出された。



「「「!!??」」」



 それに視線を遣った三人は、驚愕のあまり目を見開いて言葉を失った。


「なんでお前がそこにいる……。ヴラドッ!!」


 鏡の向こう側で薄い笑みを称えているのは、先ほどまでドラクたちと激戦を繰り広げていたヴラド・バートリーその人であった。


 彼は五体満足で玉座のようなものに座ってこちらを見下ろしていた。


『まずキミたちがボクの予想を遙かに上回ったことに拍手を送ろう。最終的には四人がかりとはいえ、まさか負けるとは思わなかったよ』


 あまりの出来事に、彼の軽薄な言葉に返答できる者は誰もいなかった。そんな彼らを見かねてヴラドは言葉を続ける。


『結論から言おう。キミたちが戦っていたのはボクの姿や能力を投影したテサリア・ウォーレイだったんだ。正確には【災禍の女王】が覚醒に至った後から、といった方が正しいね』


「あのときから……!」


 ヴラドの発言に、ドラクはどこか合点のいったような反応を示す。


 カストレアが暴走した結果、彼はミラエルと共に一度どこかに消えた。


 その隙にテサリアの身体に投影されたもう一人のヴラド・バートリーと入れ替わっていたのだろう。


 カストレアを受け止めた直後の急襲。


 戦闘に気を取られていたが、思い返してみればあの瞬間から髪の分け目を始め、すべてが鏡写しのように逆だったのだ。


「感覚は共有していたからボクが戦っていたことには変わりないし、話していたこともボクの言葉だ。けれどボク本人はこうして健在だよ」


「どこまで外道なの……!!」


 鏡の向こう側で酷薄な笑みを浮かべて説明するヴラドに対し、エルザは憎悪の感情を露わにしながら鋭い視線で睨め付けた。


 同胞を操り自分を投影した傀儡として戦わせ、しかし命のやり取りだけは押しつける。


 どこまでも卑劣で、あまりにも冷酷だ。


『おっと、こんなおしゃべりしてていいのかな? テサリアはキミの、太陽を根源とする力によって胸を穿たれたんだ』


「っ……! まだ力が……!」


 エルザははっとして足下のテサリアに眼を向け、しゃがみ込んで魔刻の力を行使しようとした。


 しかしつい先ほどまで崩壊の光を纏う状態になっていたため、ドラクに宣言したように代償として回復能力はしばらくの間使用できない。


『あぁ、キミたちの頑張りに免じて今回は手を引くことにするよ。安心して彼女の治療をするといい。……間に合うかは分からないけどね』


「……ヴラド、お前は必ず俺たちの手で倒す……!」

『出来るものならね』


 眉間に皺を寄せながら地を這うような声音で凄んだドラクに、薄い笑みを称えたヴラドが一言返した。


 すると大鏡に再び波紋が広がり、次の瞬間にはドラクたちの姿を映すただの鏡へと戻っていた。


「じゃあ、せいぜい彼女の最期を看取ってあげることね」

「待て」


 そう言い残して大鏡の隣に立っていたミラエルが転移しようとする。

 しかしそれをドラクが呼び止める。


「なにかしら? アタシだけでも倒そうとでも?」

「いいや、お前に一つだけ伝えておきたい。……レイエルはお前たちを心配していたぞ」

「っっ……! そう……アタシには関係ないわ」


 ドラクの言葉に目を見開いて動揺したミラエルはすぐさま冷徹に返答し、大鏡の中に消えていった。


 しかしその横顔は苦虫を噛み潰したようで、どこか哀しみを孕んでいるように見えた。


「テサリア……!」

「エ、ルザ……? ここは……?」

「今は喋らなくていい……!」


 腕を失った右肩と膝から下を斬り落とされた右脚。


 そして胸に空いた風穴から溢れる血潮が作る赤い池に、汚れることを厭わずにエルザがしゃがみ込んでテサリアの左手を握る。


 そんなエルザに朦朧とした双眸を向けた彼女は微かな声で問いかけた。


「おいおい、どうするんだよ……。エルザが力を使えないんじゃこんな傷……!」

「大丈夫だ、俺がなんとかする……」


 動揺するヴァンの背後から現れたドラクは、エルザの隣に膝をついてテサリアの胸部に左手をかざした。


 すると彼の左腕全体に白銀の魔刻が広がり、白薔薇の花弁が彼女の身体を包み込んだ。


 ドラクの【鏡影きょうえい魔刻まこく】は単純に対象者の力を自身に複製する力。

 ゆえにエルザの制限が彼にまで適応されることはなく、力の行使を可能としているのだ。


 しかし【銀月ぎんげつの魔刻】の力を持ってしても、テサリアの傷の治癒はほんの少しずつしか進まない。


 きっとエルザの力を複製した光剣に貫かれたため、治癒を著しく阻害しているのだろう。


 あの力はいわば太陽の力で、吸血鬼にとって致命傷となるものなのだ。


「くそッ……! 間に合ってくれ……!」


 ドラクは全力で魔刻の力を行使し続けているが、傷の治癒は遅々として進まない。


 テサリアの手を握っているエルザは、彼女の手から徐々に力と体温が失われていることを感じ取っていた。


 このままだと光剣で穿たれた風穴の修復よりも先に、テサリアの命が尽きてしまう。

 この場の誰もが諦めかけたとき、一人の少女が声を上げた。


「わたしに任せてください……!」

「カストレア……?」


 その少女はこの騒動の中心であったカストレアであった。


 彼女はドラクとエルザの対面に膝をつくと、テサリアの状態を確かめる。


 ドラクたちは彼女が何をしようとしているのか分からず、無言で行動を見つめていた。


(ドラクさんたちには見えていない……)


 三人の様子から察するに、彼らにはカストレアの眼に映っているものが見えていないようだ。


 今彼女の目に映るテサリアの身体には、透き通った青白い腕が無数に纏わり付いている。


 それが放つ不吉な気配は濃密な死を連想させるため、これが彼女を死へ誘わんとしている元凶だと感覚的に判断することが出来た。


 それを認めたカストレアは、瞼を閉じて灰色の刻印が刻まれた胸に手を当て、力を放出するイメージ行った。


 すると彼女の背から深黒の魔手がいくつか顕現し、ドラクたちを大いに驚かせた。


「おま、そんなもんで触ったら——」

「いや、大丈夫だ。カストレアがそんなことするはずがない」


 目を剥いて驚いたヴァンに対し、平静を取り戻したドラクは彼女の行動を止めずに続けさせた。


 エルザは無言を貫いたまま祈るようにカストレアを見つめている。


 全員の視線を一身に受けるカストレアはそっと瞼を持ち上げ、緩やかな速度で魔手をテサリアの方へ動かした。


 そして彼女に纏わり付いている青白い腕に次々と触れていき、それらをすべて消し飛ばした。


「!!」


 その瞬間、【銀月の魔刻】による回復を続けていたドラクが、明らかに手応えが変わったことに気が付いた。


 テサリアの傷の修復速度が上昇し、エルザの手を握り返す力もそれに伴って僅かに戻った。


「これで……だいじょう、ぶ……」

「おっと!」


 消え入りそうな声でそう言ったカストレアは力を使いすぎたのか、小さな身体をぐらりと傾かせた。


 それをヴァンがそっと受け止め、彼女ははっとしたように言葉を継ぐ。


「ドラクさんは、回復を続けてください……。一時的に死から遠ざけることは出来たようですが、傷を治さないことには予断を許さない状況のはずです……」

「あぁ、本当に助かった……!」


 それからドラクは魔刻を行使し続けてテサリアの傷を癒やし、やがて彼女の胸に開いた風穴が完全に治癒した。


「あとは右腕、も……」


 テサリアの胸の傷を治し切ったドラクは、斬り落とされた右腕の治療にも移ろうとした。しかし視界が歪み、その場に倒れ込んでしまう。


「ドラクっ!?」


 焦燥したエルザがのぞき込んできている光景を最後に、ドラクの意識はそこで途絶えた。

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